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「演技」を恥ずかしいと思うのは誰?


こんにちは。
2023年も残すことあとわずか。
みなさん、2024年にやりたいことは決まっているでしょうか。

私は昨日、津田健次郎さんのインタビュー記事を投稿しその日のうちに「演技をやってみよう!」とワークショップを検索しました。

演技のワークショップはもちろん感情解放のワークショップもあり、「やっぱり同じようなこと考える人いるんだ〜」と感激してたところ、こんな記事を見つけました。


つまり、感情解放することで成長する自分がいるけど自分では気づかないから自分探しはしないほうがいいよ。全部自分だよ。という内容の記事。

これを見た時に「そっか〜・・・」とちょっとがっかりしました。
私はどこかで「これをやったらもう解決!本音で話せるようになるし、トラウマなくなって働きたくなる!夢の業界にも行ける〜!」と思っていた節がありました。

いや、そりゃそうだよね。
つまりは日々の生活が大切ってことだもんね。
感情解放は常にだもんね〜
と我に返りました。

どうすれば前を向けるんだろう。
本音で話せるってなるんだろう。

メンタルクリニック?
ワークショップ?
アーユルヴェーダ?
はたまた女性用風俗?それとも全部?

と、たくさん考えてました。

でも「ワークショップやってみたいな…」という自分がいました。
感情解放とかではなく「演技」をやってみたいという自分。

昔から映画やドラマは好きなので、俳優という仕事に憧れはありました。
こっそり1人で台詞を言ってみたりだとかそういうこともしていました。

でも自分が好きな映画やドラマの俳優さんは美男美女だし、私なんか全然だし…とか
失礼ながらアマチュアの人の演技で下手な人がいて、下手な演技を他人に見せるぐらいなら…とか
そういうプライドから始まり、いや、芸術の世界なんてやってみるもんじゃない。収入も低いだろうし。など「ちょっとやってたい」から「恥ずかしいことだし」の言い訳から「演技の世界は厳しい。ご飯食べられない。」の言い訳にまでなってきました。

 こうやってnoteに投稿している身ではありますが、昔はポエムを恥ずかしいと思っていました。「キザなことをいう詩」みたいなイメージがあったんですね。

 2ちゃんねるに閲覧者として入り浸っていた時期があったんですが、BLEACHという漫画の扉に作者のポエムが書かれてるんです。
自分が読んでいた時はなんも気にならなかったのに2ちゃんねるで笑われてるのを知ってから「これは笑うものなんだ」と思い、笑ってた自分がいました。2ちゃんねるを見てなかったら笑わなかったのに。

 「斜めから物事をみる」ことは時にはあります。でも自分の感性ではなく「みんな笑ってるから笑うこと」をしていると濁ってくるし、もしそれが現実の世界で共感されないと、自分は他人の感性を借りて人を馬鹿にしてなんなんだろう、という空悲しい気持ちにもなりました。

 理解できない感性の人間がいる。理解できない世界観がある。業界がある。芸術がある。
これは悪いことではないけど、理解できない時もできる時も素直に自分の感性で「そう思ったかそうじゃないか」を判断していきたいです。

話を元に戻すと「演技」に対するハードルを高くしてがんじがらめになっていましたが、ワークショップがある通り「演技」の窓口は広く開かれている状態です。

やってみたい、演技してみたいという気持ちに素直になって扉を叩きます!


ここまで読んでくださってありがとうございます!
言い訳でがんじがらめにしたやってみたいことをやってみませんか?

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