雑文:あまりにも周回遅れのぼっち・ざ・ろっく評!

ぼっちざろっく面白いよなあ~。Tofuです。こんぬつは。

わたしは今まで家族でかじりついてみてたゆるキャン△くらいしか色つき美少女のきららアニメを見たことがなかったんですが、予想を超える傑作ぶりに当時は驚いたものです。
じゃあどこがすぐれてたのかな?考えてみました!

明暗によるキャラクターの心情描写

ぼっちざろっく、光がきれいですよね。やたらミームにされてる虹夏ちゃんのカワイイシーンしかり、ぼっちがきくりと一緒に路上ライブするシーンしかり、光によるキャラクターの演出がとにかくうまいです。
わたしが視聴してるストリーミングサービスの都合でみなさんに実例をお見せすることはできないんだけど、リアリティと希望、マイナスな感情で明確に光を分けてます。ここが本当に上手い。
例えば、ぼっちが観客に対する恐怖を克服するシーンは、電灯がついて(それも自然)片目を開けたときの光のきらめきをすごく効果的に使ったシーンで、わかりやすく、共感できるよいシーンだと思います。
同期(?すみません、アニメ・オタクでないのでアニメシーズンがわからない)のおにまいもここがすごくすぐれていた傑作だと思います。やはり光による演出は映画含む映像メディアのかなめですからね。

実験的な心情演出が面白い!

はい。これはインターネットで永遠にこすられてるとこ。ぼっちが溶けたり破裂したり、まあいろいろやったり、絵柄を変えて彼女の心情を描写するとこです。ここは面白い。でもただこればっかりやったんじゃ面白いとはならないはずです。
もともとぼっちざろっくは線画がきれいな比較的リアルなアニメです。だからこういった実験的な描写が浮いて=ぼっちちゃんの現実離れした思考が浮いて見えるんじゃないかな。
実験的な表現と、それで表現されているものがマッチして結果的に登場人物の深堀りを実現している。すばらしい選択だったと思います。こんなことなかなか…あったら教えて。

カメラワークが傑出している!

すいません、本当にすいません。ここで皆さんの大嫌いな「なにかをけなして何かをあげるやつ」やります。
例えば、「それが声優!」や「まちカドまぞく」などの萌えアニメを視聴したんですわたし。「それが声優!」のほうは、記憶する限りではできるだけ広くカメラワークをとって多くのものを描写する、説明的なカメラワークであったのと、「まちカドまぞく」は4コマ的な演出だったように思います。だけどそれじゃアニメとしての面白みがない!声ついてるだけでうれしい原作のオタクはいいけど、アニメ視聴者としては、「アニメであるからこそできる表現」が見たいわけで。
その点ぼっちざろっくは―原作をわたし読んだんですが―明らかにアニメと漫画で乖離がある、とまでは言いませんが、アニメと漫画である程度色を分けています。漫画のほうはシニカルな笑いを含んだ四コマ漫画であったように思うのですが、アニメはある種ドラマティックな画面作りでコミカルかつ動きのある表現に、それでいてシリアスに(ここは動きのある表現と合致しますが)演出できています。
表題のカメラワークとは離れてしまいますが、やはりアニメ独自の技術「カメラワーク」によって演出できるものはかなりあるので、ここがすぐれていると傑作ですよね。

オルタナティブな青春・学校の外の謳歌

まあやっぱり青春ものって言ったら学校なわけで。わたしが巨大な愛憎を込めつつ付き合っている「ウマ娘」も学園もので、まあ例えばシリウスシンボリみたいに学園と戦うキャラクター(戦いの巧拙は置いといてね!)でさえ学園から逸脱してるわけじゃありません(成績がいいところを見ると学園で生きていく意思はある)。
でもぼっちざろっくの革命的なところは、「学校から出る」ところだとおもうんですよね。ここら辺あたりは出色の方々が議論してらっしゃるところだと思うので、個人的な感想をば。
わたしは全日制高校を全うできなかったんですよね。途中で通信制に行っちゃって。で、小学校中学校とずーっといじめを受けていて、まあ最後の学年ではスケープゴートが別の子に移ったんでその年は比較的ましでしたが。まあ楽しくはなかったんでしょうね。でも苦しかったけれども、楽しいことはあったし、それは学校のそとだったりしたわけです。なので、そこがすごくうれしかった。学校行かなくていいよ!じゃないけれども、学校以外に居場所があっていいんだよ!っていう感じで。なんか、オルタナティブな生き方を肯定してくれるという点で、何にも代えがたい価値がある。わたしはそう思いますね。


いかがでしたか?みなさんもぼっち・ざ・ろっくを楽しく視聴できるといいですね!


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