2020/02/16の日記

死の近似値であった。とろとろと眠って、食事を少しして、また眠る。眠っている時が一等楽だ。

死と、永遠に変わらないものへの強烈な憧れがある。私が好きなものは、少なからず死に似ている。

人形がずっと昔から好きだ。物言わぬ美しい人型のもの。永遠性。それは言わずもがな、生きていない人型という意味で死に似ている。永遠に損なわれない美しさにも惹かれている。

止まっている時計が好きだ。死に似ている。あるいは、死そのものかもしれない。部屋には止まった時計がいくつもある。日常使いする時計も、ずっと電池を変えないままにしていることがある。私が電池を変えなければずっと動かないものだ。死んでいる。永遠に死んでいる。

眠ったまま起き上がりたくない。腹が空くのがおぞましい。何も食べず、何もせず、ただ眠って、死んでゆきたい。私はもう倦んでしまった。

楽しいこと、美しいこと、素敵なことはたくさんあるだろうけど、私のひねくれてしまった心が素直に受け入れてくれないのだ。悲しく、寂しく、虚しい。死んでしまえたら楽なのにと毎日考えている。

毎日腹が痛む。胃が荒れているのだろうか。腹を下す日も多い。もう、嫌になってしまった。痛覚か消化管を取り去ってしまいたい。食の楽しみを失ってもいいから、この痛みから解放されたい。痛い。

心も腹も、頭も子宮も邪魔である。全て失ってしまえば生きやすいのに。ちょっとした気圧の変化で、ホルモンバランスとやらで、または原因もわからず、壊れる体を抱えて生きていくのは嫌だ。どれもこれも、全て捨ててしまいたい。あーーー。捨てれないから死にたいって言ってるんですよ。

最近は、家族を全員殺して死ぬことが頻繁に頭をよぎる。死んだら私が悲しいと私の自殺を止めて来る人たちをみんな殺して、死ぬ。荒唐無稽だが、そうすべきなのではないかと、思ってしまう。老いていく祖父母や、病の母や、可愛い弟を私の勝手な意思で殺してしまいそうになる。ダメだ。本当にダメだ。私が実行に移す前に私を閉じ込めてくれと思う。助けてくれ。

一人で死にたい。どうやって。難しい。人は簡単に死ぬくせに、私は簡単に死ねない。私が生きる明日を、生きたかった人たちに配って歩きたい。私なんかが無為に過ごす一日は、もういっそ無い方が良いだろう。

薬を飲んでも死ねない。首も吊る場所がない。首吊りに向いた梁もドアノブも、私の家には無い。近所の公園のブランコで吊ろうかと思ったが、あまりにも迷惑だろうと思ってしまった。

銃があればいいのに。銃が好きだ。自殺しやすい武器だ。包丁で腹を割いて死のうかと考えたこともあるが、武士でもないのに何をしようとしているとおかしくなってやめた。

七輪と練炭。どうだろう。七輪は家にあるだろうから、練炭だけ買う。そして死ぬ。死にたい。はあ。

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