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【書評】柳敏榮『韓国演劇運動史』(翻訳:津川泉、風響社)図書新聞2021年2月20日号掲載

二〇二〇年という年は、韓国においては「演劇の年」に指定されていた。世界的なCOVID-19パンデミックによって通常の公演やシンポジウムの形態がとれない中、韓国演劇界は「演劇の年」のなかでMe Too問題や労働環境・福祉制度などを調査・研究する方針を定めたという。演劇(アート)業界において、やりがいという精神的対価と引き換えにした労働力搾取は現に存在し、封建・徒弟的な体質はいまだに引き続いている。業界に自浄作用を期待できるかというと言葉を濁すしかない状況があるなか、韓国演劇界が正面から業界体質に向き合い、建設的な議論を積み重ねようとしている事実から学ぶべきものは多いのだが、この「学ぶ」というのは非常に複雑で厄介な行為である。

どういうことかといえば、日韓の演劇交流が本格的・組織的に始まったのは一九九〇年前後からだと認識しているが(もちろん一九七九年の日本・劇団昴と韓国・自由劇場との日韓交流公演などが存在する)、ここ三〇年の交流がどのようなものだったのか、交流のなかで明らかになった日韓交流の困難さとはなにか、そういったことを振り返り「学ぶ」ための資料が乏しいように感じているのだ。それはもちろん交流事業のアーカイブが簡便に入手できる環境にない、というだけのことなのかもしれない。だが、一九九九年の韓日演劇人会議において韓国側から「演劇の協会同士だけでは交流として不充分であり、また歴史問題の解決に繋がらない」という問題提起があったとのことだが、その発言がどういうかたちで現在の演劇交流事業に生かされているのか。近年、日韓演劇交流事業に多少関わることになった一演出家として、そうした疑問(というよりは不満)を抱いていた。互いに交流し「学ぶ」ためには、記録ひいては歴史という要素の媒介が必要なのではないか。

柳敏榮『韓国演劇運動史』の日本版出版は(翻訳:津川泉)はそういった必要性に溢れんばかりの情報量で応えてくれる書籍である。本書の冒頭にはE・H・カーの言葉が引用され、「歴史とは、現在と過去との間の尽きることなき対話」と述べられているが、それは著者の姿勢そのものというべきで、著者は現在の演劇状況とその課題(二〇〇〇年が原著の出版年である)と呼吸しながら歴史的出来事を語っている。その熱量は一辺倒な歴史叙述にはおさまりきらず、著者による歴史的演劇人たちの想像的会話が入ってくるかと思えば、著者の演劇観による断定的美学批判が入り込むという次第である。それらは韓国という国において、啓蒙や近代という概念が歴史的両義性に揺れ動く様子を直截に反映する文体であり、この著書自体が著者による演劇運動そのものなのだ。時に日帝時代の残滓である新派的演劇手法を厳しい言葉で一刀両断し、日帝からの光復(解放)後、左翼の政治的手段となっていた演劇を観劇し憤った政治青年・金斗漢(のちの政治家)が、左翼演劇人をつけ狙い路上にて発砲した事件を「民族演劇の命脈の維持に役立った」と持ち上げる。歴史的背景を承諾しながらも正直たじろいでしまうのだが、そのタジロギにこそ本書の魅力があると言えるだろう。なぜ私はタジロギを感じるのか、そこに「学ぶ」という行為の端緒がある。

また「現在と過去との間の尽きることなき対話」としての記述は政治と芸術という古くて普遍的な問題へと接続している。日帝時代に韓国近代演劇を立ち上げようと奮闘した劇作家・演出家である柳致眞は、親日目的劇を制作したことを悔い、日本敗戦後に「今までわれわれがしてきた演劇はやりたくてやったものではない。家に帰ってこれまでの強要された台本を焼いてしまい、時を待ちなさい」と言い、一年間外出をせず懺悔の日々を過ごしたという。その後、一九六二年のドラマセンター開設の際に、ロックフェラー財団から支援を受け、一九六〇年の四・一九学生革命に便乗するかたちでドラマセンターの立ち上げ場所を確保し、さらに不足する援助金については、続く朴正煕の軍事クーデーターによる財政担当の人事異動を機に援助を取り付ける。開館公演「ハムレット」は朴正煕が観覧している。演劇運動は政治状況に対して距離や抵抗姿勢を示すだけではない。自らその政治状況を利用するように立ち振る舞いもする。こういった事象について著者の描写は両義的だ。政治的な立ち位置だけで演劇人を判断するわけにもいかず、一方で演劇的成果だけで判断するわけにもいかないのである。マダン劇についても同様で、マダン劇のもつ政治批判的運動性を強調しながらも、それが朴正煕時代の伝統文化復元政策にひとつの出自があること、またマダン劇が硬直した社会主義リアリズムと相似形にあるとの批判があったことを紹介する。

柳敏榮『韓国演劇運動史』には著者が歴史から「学ぶ」、その複雑で厄介な行為を実直に行う様子が描かれている。著者は演劇創造の場で本書が実践的に役立てられることを望んでいる。日本語に訳された今、日韓演劇交流において「学ぶ」という行為が、さらに豊かな可能性へと開かれた。(川口典成・舞台演出家)


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