映画『パラドクス』を考える
みなさんはもう『パラドクス』観ましたか?
結構前から見放題に入っていたんですが、ポスターがアレ過ぎて避けてました。しかも無限ループモノでしょ?絶対おもんないって、って。
そう思ってる未視聴のそこのあなた。
じゃあ観よう!!
あれね、ポスター詐欺です。
そもそも誰あの女。
蓋を開けてみれば死生観を問う哲学作品だったので
なんか人間がイカれちまう様を観たいと思ったときにぜひ観てください。
ホラーではないです。
あとハムちゃんが出てきます。
かわちい…。
そんなわけで今回も素敵な画像お借りしました。
かわちい……。
では以下ネタバレ。
ストーリーは端折ります。
ポスターが詐欺過ぎたので、邦題も怪しいんじゃないかと思って調べてみました。原題は「出来事、(特に、重大事件に発展する危険性をもつ)付随事件」といった意味合いの単語でした。
パラドックスとはちょっと意味合いが違うくね?
劇中の和訳でも「あの事件が起こってから…」(ループが始まってから)というセリフがあるのでそういうタイトルなのかなと。
ただ、私感は「輪廻転生の哲学」だったのかなと思いました。
若者、中年、老人とキャラクターは役割を与えられていて、人生のそれぞれの場面を表しています。
そして、この作品の肝となる「中年は老人のアドバイス聞かないとまた無限ループの世界に落とされ、次は自分が老人の役割を担う」というところ。
無限ループの世界では必ず大切な人が、顔見知り(心理的に疎遠な人)のせいで死んでしまいます。
物語上そうすることはないんだけど、私なら殺しちゃうなぁと思いました。そういう選択もできるわけです。
しかしその場合に於いてはアドバイス役がいなくなるのでループからの脱出は困難になるでしょう。
そしてアドバイスをきかない場合もまた脱出が難しくなり、それどころか次の犠牲者を生んでしまうわけです。
(助かる前提で書いてるけど、アドバイス聞いた事例を見てないから可能か不明…ただ冒頭の映像を見る限り、ダニエルが作中唯一の脱出者だったのではないか?と推測しています)
こう見ると
「時代は繰り返す」
「先人に学べ」
といった教訓映画なのかな~とも思いますが
ループからの脱出というのがどうも「輪廻」と「解脱」の話に見えてならないんですよね。
ループ(人生)での行いが無限世界(輪廻)からの脱出(解脱)に関わってくる。というような構造です。
輪廻はサンスクリットで「サンサーラ」
意義は度々変わっており「さまよい歩く者」「生まれ変わること」「世界」「周期的な変化」というような意味合いまで持つようになりました。
なんだかこの映画にそっくりじゃありませんか?
生前、つまり前のループで老人から「名前を書け」と言われたのに忘れてしまうというカルマを背負う。そして次のループで自分の意志(?)とは関係なく、業を背負う(誰かの大切な人を亡くす行動に出る)わけですね。
それまでは「つい撃っちゃった」「うっかりジュース飲ませちゃった」で済んだけど、最後のはもう、蜂を放すのは意図的以外の何物でもないですからね。
もう「そういう役割」で生まれ変わっちゃってるんだよね。
それを防ぐ唯一の方法が「ループ前の名前を忘れない」(生前を忘れない)っていうことなんでしょうね。
という風に私は解釈いたしました。
みなさんはどんな見方をしますか?
ポスターで倦厭してる人はぜひ見てね!
意外とダレずに見れました。
おわり。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?