本当はバズりたい。
唐突だが、俺は面倒臭い人間だ。いや正確には「面倒臭いくらい複雑に絡み合ったコンテンツとかストーリーとか、そう言った事柄に強烈に心惹かれる。」と言った方が正しいのだろうか。
小説でも漫画でもテレビでもいわゆる「伏線」が大好きで面倒臭い。野球でも、終盤戦で監督の意図が見え始めると、序盤の展開に合点がいって面倒臭い。歌詞なんかでもストレートに言わずに「その表現、上手いこと言ったなぁ」ってヤツの方が好きだからこそ面倒臭い。結果、俺は面倒臭い人間なのだ。
ただ最近、面倒臭い物事は敬遠されがちだ。「10秒のショート動画で表現しないと見てくれない」とか「コラムでも長文はNG」とか「単純なフレーズだけをひたすら繰り返す曲が流行る」とか、何せ脳内のフィルターを通らずに体感できるコンテンツが主流になってしまった。
まだ「結論から先に言ってくれ」なんて言われても「欧米か!」で済む話なのだが、最近は「結論だけ短く纏めて言ってくれ」になってしまって、それが何とも生き辛い。それだと結果的に「◯ね」とか「◯す」何てワードだけが乱用される世の中になるよね。
俺なら「お星様になってしまえ」とか「精霊の森に誘うぞ!」とか表現するのにね。あぁ、それだと結果は同じか。面相臭いだけ野暮なのか。
多分そんな傾向は2,000年代くらいから始まっていたのだろう。ブログブームが真にそれで、文章は4行くらいで、行間をしこたま開けて、写真とか多めに貼ってって時代がそれだ。果たしてそれはブログなのかって時代で。確かに当時の御大の音楽作品もケバケバしいサビのパートから入る曲がやたら多かった。
今はそれがSNS動画に移行しただけ、「15分で作る本格イタリアン」のレシピ動画を1分で纏める時代だ。本格って言葉と麺の茹で時間だけ置いてきぼり。20秒の猫のアクビ動画で癒されるとか、そんなん大して疲れてないですやん。いや、逆に20秒の猫に癒されてしまう程、現代人は疲れきっているって事か。
ただこれはもう、俺たち中年層のエンタメ従事者に与えられた最後の使命なんだと思うようにする。「長くても短く感じる作品」「複雑さが逆に爽快な作品」そんなものを追い求めて世の中にリリースし続けるしかないのだろう。「手が込んでいるから上質」。本来はそれが唯一の正解なんだと思うし、バズる動画ネタだけ探し続ける世界線とは一線を画し、作り手の手が込んだ作品を作り続けて行けたらなと思う訳で。
まるで1点差のマウンドの平野佳久が、ワンナウト1塁3塁のピンチを作っておきながら、最後の打者をセカンドゴロのゲッツーに切って取るみたいな。見ている俺たちより3人の内野手の方がよっぽど緊張しただろうなって、手が込んで痺れるような展開を面倒臭く作って行きたいよね。
て事でTwitter、いや今はXか、の文字数では表現できないような事をこのnoteに綴って行きます。
要はそれが言いたかっただけで、どう?手が込んでるでしょう?
DOMI
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