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スペースオペラの主役になれない

 私とラーメンの間には便意が常についてまわる。それも避けようのない急激な便意である。スープを飲み干す頃合いを見計らって、どてっ腹に鋭いのをえぐりこんでくる。またやってしまったかと後悔する間もなく、肛門括約筋が震えながら助けを求めてくる。すぐにでもトイレに駆け込みたいが、私が好きなラーメン屋のトイレの多くは、防音性能や防臭性能が心もとないのである。

 トイレはお店で一番の辺境かつ再深部に位置しているが、個室内においても注文をやりとりする声が鮮明にききとることができる。従業員の注文を復唱する元気な声だけでなく、愛想なくぼそぼそと注文を伝える客の声さえも聞きとることができる。なぜだろう、店員がもう一度聞き返すほど不明慮な発声なのに、客のやる気のない所作や風体さえ想像できるほど明瞭に個室まで届いてくる。

 また、多くの飲食店のトイレは、個室の扉の上部か下部どちらかに数センチの隙間をもうけていることが多い。このサービスはなんなのであろう。ライス無料や麺大盛サービスのように、胃腸が頑丈な人には嬉しいサービスなのだろうか。湿気や臭いがたまらないような配慮なのだろうか。もしくはトイレ内で倒れた人がいても隙間から確認できるようにという配慮なのだろうか。私の壊れかけのマフラーから発せられるガスは湿気と共に個室に閉じこめておきたいし、破裂音や爆殺音は誰にも確認されたくない。

 このような劣悪な環境で、決壊寸前の弱りきった括約筋だけをたよりに、出口を求めて荒れ狂う高圧ガスと、煮えたぎるマグマを制御しなければならない。とんだ災害パニックムービーである。無慈悲な山の神も私であるし、山のふもとの民を守るのも私である。脂汗と共に、おかしな考えが頭に浮かんでくる。

 私が個室の扉を開けるきっかけで、エアロスミスのあの曲をカットインさせて欲しいくらいの心境である。カウンター席のスタンディングオベーションを一身にあびながら、スローモーション演出で店を後にしてみたいものである。

 空を見上げると人類を救うために概念と化した男の笑顔が浮かんでいる。なんだろうすごく懐かしい響きがする。ブルース。いい名前。子供がいたらつけたかもしれない、なんて全米中を感傷に浸らせてみたい。

 現実の私は、お釣りを受けとるほんの刹那さえ、内また気味で小刻みなステップを踏んでいる情けない男である。自分の肛門さえコントロールできなくてなにが救世主なんだろうか。ごちそうさまでしたの声もそこそこに、目星をつけていた近隣のトイレに駆け込むのが私である。

 便意の恐怖が私とラーメンを遠ざける。目の端に白い暖簾をとらえながら、歩く速度を早める。のれんの白地に日差しがさしこんで、清潔感にあふれている。外出先で幾度も下着を汚した私にはとてもまぶしい。いつか、なんの屈託もなく、あの暖簾をくぐる日がくるのであろうか。スペースシャトルに乗りこめば、私でもラーメン屋にいけるのであろうか。

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