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迷惑は「掛けちゃいけない」ものじゃない。「いつ掛けるか」が大事だ。

他人に迷惑を掛けちゃいけません

ほとんどの日本人は、小さい頃から何度も何度もこの言葉を聞いて育ってきたのではないでしょうか。

昔から醸成されてきた島国日本独自のものなのか、はたまたどこかの時代に輸入されて日本風に進化・定着した価値観なのかはわかりませんが、私たちにはとても身近でありふれた共通認識です。


ありふれて疑いもしないものですが、私はもし自分に子どもができて社会での振る舞い方を教えるとなったとき、「迷惑を掛けないようにしなさい」という言い方はあまりしたくないと考えています。
それよりもこう言いたい。

今は迷惑を掛けていいときかどうか考えなさい。
そして上手な迷惑の掛け方をしなさい。

子育ての難しさがあまりわかっていないので理想論になっているかもしれませんが、「迷惑を掛けることは悪いことだ」という教え方はあまりしたくないのです。
だって、それを信じ込んでしまうと、いざというときに自分を守れないから。

だから、迷惑は掛け時の見極めと、上手な掛け方が大事だ、と伝えたいのです。


極論を言えば、私たちはこの世に生を授かってオギャアと叫んだときから、迷惑を掛けています。
それは「迷惑」じゃないよと言う人が多いと思いますし、誕生した命を慈しんで保護するのは、先に生きている私たちの責務です。

でも、そこに肉体的・精神的負担が生じていないと言うと、それは嘘になります。
後から振り返って、解釈上「愛おしく大切な迷惑」にはなるかもしれませんが、迷惑を掛けていることに変わりはありません。

だから、迷惑を掛けずに生きてきた人などいません。多いか少ないかはあっても、ゼロの人はいません。
「迷惑を掛けながら生きる」というのは人間の原罪なのです。


「迷惑を掛けるな」という教えは、ほどほどの濃度で世の中に共有されているうちは、多種多様な人間たちが共同生活を送っていく上で、バランスを保つ助けになってくれるかもしれません。

でも、煮詰めてはいけません。煮詰めて必要以上に濃くなった「他人に迷惑を掛けるな」は、ときに人を殺します、追い詰めます。

ものすごく苦しいとき、しんどいとき、必死に試行錯誤しているとき、チャレンジをするとき(その他多数・・)にまで、「他人に迷惑を掛けちゃいけない」を背負う必要はありません。
むしろそれは『迷惑の掛け時』です。

誰しも長い人生の中でアップダウン、山と谷がありますが、
落ちたとき・不安定なとき・谷にいるときに迷惑を掛けなかったら、いったいいつ掛けるんですか?
取り置きして溜まってるその迷惑、いつ掛けるんですか?

今でしょ!

↑林さんから拝借


人生には必ず、他人に頼ったり世話掛けたり助けてもらうときがあります。
仕事を辞めたい、と思ったときに心得ておきたいこと』でも書きましたが、人生で迷惑の掛け時は何回も出てきます。

そういうときに、今だ!とばかりにちゃーんと上手に迷惑を掛けられるセンスが必要なのです。
「他人に迷惑を掛けちゃいけない」を頑なに信じ込んでしまうと、ピンチのとき(あるいはチャンスのとき)にまで自分で自分の首を絞めることになります。

迷惑は、掛ける⇔掛けないではなく、いつ掛けるか、が重要です。


'22/01/02 最終更新

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