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「いやしくて、下劣な」

 秋が深まり、収穫の季節が訪れると共に、八十村は声を取り戻す。
 夜のまだ早いころ、園に集まった村人は声の果実を食べる。唇の端から汁が垂れても構わずに貪るもの、丸ごと飲み込むもの、細かくかじりながら皮を吐き出すもの、スタイルはさまざまだ。表面を舐めるように味わうものもいる。
 老若を問わず、そこにいる誰もがゆっくりと言葉を吐き出す。まずはその調子を確かめ、自ら発した音の響きに陶酔する。同じ実を口にしても声のトーンはそれぞれに異なる。
 一度に一つだけ。それ以上食べても、数日経てば声を失うことに変わりはない。恵みの時節が終わるまで何度も訪れる。園内の樹から実をもぎ取り、土の上で即座に食べなくては声を取り戻せない。
 果実が生っている限り、失った声は蘇る。ささやきや笑い声、高揚した声、あるいは泣き声や怒号で溢れかえる。この期間、村では微熱を帯びたような狂騒が続く。
 
 夜遅く、熟れすぎた果実は枝から落ちる。その刹那、それらは叫び声をあげる。無人の園内でさまざまな声色の悲鳴が重なる。つぶれた果肉がうすく積もる。朝には鳥が舞い降り、実の欠片をついばむ。小型の動物、地中に潜む虫たちも食べる。種は体内に留まった状態で運ばれ、糞と共に撒かれる。だが、園で根づいた樹以外には声の実は生らない。
 そのため、種は選別のあと大切に保管しておく。それを園の土で育てる。
 
 冬に近づき、果実のシーズンも終わりを迎える。人々は再び声を失う。声帯を震わせても、空気が漏れるだけで音は伴わない。平常に返っただけとは言え、中には調子を狂わせるものもいる。喪失感から精神状態が乱れるケースもいくつか見受けられる。変調をきたしたものには園外で育った果実を与える。それを口にしたところで声は戻らないが、揺らぐ心は安定へと向かう。
 
 翌年の収穫に向けて新しい声の実を育てる。落葉を腐らせ、飼育する動物たちから得た肥料を土に与える。それを耕し、雨水をたっぷりと含ませる。
 皆、園では裸足になる。土の上を歩くとき、身体を洗うとき以外は常に足を覆っている。睡眠中は通気性に優れたナイトシューズで両足全体を包む。園に入れば両足を解放する。その状態で大切な土を踏み、しばしば踊る。雨を願う趣旨のときもあれば、ただ純粋な娯楽として鳴り物に合わせて跳ねる習慣もある。
 
 園は十段階に分けられている。それは十年かけて循環する。一年目は手を入れず、しっかりと休ませる。二年目、土は集中的に踏まれる。攪拌と異物除去の役割も果たす。踊り場となるのは主にこの区域だ。
 三年目にようやく種を撒く。芽が出て苗となり、土の中に根を張る。幹も少しずつ太さを増しながら、空へ向かってたくましく伸びていく。
 九年目の春にはつぼみがふくらみ始める。それは両性花で時間をかけて開く。花弁は五つに分かれ、散り際までうすピンク色のまま変わらない。そしてついに果実が生る。こちらは大きさや形、色合いもまちまちだ。熟したものは食べられ、残った実はやがて落下する。その際、絶叫が響く。声の樹は冬を前に枯れていく。園の土には雪が積もり、それもまた滋養となる。
 十年目、冬芽が赤く染まる前に樹々をすべて伐採する。こうして園の土は新たなサイクルを迎える。細く硬い樹は木材としても利用される。農工具、机や椅子、家屋の一部、あるいは火の燃料など、生活に関わり続ける。
 園の管理が経済活動に影響を及ぼすことはほとんどない。だが、その存在はあまりにも大きい。樹々の移ろいを愛でること、土を裸足で踏むこと、果実を口にすること、声を発すること、時限的にでも生きた言葉で語り合うこと。これらが村固有の文化を特徴づけている。
 
 八十村の人々は記す民でもある。
 それは中央から与えられた任務で、随時、あらゆる文章が大量に送られてくる。タイプライターで正式な書類として記録していく。専用のインクもこの村の特産品だ。元々は園で採れる果実を染料として混ぜていたとも言われる。
 裁判の判決や新しい法、各種議事録または財務記録、収入や納税額、家族構成及び個々の生年月日や病歴、土地の所有に関する記録、それにさまざまな機密文書なども未来へ残すため、キーを叩く。それを何部も仕上げていく。素早くも丁寧な作業だ。一年を通して、次々に原書や走り書きが届く。音声テープから書き起こすことも多い。わずかな差ではあるものの、声を失っている時期のほうが作業の効率は上がる。
 特有の性質も関係があるのか、村人の口は堅い。文章の内容が漏れることはない。書類はまとめられ、中央に向けて送られる。そのための配達員が定期的に村を訪れる。
 
 村には数多くのタイプライターが存在する。日々、冒険心溢れる新種が開発され、独特の進化を遂げてきた。フォルムや材質もさまざまな種類を選べる。キーの硬さや高さはもちろん、配置もカスタム可能だ。用紙を自動で巻き取りまとめて整頓するシステムは、新世代の機種では必須とされている。ドリンクホルダーや冷温風のサーキュレーターはいつでも着脱することができる。両肩にかける固定ベルトによって立ったまま打てる種類もある。肩や首の凝りをほぐすマッサージ機能も人気を集めている。
 何よりも重視されるのはキーを叩くときの音だ。そこにも改良が重ねられてきた。音色や重低音の響き具合、エコーや変調のエフェクトなど、細かい違いもその都度調整できる。
 今ではこうした音つきの機種が主流を占めている。作業場では個性的な音が重なり合う。母国語が異なる民族が集まり、それぞれが一人語りをしているかのようだ。慣れてくれば、自機以外でもどのキーが叩かれたのか、それこそ言語を習得するように自然と覚えてしまう。
 クラシカルで武骨なタイプライターもまだ現役だ。キーを打ち込む音自体はシンプルだが、それを愛する打ち手も少なくない。原初的でナチュラルな響きもほかの人工的な音色に混じり、にぎわいをもたらす。
 どのような機種を使っていようとも、打ち手のタイピング技術は正確だった。間違いがあってもすぐに修正される。同じミスはくり返されない。
 
 書類の確認作業を担うのは、一年を通してまるで声を発しない読み手たちだ。多くは年老いているが、成人して間もないものもいる。読み手は園の実を口にしない。声なき暮らしを選択したものばかりだ。果実を食べて声を取り戻しても構わないが、その場合、再び読み手に戻るためには三年以上の間を空けなくてはならない。
 秋になっても彼らは沈黙を貫く。土づくりにも関わらない。日々、大量の文章をチェックするだけだ。文化や歴史、地理的背景の違いから、文意のすべてを理解できるわけではない。だが、誤字や打ち間違い、タイプ箇所のズレなどは完璧にわかる。同じ内容の書類でも目を凝らしてミスを探す。
 注意深く文字を追っているせいか、長く携わっていると目玉が前に飛び出してくる。年老いた読み手のまぶたは丸くふくらみ、今にも落ちそうなほどだ。
 
 村人の一部は日常生活でもタイプライターを用いて、意志を伝える。しかし多くは指文字でコミュニケーションを図る。一時的な声での会話は別として、指でのやり取りが基本となる。
 指を動かすことができないものは義指を用いる。中央からもたらされた技術の一つだ。五指を動かすパワーグローブ仕様もある。脳に埋め込まれたチップが信号を受け取り、義指が反応する。打ち手の作業もその恩恵を受けている。
 手術を受けるためには中央へ出かけなくてはならない。新しい指を得たものは話好きになって戻って来る。普段は義指を絶えず動かし、果実の季節にはひたすらしゃべり続ける。
 
 土の循環と果実の生育、声の再生と喪失という流れは村の中で完結していた。まず公的な任務がある。日常生活も疎かにはできない。各種の商売を営みながら、園の管理を続けてきた。
 この暮らしに部外者が入り込む余地はなかった。
 
 エスという名の配達員が派遣される。饒舌で傲慢な性格は生まれつきだ。それでも今回の任務については完全な箝口令がしかれていた。中央の上々院には、その中でも限られた議員による超法規的な評議会がある。そこでのやり取りを記録したマイクロフィルムが届けられた。これは最優先の案件だった。
 滞在は一日の余裕しかない。自ら運び込んだものが清書されるのを待ち、それをまた中央に届ける。速さはもちろん、何よりも機密保持の徹底のため、配達員として関わるのは一人きりだ。
 エスは八十村に興味がなかった。清書の任務についての知識と、どうやら果物を食べて声を出すらしい、というぼやけたイメージしか持っていない。これまで何度か村を訪れたことはある。ただ、果実の季節に来たこと、さらには作業場に立ち入るのもはじめてだった。
 不思議な音色に満ちていた。エスが聞いたことのない類の調べだ。不快ではないが、落ち着かない気分になる。集められたのは最高の打ち手ばかりだ。皆一様にモニター用の眼鏡をかけている。独特な音を伴い、猛烈なスピードで文字が刻まれていく。義指の打ち手もいるが、同じような速さでキーを叩く。レンズに出力されたマイクロフィルムの中身を紙の上で置き換える。
 漏れ聞こえてくるしゃべり声は新鮮で、響きも独特だった。抑揚やトーンにも耳なじみがない。いわゆる訛りとも違う。刺激的な声や音に囲まれながら、エスは作業を監視する。配達員には内容を関知する権限も機会もない。清書された文章に目を通すのは読み手だけだ。異様なまでにまぶたがふくらんでいる。黙々と紙をめくり、口を開くことはない。
 こんな辺境で重要書類が扱われている事実に、エスは自らの任務に対する価値観が揺らぐ。その屈折した感情ゆえ、いつもよりも横柄に振る舞った。
 
 エスは仕事の合間に村を歩き、果実の園があることを知った。ちょうど実りの盛りだ、とやはりユニークな声色で案内役は話す。是非とも味見をしたい旨をエスは伝える。にやついた表情を浮かべながらも尊大な態度だった。
 すでに声を持つ人は食べても意味がありません。返答のトーンはひどく間延びしていた。
 
 夜明け前、エスは宿を抜け出した。無人となった園に入り、黒い革靴のまま歩く。落ちて形の崩れた果実を踏んだ。甘い香りがそこら中に漂っていた。残った実を枝からもぎ取る。鼻に近づけると、強い刺激を感じた。
 エスは目を閉じ、声の実をかじった。やわらかい果肉がつぶされ、汁となり喉の奥へ流れる。舌の周りに粘度の高い液体がまとわりつく。うまいのかまずいのか、よくわからなかった。僻地の地味な食べ物にすぎない、という感想を抱いただけだ。それでもあっという間に平らげた。濡れた手も舌で拭う。勢いよく吐き出された種は転がり、傾いだ状態で立った。すぐそばで枝から実が落ちた。それは土の上で悲鳴をあげた。
 すでに夜は終わろうとしていた。エスは不意に自分の声が気になって、もっとスピードを、とつぶやいた。昼間、作業を急かすため、何度もきつく言い放った言葉だ。それはひどく下品に響いた。とにかくグロテスクでたまらない。誰にも聞かれたくない、と心から思った。何度かくり返しても、声色を変えようとしても、不気味なままだった。恥ずかしくてたまらなかった。小声にしてもだめだった。
 
 作業場はこの日もにぎやかだった。エスは黙り続ける。木製の椅子に座り、視線を上げることなく清書されるのを待った。風変りな声とタイプライターの音が重なり合う。催促されるまでもなく、相変わらず仕事は速い。
 それは民族の浄化政策に関する書類だった。打ち手も読み手も、一つひとつの言葉は理解できても、文意をまるでくみ取れない。八十村で通じる文脈の外にあった。そんな状態で、ジェノサイドを駆動するための文章が仕上げられていく。政治的意思決定の枠組みがここから書き換えられようとしていた。記録を残す制度の破綻もこの文章が契機となる。
 エスは書類を無言で受け取り、中央へ戻った。中身を何も知らず、ただ帰路を急ぐ。途中で試しに声を出してみても、恥辱の響きを感じてしまう。それはあまりにもいやしく、下劣に聞こえた。
 
 すべては速やかに徹底的に無慈悲に実行される。八十村にもそれは及ぶ。多様なタイプライターはどれも叩き壊され、園は壊滅させられた。樹々から落ちる果実もまた最後の叫び声をあげた。
 何もかもが終わったあとも尚、エスは寡黙なままだった。

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