「夢」を ” つくる ”
夢をみる、であるとか
夢を叶える、ということはあっても
夢をつくる
ということはなかなかないのでは無いだろうか
「オリンピックで金メダルを獲ることが夢でした」
それはオリンピックというものがあるからこそ、成り立つものなのである
「生きる」とはなんなのだろう
「人生」とは?
仮に約80年という時間を、何かしらのことに割り当てていくという行為なのだとすれば、
「夢に向かって我武者羅に突き進んでいく」ということへの時間の割り当ては、振り返ってみたときに、割と有意義なものだと思われ
明日食べるものがないような生活であれば、きっと「お腹いっぱい食べたい」というのが、叶えたい夢になるのだろうし
貧困な生活から抜け出すために、サッカー選手に成りたいという夢を抱えている子供たちもいるだろう
才能などないことに気がついてしまった高校生や大学生が描く夢
有名な大学に行くこと自体が夢だった子供たちもいる
ビジネスや宝くじに、一攫千金を夢みる日々
若さが溶解ていく40代、50代でも描くことができる夢はあるだろうか
高齢化社会において、還暦以上の人たちが、まだまだ叶えられるであろう夢があれば、社会はもっと活気づくだろう
気候危機が叫ばれる中で、少しでも人類の生存確率を上げることにつながる「夢」をつくる
当の本人は「夢を叶えたい」と突き進んでいるだけ
知らぬまに、気がついたら、人類の生存確率が上がっている、そんな夢
金メダルを獲りたかった
そんなすでにある「夢のリメイク」もひとつの課題
たとえば、夢を叶えていくプロセスが、二酸化炭素を減らすことに繋がる、だとか
子供から老人まで、いつでも夢を描くことができる、そんな社会を
その夢を叶えるプロセスが、環境に配慮されたものであるだけでなく、叶うなら、環境を良くしていってくれるようなものであれば
そんな「夢」つくりたい、という夢
本日もご精度感謝🙏
とりあえず、アマモを植える競技をつくって、オリンピックの正式種目にでもしますかね…って、意外とアリかも
絵本を読むだけ、写真を見るだけで「脱炭素」からの「活炭素」よろしくです☟
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