【note】「また、逢いましょう」あの夏の日の言葉

2020年夏、元日本代表の名サイドバック、内田篤人選手が引退しました。あの時の挨拶の締めの言葉が、「また、逢いましょう」でした。私的には2020年の流行語大賞級の言葉だと思っています。あの時は、今度は指導者として鹿島に帰ってきて…なんて呑気な(決して呑気ではないけれど)ことを言ってたが、2020年は、気軽に人との交流ができる世の中ではなかった。そして今年の正月もその状態は収束する気配を見せませんでした。

私のSNSにおける新年の挨拶の締めに「また、逢いましょう」と綴りました。同じ言葉を使ってた人が何人もいました。みんな、私と同じ思いだったようです。

2020年に逢えなかった分も含め、2021年に逢いましょう。逢えるような世の中になることを祈願しましょう。そのために、今は色々なことを忍びましょう。


でも、箱根駅伝の放送を観て、私は現実を目の当たりにします。皆が皆、同じ思いをしていないことを。時代の流れで、自分至上主義、同調圧力と戦う、他人のために我慢することはない。…本当は1995年の阪神淡路大震災の裏話でも聞いていましたし、東日本大震災や熊本地震などの大災害でも、そのことを見聞きしました。

それでも、今日の耐えがたきを耐え、忍び難を忍びたいと、思います。明日のために…

明日という字は、明るい日と書きます。明るい光が再び差してくる日が来ますように…そして

また、逢いましょう

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