検察庁法改正問題の背景を考える
この問題、既に論点は出し尽くされてる感があるのですが、あまり言及されていないのは、「官邸と法務・検察当局との人事権争い」という側面です。これまでのように検事総長人事を自立的に決定していきたい法務・検察当局と、検事総長人事についても介入を行いたい官邸との争いが背後にあるのではないか、というのがわたしの推測です。
官僚の人事権の歴史
まず、そもそも日本における幹部検察官の人事というのは基本的に法務・検察当局が決めていることで、内閣・官邸はそれを追認するだけというのがこれまでの流れとしてあります。
同じことは他の官僚人事についても言え、名目的には内閣が人事権を持つのですが、実質的に人事権を持つのは官僚組織でした。
この慣例が崩れ、官邸が官僚人事にかなり強く口出しできるようになってきたのが最近の流れです。
まず、2014年の内閣人事局の設置により、指定職相当の幹部公務員の人事権が各省庁から内閣人事局に移ります。
この内閣人事局の設置については、政権交代前の旧自民党政権時代から検討され、設置について法律までできていましたが、民主党政権の誕生により、いったん頓挫することになります。
政治主導を掲げた民主党政権下でも、同様に官邸が幹部公務員の人事権を握るための機関の設置については検討されたのですが、結局、設置に至ることなく再度政権交代が起こり、第二次安倍政権下で内閣人事局が誕生することになったわけです。
これによって、ほとんどの官僚組織の人事権を実質的に官邸が掌握できるようになったのですが、例外が法務省・検察庁と裁判官でした。
後者の裁判官については、こちらも名目的には内閣が人事権を有しますが、最高裁事務総局が実質的に人事権を掌握しています。
最高裁の判事についても、誰かが退官するときは、その人の出身枠(最高裁判事は職業裁判官枠や検察官枠、弁護士枠などがあります)に応じて、出身組織が後任者を推薦して(たとえば弁護士枠の最高裁判事が退官するときは日弁連が後任者を推薦する)、内閣がそのまま任命するのが慣例となっていました。
その慣例が、第二次安倍政権になってから崩れます。
有料記事ですが、無料部分だけで意味は通ります。
要は推薦はそのままですが、2人以上推薦を持ってきなさいということですね。これにより内閣(官邸)は選択権を行使することができます。
更に、第三次安倍政権になってからは出身枠や推薦も度外視した形で最高裁判事が任命されました。
この記事はかなり批判的に書いていますが、要点としては、「弁護士枠出身の最高裁判事が退官する際に、日弁連の推薦者リストに載っていない、実質的に弁護士としての活動実績がない、学識経験者を後任者として任命した」ということです。
このあたり、内閣(官邸)はかなり自由に人事権を行使しています。もちろん、名目上最高裁判事の任命権を有するのは内閣なので、慣例に従わなかったからといって、なにかしら違法なのかというとそうではないことはここで言及しておきます。
あと、このとき任命された山口厚最高裁判事は、刑法学者としてメチャクチャ有名な人です。司法試験の刑法学習のための基本書でまず真っ先に名前が挙がるレベルですので、最高裁判事としての資質がないということは絶対にないです。
前置きが長くなりました。ここからいよいよ法務省・検察庁の話になります。
法務省・検察庁の人事
まず、検察官の定年というのは、検察庁法で決まっており、検事総長は65歳、その他の検察官は63歳が定年で、誕生日の前日に定年退官することになります。
つまり、検事総長だけは定年が2年長い。ではここで、検事総長の一覧を見てみましょう。
2000年以降の検事総長は、1)法務省事務次官経験者で、2)おおよそ2年の在任で退官しています。
例外は、大林宏(半年で退官)と笠間治雄(法務事務次官経験なし・1年半で退官)の2人ですが、これは2010年に大阪地検特捜部の証拠改竄事件が起こり、大林検事総長が引責辞任することになったことにより、ピンチヒッターとして元々東京高検検事長で退官予定だった笠間治雄が検事総長に就任したからです。
笠間検事総長の在任期間が1年半なのも、元々大林検事総長が在任するはずだった期間在任していたと考えるとつじつまが合います。
逆に言うと、大林検事総長時代には既に笠間検事総長の後任である小津博司氏が次期検事総長になることはほぼ確定していたが、大林氏が引責辞任した際の小津氏はまだ札幌高検の検事長だったため、序列的に就任が難しいという事情もあったのでしょう。
なお、検察庁の人事序列は検事総長>東京高検検事長>大阪高検検事長>名古屋高検検事長>福岡高検検事長>次長検事・広島高検検事長>札幌高検検事長・仙台高検検事長>高松高検検事長>法務省事務次官という感じだと思われます。
Wikipediaでは次長検事が東京高検検事長の次の序列と書いてありますが、次長検事から名古屋高検検事長になった池上政幸(現最高裁判事)や青沼隆之(名古屋高検検事長で退官)の例があり、逆の例はないため、次長検事は名古屋高検検事長よりも下のポストということになります。
現職の堺徹次長検事は仙台高検検事長から次長検事となっており、過去に同様の事例もある一方で、次長検事から仙台高検検事長という事例はないため、仙台高検検事長よりは次長検事の方が上です。なお、広島高検検事長と次長検事は広島高検検事長から次長検事に異動した例と、次長検事から広島高検検事長に異動した例の両方があるため同格ということになります。
また、広島から福岡の異動事例は複数ありますが、逆はないため、上記のような人事序列が推測されます。
さて、次に法務省事務次官の一覧を見てみましょう。
原田明夫氏以降、現任の稲田検事総長までの歴代事務次官全員が検事総長になっています。
歴代の検事総長の経歴を見ても、基本的には法務事務次官→地方高検検事長or次長検事→東京高検検事長→検事総長というコースをたどっており、それがゴールデンコースなんですね。
さて、これでいくと、話題の黒川弘務氏は法務事務次官→東京高検検事長という経歴で、まさしくゴールデンコースです。黒川検事長は地方高検検事長or次長検事の経験を飛ばしていますが、法務事務次官の在任期間が2年半と長くなり、法務事務次官退任時には定年まで1年ほどしかなく、地方高検検事長or次長検事のポストを経験すると、半年で異動することから東京高検検事長に直接就任したと思われます。また、過去に但木敬一検事総長も法務事務次官から直接東京高検検事長に就任しており、前例がない人事というわけではありません。
なので、法務省・検察庁と官邸との人事権争いなんてありませんでした。おわり
と、いうわけにはいきません。
検事総長人事問題
話は4年前にさかのぼります。
ことの発端は4年前の2016年9月に林真琴(現名古屋高検検事長・当時法務省刑事局長)を、法務事務次官に昇任させる人事案が頓挫し、黒川弘務(当時法務省大臣官房長)が法務事務次官に就任したことから始まります。
ここで、先ほど出した歴代法務事務次官の一覧を見てほしいのですが、歴代法務事務次官の前職はほぼ刑事局長で、大臣官房長から法務事務次官に昇任した事例は、黒川弘務氏と但木敬一氏の例しかありません。
そして、4年前のこの記事には既に「なぜ林真琴氏が検事総長最有力候補なのか」が記載されています。記事から引用しましょう。
”今回総長に就任した西川氏は1954年2月20日生まれ。次の検事総長が確実視されている稲田氏は1956年8月14日生まれ。黒川氏は稲田氏とはわずか半年違いの1957年2月8日生まれ。黒川氏を検事総長にするには、黒川氏が満63歳の誕生日を迎える2020年2月8日までに稲田氏が辞めなければならない。3年半の間で西川、稲田の2人が総長を務めるという窮屈なことになる。
これに対し、林氏は1957年7月30日生まれ。稲田氏とは約1年違う。西川、稲田両氏が2年ずつ検事総長を務めても、十分時間的余裕があるのだ。”
要は誕生日の順番的に黒川氏だと任期が窮屈だけど、林氏だと余裕があるよね。ということです。日本の最高幹部公務員の人事は意外にも単純な論理で決まっていました。
この4年前の時点では、ひとまず林真琴氏を刑事局長に留任させ、翌年の人事異動で黒川氏の後を継いで法務事務次官に昇任させる人事案となっていたようです。
ところがその1年後の17年9月に黒川次官の留任が決まります。
そして、18年1月には林真琴氏が刑事局長から名古屋高検検事長に異動します。
この記事でも3階級特進と表現されていますが、刑事局長が次官を経ずに名古屋高検検事長という上位の検事長ポストに就くのは異例です。
これらの流れからわかるとおり、この稲田検事総長の次の検事総長問題は、数年前から法務省・検察庁側と官邸側とで問題になり続けていたことになります。(官邸側に当初からその思惑があったかどうかはわかりませんが)
法務事務次官は検事総長への登竜門ですが、検察官とは違って一般職の国家公務員であり、人事権が内閣人事局にある以上、いくら法務省・検察庁側が反発したところで、覆すのは難しい。
しかし、それでも林検事総長構想を捨てず、林氏を名古屋高検検事長という上位の検事長ポストに充てることで、道を残したという形でしょう。
そもそも、いくら官邸や法務大臣が幾たびも人事介入をしたところで、黒川氏の誕生日が変えられない以上、稲田検事総長就任の1年半後には黒川氏は定年退官となりますが、林氏は定年まで更に半年ありますから、黒川氏の退官後に林氏を名古屋から東京に異動させ、稲田検事総長が退官して林氏に検事総長を引き継ぐという人事を考えていたと思われます。
官邸の要望通り”黒川検事総長”の実現なるか?
ところが、19年秋になり官邸側から黒川検事総長の実現が強く要望されたため、まず、稲田検事総長に退官の打診がなされます。
しかし、慣例上検事総長の任期は2年であり、特に落ち度があるわけでも健康上の問題があるわけでもない稲田検事総長からすれば1年半での早期退官は納得しがたい。そもそも、林氏を次官→東京高検検事長→検事総長のゴールデンコースにのせようとして汗をかいたのは稲田氏で、それが官邸や法務大臣の介入でひっくり返されたのに、その上更に当初の人事構想にない黒川氏に禅譲するという話はさすがに受け入れがたいものだったと思われます。
また、このときに稲田検事総長が早期退官できない理由として使われたのが、カルロス・ゴーンの逃亡事件だと思われます。
結局、20年1月に黒川検事長の半年間の職務延長が閣議決定されたため、法務省・検察庁の人事構想が完全に頓挫することになります。
この、黒川検事長の職務延長というのがくせもので、そもそも国の公定解釈では検察官の職務延長はできないものとされていました。
検察官の職務延長ができないからこそ、法務省・検察庁はずっと西川→稲田→林で2年ずつ検事総長をつないでいくという人事構想を持っていたわけで、そもそも定年を過ぎても職務延長ができるのであれば、別に林検事総長構想に固執する理由は全くないわけです。
まとめると、官邸による検察への人事介入があったかなかったかということで言えば、ほぼ間違いなくあったと言え、黒川検事長の職務延長も法務省が持ちかけたというのは考えにくい。
さて、その上で、今の状況は検察官の職務延長という結構マイナーな問題に世論が注視している、更に河合前法務大臣夫妻の選挙違反問題もクローズアップされている。
世論と前法務大臣の事件を背景にして法務省・検察庁側が官邸に対して巻き返しを図っているようにも見えると書いてしまうといささか陰謀論っぽくなりますね。
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