毒親との関係(いじめられる原因?)

 以前いじめを経験したことがあるという人と話をする機会があった。
いじめをしていた側である。
あくまでもその人の主観になるかもしれないが、
①いじめのターゲットは誰でもいいが、いじめやすい人。
②いじめる人ってターゲットを見分ける嗅覚は結構高いと思う。
という感じの話だった。

 いっとき、いじめにあった時期があって、高2の時のほぼクラス全員からのシカトはきつかった。専門学校の時は教員からのパワハラがきつかったし、社会人になってからもパワハラやモラハラで精神的に追い込まれることも多かった。
 いじめられる方が悪いのか?いじめられる方にも原因があるのか?という問いを何度も繰り返してきた。それで冒頭の話で腑に落ちた。
 常に相手に怒られないようにが優先で、他人の顔色を窺わずにはいられない。強く言われると固まってしまう。毒親が支配する家庭内でおどおどビクビク育った私は格好の餌食だ。

 調べてみた。
原因→ある物事や状態をひき起こすもとになること。またその事柄。
いじめる方が悪い。そして私は毒親によっていじめる人のターゲットになりやすいように育ってしまったのだなぁと思った。

 今、色々努力して、色々な手段で自分が受けた心の傷を修復している。しかし、長い歳月をかけて形成されたものは、その形を変えるのは容易ではない。

 話は少し逸れるが羽生結弦選手の離婚報道に関し、『羽生結弦選手が矢面に立って相手の方を守っているという』文言を目にした。この『矢面』という言葉を目にした時、私の場合は1つ上のきょうだいが矢面に立ってくれていたんだと物凄く実感した。
 私自身は、親子関係とは別の理由で高校卒業後に家を出て20年毒親と離れていた。一緒に住んでいた時も、私が家を離れていた20年間もこのきょうだいは前線で毒親と戦っていた。洗脳が解けていない私は悍ましくもこの毒親を崇めていたから、このきょうだいの動向をスパイのように毒親に報告していた。今思い返しても、自分で自分を殴りたくなる。

 完全にではないかもしれないが、洗脳が解け、毒親に翻弄された人生を振り返ってみるとやはり怒りが湧いてくる。毒親が毒親でなければ、あのハラスメントで苦しんだ日々はあそこまで苦しまずに済んだのかもしれないと思うと、このままでは終われないと思ってしまう。過ぎたことは水には流せない。流せることもあるが、これは流せない。

 今までなら言えなかった、毒親のミスを指摘すること・・・消費期限切れの食品を処分してそれをはっきりと伝える。まだ在庫があるにも拘わらず多めに買い物してきた時に在庫の存在を伝える。カレンダーに書いた予定を知らないと言われ書いてある物を見せながら前もって話した事実を伝える。こういう誰が見ても事実とわかる部分だけだが指摘することで、私はスッキリするし毒親はダメージを受けている様子。

 最後の最後に何をどうやって言おうかなと考えることが、ちょっと自分の支えになっている。一般的に過去は変えられないと言われるが、それでも何も言えずに攻撃されるだけだった子供の頃の私たちの悲しみが少しでも和らぐように、矢面に立たざるをえなかったきょうだいに代わって今度は私が前線で毒親をチクチク攻撃を続けていきたい。
 過去に伝えたことはあったと思うが、色々な考えを経た今、矢面に立たざるをえなかったきょうだいに対し、守ってもらっていたくせに毒親との物理的な距離ができると、洗脳が解けていなかったとはいえ裏切り続けていたことを謝りたい。
「ごめんね。」

 そして自分の子供に負の連鎖にならないよう、子供は全力で守る。だってこの子は勇者さまなのだから。

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