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幕構成から考える『女の一生』の歴史認識について(1)

『女の一生』の幕構成がどうなっているのかを整理しながら、なぜ『女の一生』という回想の物語が、日露戦争の旅順陥落から始まるのかについての考察をしてみます。
まずは(1)では『女の一生』の幕構成と、あわせて舞台となっている堤家の商売について説明します。

『女の一生』の幕構成について(初稿版)

初稿版と戦後版とでプロローグ(第一幕第一場)とエピローグ(第五幕第二場)が大きく異なるのですが、初稿版では次のような幕構成になっています。
第一幕第一場 昭和17年(1942年)正月
第一幕第二場 明治38年(1905年)正月
第二幕 明治42年(1909年)春
第三幕 大正4年(1915年)初夏
第四幕 昭和3年(1928年)仲秋
第五幕第一場 昭和3年(1928年)冬
第五幕第ニ場 昭和17年(1942年)正月

『女の一生』の幕構成について(戦後版)

戦後版で異なる部分は次の幕です。
第一幕第一場 昭和17年(1942年)正月 → 昭和20年(1945年)十月のある夜
第五幕第一場 
昭和3年(1928年)冬 → 昭和17年(1942年)正月の昼
第五幕第ニ場 昭和17年(1942年)正月 → 昭和20年(1945年)十月のある夜

この変更部分についての考察をするのも面白いのですが、今回はそこにはこだわらずに、まずはここで取り上げられている時代がどういう時代なのか、その時代背景をざっくりと見てみましょう(初稿版と戦後版との幕構成の比較については井上理恵『近代演劇の扉をあける ドラマトゥルギーの社会学』がよくまとまっていますのでお薦めです)。

それぞれの幕の時代状況について

それでは各シーンの時代状況を確認してみます。

第一幕第一場 昭和17年正月 — 真珠湾攻撃後
第一幕第二場 明治38年正月 — 日露戦争、旅順陥落
第二幕 明治42年春 — 1908 西太后死去、1910 韓国併合、1911 辛亥革命
第三幕 大正4年初夏 — 1914 第一次世界大戦勃発、1915 二十一箇条の要求
第四幕 昭和3年仲秋 — 1927 国共分裂、1928 三・一五事件、済南事件
第五幕第一場 昭和3年冬 — 同上
第五幕第一場 昭和17年正月 — 第一幕第一場と同じ 

それぞれのワードに詳しい方も、教科書で見たなあという方もいると思いますが、『女の一生』にはそれぞれの時代の事件が各シーンに見事に凝縮して折り込まれています。作家の森本薫が『女の一生』を構成する際に、布引けいという人物の成長(少女、大人の女性、妻、母、老境)の時期の選択はもちろんのこと、それぞれの時代をピックアップしたのは偶然ではなく、かなり意識的な作業なのです。それは舞台となる堤家の商売と関わっています。

舞台となるのは支那貿易商の一家

今回のチラシなどのあらすじには「時代の波に乗って一時代を築く貿易商の一家」と書いていますが、布引けいという主人公がたまたま居着くことになる堤家の商売は支那との貿易なのです(台本で「支那」と出てくるので時代状況を考慮した上で、ここでも「支那」という言葉を使います)。堤家の当主は日清戦争のときに支那貿易に目をつけ、三井や三菱に先立って取引を始め、財をなしているという設定です。ですから、中国、ひいてはアジアの歴史との関係においてそれぞれの時代が選択されています。堤家というひとつの家の歴史を見ることが、そのまま日本と中国との関係、そしてアジアとの関係に繋がって行くという見事な舞台設定です。
堤家の商売を手伝っている章介という叔父の言葉を借りれば、「清国の運命はアジアの運命に、つながっています。その清国の運命に関りを持ち出した堤家の将来は、見方によっては始末におえない厄介な泥沼に足を突込んだようなものですよ」ということですね。
実はこういった台詞があるのは、『女の一生』が日本文学報国会による委嘱作品であることにある程度の理由があるのですが、それはまた別の機会に譲りましょう。

次回の(2)では、ではなぜその物語の発端が「日露戦争、そして旅順陥落から始まるのか」についてひとつの考察をしてみます。

ドナルカ・パッカーン
日本文学報国会による委嘱作品
「女の一生」
―戦時下の初校版完全上演―
作:森本薫 演出:川口典成
2019/11/6-10 @上野ストアハウス
https://donalcapackhan.wordpress.com/

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