幕構成から考える『女の一生』の歴史認識について(2)
この記事タイトルの(1)では『女の一生』の幕構成と、あわせて舞台となっている堤家の商売が支那との貿易であることを紹介しました。ちょっとゆるい紹介になってしまったなあと思っていますが、今回は「なぜ『女の一生』という回想の物語が、日露戦争の旅順陥落から始まるのか」についての考察をしてみます。こちらは「へえなるほどね!」というお話になればいいなと。
『女の一生』は回想の物語である
前回の記事(1)にも書いた通り、『女の一生』は第一幕第一場と第五幕第二場という、いわばプロローグとエピローグに挟まれた形で、時系列上に物語が進んで行く大河ドラマになっています。具体的に言えば、初稿版(戦中)バージョンでは1942年正月、戦後バージョンでは1945年10月から始まり、1905年正月に時間が飛ぶという形です。回想のきっかけは同じく、けいが子供の時分に聞いた歌という趣向です(この歌についてもいつか触れる機会があれば書きたいところです)。
物語の始まりは1905年正月! 旅順陥落の日!
外の方で「敵は幾万」と軍歌の声。時々万歳々々の叫び声がつづく。(……)
ふみ みんなすっかり夢中のようね。むやみに提灯をふり回してるわ。
栄二 夢中にもなるさ、旅順の陥落は去年の七月から待ってたんだ。何処の町内でも三月も前から高張りや小旗の用意をして今日の日を待っている。あんまり何時までも発表がないもので癇癪起して折角造った提灯や旗を燃しちまったなんて話もあるくらいだ。
ふみ まあ、そうすれば旅順が早く落ちるとでも思うのかしら。
第一幕第二場の冒頭です。日露戦争の旅順要塞陥落を祝賀する提灯行列から始まります。物語上では、この日(正月)は堤家の当主の妻である堤しずの誕生日であり、そこに迷い込んでくる布引けいの誕生日という設定となっています。この日が旅順要塞陥落の日であるのは、そういった設定から導かれたただの偶然、たまたまそういった歴史的事実があったということなのでしょうか。
日清・日露戦争での遼東半島(旅順)の位置づけ
まずは『女の一生』のテキストを見て見ましょう。冒頭のすぐあとに日清戦争に行っていた叔父の章介による次のような台詞があります。
章介 私達が旅順を占領した時はたった一カ月でした。それでも私は自分の片足を埋めて戦いとったところだと思って有頂天でしたよ。ところがその年の暮には呆気なく遼東半島を清国に還付している。しかも今度はその、同じ旅順に半年の歳月と何十万の人命をかけているのです。
簡単に歴史を復習しておきましょう。朝鮮半島をめぐる権益争いから始まった日清戦争に勝利した日本は、下関条約によって清国から遼東半島の割譲を受けます。ですが、フランス・ドイツ・ロシアによる三国干渉によって、すぐにその権利を返還することになりますね。さらにその後、その返還させた遼東半島の旅順・大連をロシアが租借して軍港を築き上げて行ってしまいます。日露戦争は、こういったロシアの満州・朝鮮半島への進出をめぐって引き起こされた戦争です。(遼東半島の位置づけについてはたとえばこちらのネット記事をご覧下さい。)
ですから、章介の台詞の通り、日清・日露戦争のなかで遼東半島は特別な位置づけでした。乃木希典の活躍で有名な二〇三高地を攻略し、そして旅順要塞を陥落させます。それが1905年1月1日なのです。写真は陥落後の旅順港です。日清戦争から連なる日露戦争において、旅順要塞陥落が決定的な出来事だった、ということがお分かりになるかと思います。
戦時下の日本人にとっての日露戦争
さて、このような経緯の日露戦争ですが、戦時下の日本人にとってどういう戦争だと認識されていたのでしょうか。加藤陽子『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』を読んでいて非常に面白い指摘がありました。加藤陽子は、満州事変の際の調査団団長リットンが英国王立国際問題研究所で行ったスピーチを引用しながら、ここに現れている日本人の歴史観を指摘します。まずはリットンのスピーチを引用してみます。
あなたは日本が満州において十億円を費したといわれました。欧州大戦の際にはこれらの諸国はそれより遥かに多くを費し、今後長くその子の孫を苦しめる所の負債を背負いました。日本は二十万の精霊を失いましたが、これらの国々は何百万の生命を失いました。
これはリットンが日本の外務大臣である内田康哉に向けてしゃべった内容を語っているところです。リットンは日本の思い入れを理解しながら、第一次世界大戦の記憶を用いて日本側に反論しているわけですが、ここで登場する「十億円」「二十万の精霊」というのは何を指しているか、と加藤陽子氏は読者に投げ掛けます。この数字は満州事変においての犠牲ではなく、日露戦争における犠牲の数なのです。
ここに、日本人の満州に対する歴史的な記憶の特殊なところがあらわれている。二〇万人や一〇億円という数値は、当時の尋常小学校などで教えられていた数値で実際の日露戦争の戦死者(約一一万八千人)や戦費(一八億二六二九万円)とは異なっていますが、この数値は、一九〇四、五年の日露戦争のときの話なんです。/満州事変以降、建国までにこれだけかかった、既にたくさんお金を使ったんだから、満州国建国をなしにするなんて許さない、という言い方をしても不思議ではない。でも、そちらではなく、おそらくリットンが出会った多くの日本人は、日露戦争のことを話したというわけです。日露戦争で日本がロシアに勝たなければ、中国東北部は中国の手から離れてロシアのものとなっていたはずだ、という歴史の語り方は、当時の普通の日本人の歴史の捉え方でした。
日米大戦(そして敗戦)へといたる日本の戦争の歴史
森本薫『女の一生』は、初稿版では真珠湾攻撃によって始まった日米戦争・太平洋戦争から、戦後版では敗戦後の焼け跡から、一気に日露戦争の旅順要塞陥落へとさかのぼることで、日本の戦争の歴史をたどり直そうとしているのです。初稿版には主人公・布引けいによる次のような台詞があります。家の縁側で出征兵士達を見送りながら言う台詞です。
けい 私はこれ迄何度か此処に立って、今と同じような気持ちで、ああして出て行く人々を見送ってきました。日支事変の時、満州事変の時、世界戦争の時、日露戦争の時……何時、どの戦さの時もあの人達は、ああやって出て行ったのです。(略)昭和十六年十二月八日……今はもう去年になってしまいましたがね。明治の日清戦争からこちら、数々の戦争のすべての元に突き当る日だったのです。私たちは、もう長い間、この避けられない日の近づいてくる足音に耳をすまして来たのです。
いままさに起きている戦争の、あるいは終わってしまった戦争の「すべての元」へと辿り、追体験していく。それが森本薫『女の一生』の物語なのです。そしてその物語は、西欧の国々に振り回されながら再び権利を獲得した中国東北部の遼東半島にまつわる戦い、1905年正月の旅順要塞陥落という日露戦争の「神聖なる国民的物語」から始まることになるのです。
ドナルカ・パッカーン
日本文学報国会による委嘱作品
「女の一生」
―戦時下の初校版完全上演―
作:森本薫 演出:川口典成
2019/11/6-10 @上野ストアハウス
https://donalcapackhan.wordpress.com/
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