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「丁寧な言葉遣い=敬語」ではない。敬語の本質を考える。

街中で耳にするマニュアル敬語。
お客様を待たせてイライラさせないよう、長い文言を早口言葉のように言い切ろうとする光景。

ありふれていてもはや慣れてはいるが、今日は『敬語』について考えてみたい。
対面の接客業だけでなく、私が身をおくカスタマーサポートの世界にも深く関わりのあるテーマだ。

敬語とは(おそらく)一般的に、尊敬語や謙譲語、丁寧語を駆使して相手を敬う言葉遣いだとされる。
ただ、実際はどうだろう。
相手が自分に対してとにかく敬語を使うことに一生懸命になって、マシーンのような言葉遣いをされたとき、なんだか変な感覚を覚えたことはないだろうか。

ここで1つ言えるのは、

相手にストレスを与えているのなら、それはもはや敬語ではない

ということ。

これ以降は文法における『敬語』ではなく、それを発話するシチュエーションや方法も含めた、包括的な『敬語』について考えてみたい。


回りくどい言い回しはストレスを与えやすい

昨今の敬語トレンドでいえば、真っ先に出てくるのが「させていただきます」であろう。
とにもかくにも、猫も杓子も、語尾に「させていただきます」を付けておけば失礼にはならないだろう、と思われている。
まあ別にそれでもいいのだが、難点をあげるとすれば以下があるだろうか。

  • 発話するには長すぎる

  • 何度も繰り返されるとイライラする

音声で表現するとき、長すぎることは禁物だ。
語りや歌唱などのように、相手を酔わせるだけの技量があり相手もそれを求めているのなら話は別だが、通常の会話や何かを案内するとき、長すぎる言葉は総じて良い印象を与えない。

「させていただきます」を使ってもいい。使ってもいいが、頻出させないこと。
そのためにも、基本的には「いたします」を使っておくのが無難な気がする。「する」の謙譲語「いたす」だ。
スッと短くシンプルに言え、かつ丁寧な印象も与えられる。「させて+いただく」のようなくどさもない。
個人的には、使い勝手のいい敬語の1つだ。


どんなに良い表現でも繰り返しはNG

個人的には優秀敬語にランクインする「いたします」だが、当然これも執拗に繰り返すともはや敬語ではなくなる。

さきほどの内容で注文いたします。
お荷物が到着いたしましたら、梱包いたしまして、ご自宅に発送いたします。
納品書も同梱いたします。

同じ表現の連発は、雑で幼稚で心が籠っていない印象を与えるので、注意深く避けたいところだ。
日常的にこれをやってしまいがちな人は、訓練するしかない。
逆に言えば、訓練すれば概ね改善することが多い(と私は思う)。


細かな研修のある職場なら見かけると思うが、言葉遣いや相槌はバリエーションが豊富な方がよい。

  1. 承知いたしました/かしこまりました/承りました

  2. ありがとうございます/感謝申し上げます

  3. お手数ですが/お手数をお掛けいたしますが/恐れ入りますが/恐縮ではございますが

  4. はい/ええ/さようでございますか

ザザッと書き出した一例ではあるが、このように似た意味でも様々な言い回しがある。
慣れないうちは紙に書き出して持っておくなりなんなりして、実際のコミュニケーションで使ってみることが重要だ。
繰り返し使っているうちに自然と語彙力・表現力が広がり、過剰な繰り返し表現による脱線『敬語』を回避できるようになる。


冒頭と末尾に気を遣えば大丈夫

繰り返し表現とも関係してくるが、敬語表現はぶっちゃけ、冒頭と末尾だけ気をつけていれば問題ない。
実は、すべての文章を丁寧にする必要はないのである。

例えば、前出の例文を手直しするとこうなる。

さきほどの内容で注文いたします。
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いた しましたら、梱包 いたしま し  、ご自宅に発送
 いた します。
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真ん中の文に散りばめられていた敬語表現をちょいちょいと消してみた。
文面で直接比較すると表現の差異が気になるかもしれないが、AグループとBグループに分けて調整前と後の文章をそれぞれ聞かせたら、正直大差はつかないと思う。
むしろ、調整後の方がシンプルで短い表現となり、より好印象になる可能性まであるだろう。

人間はそれほど集中力のある生き物ではないので、最初から最後まで一定の集中度で耳を傾けている人はまずいない。
よく言われるように、初めと終わりがちゃんとしていれば、真ん中の部分はたいして気にならないのだ。


加えて言うと、句点「。」で区切られた一文一文に複数の敬語表現が詰め込まれると、これもくどくなる。

お荷物が到着 いたしましたら 次第、梱包 いたしま し  、ご自宅に発送いたします

このように、句点の手前、つまり一文の最後だけ丁寧にしておくのが無難だ。

敬語の多さと説明の分かりやすさは、しばしば反比例する。
敬語を意識するあまり、同表現の繰り返しが増えて長ったらしくなり、全体的に間延びして分かりづらくなるくらいなら、締めポイント以外はシンプルにした方が伝わりやすい。


早口はすべてを台無しにする

早口はやめよう。
どんな優れた表現も敬語も、ちょっとした早口で一瞬のうちにかき消されてしまう。
相手から早口を要求されたのなら別だが、そうでない場合、雑な印象と大事にされていない感覚(リスペクトの欠如)、聞き取りづらさにより、相手に多大なストレスを与える。

もう一度言う。

相手にストレスを与えているのなら、もはやそれは敬語ではない

ここで少し振り返ってみたい。
前述の「させていただきます」や過剰な繰り返し表現は、結果的に長文化を招く。
長文になるということは話し終えるまでに時間が掛かる。
時間が掛かると相手を待たせることになる。
待たせるのは嫌だからどうしても早口になる。

そう。
よりシンプルに、要所要所でのみ敬語表現を用いることは、結果的に早口を予防することにも繋がるのだ。
全体的に文章ボリュームが抑えられ、適度なスピードにコントロールされた発話は、格段に相手に伝わりやすい。
分かりやすいし、同時に心地よいのである。


テンプレをテンプレぽく読まない

世の中にはテンプレートというものがある。マニュアルというものもある。
嫌う人も多いかもしれないが、これのおかげで自信を持てたり品質が底上げされたり、効率的になったりすることはよく知られている。

だから、テンプレート自体に大きなデメリットがあるわけではないのだが、テンプレートを何も考えずテンプレートのまま使ってしまうと良からぬ印象を与えることになる。

九九を唱えるように『敬語』を使われたところで、そこに自分へのリスペクトを感じる人はまずいない。
抑揚に乏しく早口で一方的な ‘読み上げ’ は、機械のような冷たい印象を与える。
‘セリフ’ をいかに噛まずに素早く唱えられるかしか考えていないような素振りは、相手に確実にストレスを与え、結果的に、これもやはり敬語ではないのである。


では、テンプレートの使用を一律にやめるべきなのか。
決してそうではない。
テンプレートを「自分の話し方に落とし込む」ことさえできれば、テンプレートは見事な『敬語』になる。

テンプレートは言い回しのお手本でしかない。
どう発話するかはその人次第、人それぞれにいわゆる「書式設定」がある。
リズム、抑揚、息継ぎのタイミング、声量、、普段の自分の話し方に当て込むことさえできれば、テンプレートはもはやテンプレートではなく、‘あなたの言葉’ になってくれる。
自分なりの書式設定ができるかどうかが大事なのである。


時にはタメ口が『敬語』になることもある

お客様対応をしていると、時には相手が「丁寧語なんかいらないからとにかく短くスピーディーに説明・指示してくれ」と求めてくることもある。

そんなときは、「短くスピーディーな」を最優先にしたタメ口や最後まで言い切らない単語の羅列が、相手にとっての敬語となることもある。
相手の要求を右から左に流して、頑なに長ったらしい丁寧語・尊敬語・謙譲語を使い続けることは、むしろ相手をリスペクトしていないやり取りとなる。

相手にストレスではなくリスペクトの姿勢を感じ取ってもえらるか、が包括的な『敬語』の本質なのだ。

※ただ現実問題として、会社に雇用されている一従業員がそこまで柔軟なやり方をできるかというと、難しいことが往々にしてあることは念のため断っておく。


文面(文字コミュニケーション)でもポイントは同じ

ここまで触れてきた内容は、発話ではなく文字で伝えるときにおいても、概ね共通するものだ。
例えば、連続する複数の文章において同じ語尾を使い続けると、くどい印象を読み手に与えるのでやらない方がいい。

~だと思います。~だと思います。~だと思います。
~でした。~でした。~でした。

それから、全体のボリュームを抑えることや分かりやすさが重要なのは、文字コミュニケーションでも変わらない。
特に、操作手順の説明文などは、丁寧な言葉遣いより分かりやすさの方が100倍大事なので、極力それをやった方が良いと考える。

  1. 本体側面にスイッチがありますので、ONに切り替えてください。

  2. 正面のランプが点灯したことをご確認いただけましたら、ふたを開けていただきます。

  3. 内部に水300mlを注ぎ、30分お待ちください。

  1. 本体側面のスイッチをONに切り替え

  2. 正面ランプの点灯を確認し、ふたを開ける

  3. 内部に水300mlを注ぎ、30分待つ

いかがだろうか。たったこれだけの手順説明でも文字の分量がこれだけ変わる。
今回は3つの手順だけだが、もっと長い手順説明や手順説明以外も含めた文章全体で比較すると、雲泥の差となる。
不要な丁寧表現を排除した分かりやすい文章の方が読み手に優しく、それは読み手にリスペクトや満足感を感得させ、結果的に『敬語』として機能するのだ。

丁寧表現を入れるなら、冒頭と末尾だけでよい。始まり方と終わり方さえ間違えなければ、丁寧な印象を与えられる。
印象なんて、案外そんなもんである。


まとめ

さて、ここまで包括的な『敬語』について、様々な要素に着目しながら考えてみた。
「敬語表現を使っているから敬語だ」というのは、実は浅い理解で非本質的ではないか。
そんな思いから書いてみた。

とどのつまり、口調・話すスピード・声色・抑揚・表情・目線・態度・姿勢などを通して、相手に対し何らかのリスペクトを示し、それを相手が感じ取った瞬間に、あなたが発する言葉は『敬語』となるのである。


'22/02/28 最終更新

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