ヨロイマイクロノベルその33
321.
あるもの出せよ。路地裏に連れてきたブルボンを脅す。何も持ってない、と涙を浮かべる。まあ、みんなそう言う。ほら、ジャンプしてみろよ。おどおどしつつ高く飛ぶ。五度目で濁点が落ちた。あるじゃねえの。俺はにやつき濁点を拾う。それは生暖かい涙で濡れ、少しだけ甘い匂いがした。
322.
小雨降る中、停止した時計台の前に小指が落ちている。黒い男たちが集まってきた。小指の周りを囲んで立つ。「北だな」。「いや南東だろう」。思い思いの方角を口にする。雨粒が男たちの帽子のつばから垂れる。小指の上にも落ちる。やがて雨が止み、小指がさす方向から陽が照り始める。
323.
妻が遺したスノードームは夏を迎えられなかった。音もなく割れ、雪が溢れる。とめどなく湧き続け、机上に白い小山を作る。その一部もまた崩れ、床に零れる。どこからか光が射し、割れたガラスを通過する。照らされた雪もまた無音で解けていく。私の足先に落ちた白い欠片だけが冷たい。
324.
おむつを替える前から娘はわたしを見つめていた。尻が異様に熱い。けれど汗で湿ってはない。ウェットティッシュで拭き取り、テープで留めようとしたとき、耳の奥で爆撃の音が鳴った。そのまま意識を失いそうになる。轟は鳴り止まない。数多のミサイルが降る音がする。娘が目を逸らす。
325.
クチナシだよ。息子が掌の花を見せてくれた。白い花びらが六方に開き、タコみたいな黄色い雌蕊が不安定に立つ。よく知ってるね。息子がため息をつき、この子から話しかけてきたんだ、と花を揺らす。甘く濃厚な匂いが息子全体から漂う。蕊がわずかに傾く。ほらね。息子が得意げに笑う。
326.
豪雨に流されてランドセルが戻ってきた。小学生の夏に無くしたものだ。雷に打たれたようでところどころが黒く焦げていた。ぐっしょり湿り、焼けた皮の匂いもする。濡れたまま抱きかかえ、屋内に運ぶ。中を開けると古い名札が入っていた。それもまた、かつてわたしが失ったものだった。
327.
手を挙げろ。息子が大泣きしながら銀の水鉄砲を向ける。近づいた瞬間に撃たれた。息子がさらに苦しげな表情になる。一歩戻る。また水がかかる。片手を動かしただけでも撃たれる。両手を挙げた。よかったと息子がつぶやく。わたしの心臓だけが濡れている。すでに息子の涙は乾いている。
328.
かっちかちのアイスバーで殴り合う。最高にクールな決闘だ。その金剛的氷菓は何人もの命を奪ってきた。ただ夏場は話が別だ。脳天に直撃したとて、アイスはぐにゃりと潰れ、髪をべとりと濡らす。ただ、振り下ろした勢いそのまま、埋まったあずきが飛んでいく。中空の蚊が撃ち抜かれる。
329.
十三歳の夏、はじめての氷室守。凍らせた鯛や榊、氷飯を神様に供える。冷籠を揺らさないように歩く。鍵も氷でできている。溶けないうちに差し込む。扉を開くと冷たい風が吹き抜ける。中には何もいない。神様。僕の声が固まる。身体の内側だけが燃える。涙が零れ、それもすぐさま凍る。
330.
樹木を墓標とした都会の共同墓地に叔父は眠る。石段を上る。蝉の死骸がひっくり返っている。空は曇り、遠くではもう雨が降っている。短い祈りのあと、叔父の名が刻まれたプレートを探す。触れるとひやりと冷たい。手の甲に雨粒が当たる。慌てて段を降りていく。死んだ蝉が消えている。
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