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育児の沼は恐ろしい。

小さい頃から影響を受けやすいタイプで、一つの集団に属するとそのことで頭がいっぱいになっていた。
それ自体は、そんなに悪いことではなく、むしろその時々を一生懸命生きることが出来たように思う。

時々、友達から冷めた目で見られている自覚があっても、あんまり気にせず突っ走って生きてきた。

そんな私だけど「育児」の世界はちょっと危険だぞ!と、本能がいっている。

私は自然なお産を推奨する助産院で娘を産んで、すごく良い経験が出来た。それ故に、その助産院から派生する子育てのコミュニティーにも積極的に参加してみた。
もちろん市の福祉としての子育て支援にも色々と行ってみた。

その結果としてなんだか深入りは良くなさそうと最近思い始めてきた。
(ちなみに娘は今8か月。)

その理由について
一つ、「子供のため」は危険。
自分の子供は可愛い。本当にびっくりするほど可愛い。
子供のためにしてあげたい!その気持ち故に、産前気にしていなかったことを神経質に気にする人たちを見た。
科学調味料、テレビや動画の視聴、睡眠時間…。
一歳にもならないうちから始めるお稽古ごと。
下の子を妊娠した時に、上の子に迷惑をかけるかもしれないから出生前診断に高額なお金を支払った友人もいる。
どれも、神経質だなとは思うけどだからダメ!とは全く思わず、必要な視点だとは思う。
ただ、子供のためにしたいことにはきりがない。
また、見返りを求めていないつもりでも心のどこかで「こんなにしてあげたのに…」などと思ってしまいそうで怖い。
ほどほどな育児のほうが私には合っていると思った。

二つ目、私らしさを見失う。
これは私がいくつになっても幼すぎることが原因な気がするのだけど、育児で頭がいっぱいになると「私らしさ」を失ったような気持になる。
私の好きなことってなんだっけ?
何したいんだっけ?何食べたい?
私らしさってなんだっけ?
その感じがもぞもぞして気持ち悪い。

三つ目、正解がない。
育児の思想は宗教?って思うほど、あやふやでいろんな考えがある。
育児中、宗教の勧誘が多い。と、友達に心配された。
その理由が分からなくもない。
育児は孤独だし、一生懸命になればなるほど不安になる。
救いを求めてしまう気持ちは分かる。
それに、育児の思想は正解がなさ過ぎて、怪しいものも多い気がする。
母乳神話…。
先日、無痛出産に対して、「一度逃した痛みには必ず返ってくるから」と力説している育児界隈の人に合った。
流石に引いた…。(笑)
でも、それすらもしかして正解なのかもしれない。
痛かった出産で感動した気持ちも嘘じゃないから。
(とはいえ、次は無痛がいいんだ~でも、上のような言葉をメンタルが弱い時に自分がかけられたら無痛はダメなことって思っちゃいそう。)

私はおそらく子供が三歳になるまで保育園に預けることはしない。
(職場復帰できそうにないし、子供が三歳になるまでに転職できると思えないから)
だからこそ、育児界隈とうまく付き合っていきたい。
ほどほどに、私と娘が楽しいと思えることを選んでいきたい。


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