ガチパラっ!(11)
神社の前を大名行列のような一行が通り過ぎていく
和の装いで、御神輿のようなものも担いでいた
「お祭りだねぇ」だとか「風物詩だねぇ」だとか
なんら不思議でもなんでもない
疑問が浮かんだとしても、きっと「なんの行列だろうね」だとか「なんのお祭りだろうね」くらいのもんだろう
日本のどこかであれば
だが、いまは…
このままだと頭の中から疑問符が溢れ出してしまう
そんな状態に陥っていた
誰もがそうなるのではないだろうか
それが南アフリカで
しかも、都市でも、観光地でもない
人里離れた?
いやいやそんな生易しい表現では物足りない
大自然に囲まれた
僻地中の僻地だとしたら
ー
サムライ、ハラキリ、ゲイシャにカブキ
着物というアイデンティティは見事なものだ
「和服」つまりは「日本の服」として、世界中に認識されている
着物を着るだけで、アジア人から一気に日本人となる
日本を表すアイコンとして機能しているからだ
それはスーツを着ていては叶わないことで、仮に欧米人がスーツを着ていてもそうはならない
スターウォーズの主人公が着ている服を見て、サムライを連想するほどに、世界の人々に認知されているのはなぜか?
それは、一旦置いておくとして、現時点でそうなっていることに、先人たちとその歴史の積み重ねに感謝したい、普段なら
ところが、そんなアイデンティティも、南アフリカの僻地で、しかも観光目的でもないとなると、途端にチグハグになる
そんなお祭り?儀式?は、大きめの広場の一部が、少し高くなった舞台のような場所で行われていて
奥には神社のような建物が見えている
その周りをたくさんの人々が囲み、見護っていた
かなりの数の人がいるというのに、あまりに鎮まりかえっている
かすかに響くだけの、鳥の囀りや、風の音が明瞭に聴こえるほどに
息すら潜めているのか…厳粛な空気というのがあるのであれば、これがまさにそれだ
最近は、日本人だって静かにしてられないだろうに、なんだか歌い踊る騒がしいイメージのアフリカの人たちが…
よく見ると、日本人…こちらは和服を着ていないので定かではないが、日本人らしき人たちもいた
いた、というよりも「いすぎ」だ
たくさん…いや、とんでもない数…
舞台の真ん中あたりに、ひとりの人物が現れた
それまで鎮まりかえり重苦しくすらあった空気が一変
鳴り響く割れんばかりの歓声と拍手
「あ、あれは…」
先程までであれば、多くの人が振り返ったであろうほどの声が出ていたはずだが、いまはすべての音がカキ消される
声とともに、頭の中の疑問符も、ついに限界を超えて溢れ出す
この歓声をもってしても、それはカキ消されそうになかった
(12)に続く☟
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?