AppleのVision Proがヤバい件
にわかせんべいの画像を貼ったりしてふざけてるのかと思われるかも知れないが、大真面目である。ヤバい。今回の発表はマジヤバいと思う。
私は1991年のMacintosh Classicから始まって、Macはもう何台買ったかわからんぐらい買っている、筋金入りのマカーである。当然毎年のWWDCとかはMacの前に裸で正座して観る(嘘です。大抵寝落ち)。
今年はVRゴーグルが出るというのは既にもっぱらの噂だったわけだが、散々噂されたあげく全然発表されない、ということもよくあったから、出るのは半々ぐらいではないかと思っていた。
ところが今年はついに例の伝家の宝刀「One more thing…」が炸裂した。そこから怒涛のように紹介されたそれは想像の遥か上をいくものだった。
発表の時点では当然、二次元の映像で「それ」は紹介されるわけで、「盛り気味」のプロモーション映像になっているもの、と思っていた。
しかし、その後特に限られたメディア関係者が実際に「体験」したレポートが上がってきたのを見るにつけ、どうやらそうそう「盛っていた」わけでもないらしいことがわかってきた。
まず、通常のVRゴーグルはバーチャルの世界に「没入」するのが前提だが、最近は「没入+リアルワールドのミックス」である「MR」も出てきている。外向きのカメラによる外界映像とVR映像を合成するものだ。
しかし、AppleのVision Proはそこにさらに「VRに没入してない周りの環境と、没入してる自分」とをシームレスに繋ぐ仕組みを入れてきた。
従来のこの手のゴーグルの難点の一つは、掛けてしまうと周囲がちゃんと見えない(MRのやつは被った事ないけど、あんまり良いという話はきいたことがない)こと。ところが試用レポによると、Vision Proを掛けたまま「普通に」室内で行動できる、というのだ。
もう一つが、仮にそうやって「掛けてる人」が「外も見えている」としても、それが周囲の人からはわからない、という点があった。当たり前だ。わかり様がないし、それが「解決しなければならない課題」であることすら想像できなかった。
しかしアップルはこれを斜め上の方法で解決してきた。まず、使用開始時にVision Proの「外向きのカメラ」でもって自分の姿を撮影する。たぶん、iPhoneの顔認証のようなやり方で顔をグルグルしたりしながら撮影すると思われる。そのデータを使って、自分と瓜二つの「アバター」が生成される。
そしてVision Proには「外向きのディスプレイ」が正面に付いているのだ。なんでそこまでするか?という気がするが、ここのこだわりがいかにもアップルらしい。そしてそのディスプレイ上に先のアバターの「目の部分」を投影し、しかも内部のセンサーで読み取った目の表情や視線を反映して表示するのだ。
この映像をキーノートの途中で見たときは、「あーそうかVRゴーグル自体は半透過にできるのか」と漠然と考えていたが、よく考えたらそんなことしたらVR映像をどうやって目に投影するんだ、ということになる。
だから「わざわざ外向きのディスプレイ」に「合成した3Dの自分のアバターの目」を表示するという、この一見超非効率な大仰な仕掛けに驚愕するとともに、アップルがここまでしてこのUXに注ぎ込んでいる理由があるのだな、と考えざるを得ない。たぶんそれは実際に掛けると分かる事なのかも知れない。
この部分について試用した人たちのレポートを見ると、デジタルクラウンを使って「没入している状態」に外界の人が声をかけてくると、その人がリアルに立っている位置の映像がふわっと消えて、あのキーノートの映像のように「スッ」とVR世界に闖入してくるかのように表示されるのだそうだ。
言葉で書くとそれだけのことだが、これをシームレスに実現するためにどれだけのセンシングと計算をやってのけていることか・・・普通の企業なら、もし仮にそのような企画仕様が持ち上がっても「フフッ、できればいいですね、じゃあ、現実的な仕様の検討しましょうか」と言われるのがオチだ。
さてここまでは外観上の特徴と機能の話なのだが、このゴーグルの真の価値はここからだ。以前自分はOculusのゴーグルあるいはマイクロソフトのアレとかを掛けて試作のソフトを使ってみたことがあるが、正直いうと「面白いけど、実用には程遠い」という印象を持った。
その試作ソフトは例えば「これを掛けて、仮想のオフィス空間で仮想の画面上でWebブラウズができたり、資料を閲覧したり、3Dモデルをいじったりできます」というようなものだったが、正直「ふーん、面白いですねフフフ」以上のものではなかった。画像は粗いし、謎のコントローラーを持って器用にコマンドを操らないとろくに使えない代物で、とても「これは将来すごいことになるぞ」などとは思えなかった。
※この世界にあんまり詳しくないので、本当は「もうちょっとマシなもの」が既にあったのかも知れないが、寡聞にして知らない。
一方今回のVision Proだ。自分はまだ実物の外観すら見ていないから判断するのは早計なのだが、試用した人のレポートを見ると一様に「感動した」「高精細なMacの画面が目の前に浮かんでいる」「普通に使えると感じた」などと絶賛の嵐である。彼らは喜び勇んで発表を見に行っているアップル大好き人間であろうから多少は割り引いて考えないといけないにせよ、少なくとも「画質」とその「体験」の質について、ネガなコメントはほとんどなかった。
これはその分野で初めての製品にしては驚異的なことだ。このあたりからも、アップルがこれに賭ける意欲が並々ならないことが伺える。リソースが足りないからと、しょーもない出来損ないを出して「今後良くなりますから〜」というのではなく、最初から「Pro」を冠して徹底的に作り込んだものを出す。「コンセプトは面白いけど、出来はイマイチですね」などといったつまんないコメントを一切許さず、最初からガツーンと圧倒してやろう、ということか。
思うことがいろいろ交錯して文章が散漫になってしまうがご容赦いただきたい。思うにこのVision Proは、80年代にウォークマンが「音楽をイヤホンで聴いて自由になる」という新しい体験を実現したのと同じこと、いやそれ以上のことを「映像」に対してもたらそうとしている。
それまでスピーカーを介して聴くのが当たり前だった音楽を、空気を介さずに直接耳という感覚器官にブチ込むのがヘッドホン/イヤホンだった。同様に「ディスプレイに映ったものを少し離れて見る」のが当たり前だった映像を、直接目に届けるのがVRゴーグルな訳だが、残念ながらこれまでは「まともに使える」クオリティ、体験を提供してくれるものがなかった。ついにこの状況にVision Proが風穴を開けたように思える。
2007年にジョブスが初めてiPhoneを見せた時も「これはエライことになった・・・」と思ったものだが、久々にその時以来の、いやもっと凄いことが起こりそうな予感がしている。
今はみんなまだ「えー50万?たかーい」とか言ってスルーしているかも知れないが、10年経ったらいろんなところで急激に使われ始め、20年後には「使わないと仕事にならない」「これない生活は考えられない」みたいなことになっていてもおかしくない気がしている。
そしてその頃ジジイになった私は子供にこんな風に言われているのかも知れない「おじいちゃんVision使ってって言ってるでしょ?なんで使わないの」。いや、喜んで先に使うかな?値段次第かな・・・
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