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寺尾と祖母

父方の祖母はいつもテレビで相撲を観戦しており、贔屓の力士は寺尾だった。

炭鉱で働く男に嫁いだ祖母は、やがて炭鉱を後にし建設作業員となった祖父に付き従い、関東に移った。子供は一人死んで七人。長男と末息子は親子ほどの歳の差で、六番目の父が30代半ば、つまりわたしが物心のついた頃には祖母は70代だっただろうか。共働きの両親の代わりに保育園に迎えに来るのは祖母の役割だった。祖父祖母と末の叔父が住むアパートで小学生の兄と夕飯を食べ、母の迎えを待つ。平日に2時間程度のこの滞在は、わたしにとってあまり居心地のいいものではなかった。

祖母は表情に乏しく、家事をする以外はほとんどアパートの居間の座卓でテレビを観ながら独りで文句を言っているような人だった。その容貌は岩か木の瘤のようにごつごつとしていて愛嬌などが付け入る隙は一切なかった。娘にはミスコンで優勝する者もあったくらいだから若い頃はそれなりに美しかったのかもしれないが、決して豊かではない環境での子育ての苦労か、夫と子供以外に知り合い一人いない関東生活の孤独か、寡黙で飄々とした(何を考えているかよく分からない)祖父に連れ添った忍耐か…あるいはそのすべてが顔中の皺に刻まれ、表情は硬くこわばっていた。同じ時代を生き、やはり夫に苦労させられて一時はヨイトマケをしていた母方の祖母が明るく溌剌としていたのに比べ、彼女の顔は常に暗く、重苦しさに澱んでいた。口を開けば一緒に住んでいない息子や娘たちに対する文句ばかりで、面倒なのかまったく意に介してないのか、同居する祖父(炭鉱のダイナマイトのせいか、そもそも耳が遠かったから聞こえていなかったのかもしれない)も叔父も特に反応することはなく、吐き出された怨嗟がただ中空に浮かんで滞留していくのを、まだ幼いわたしや兄はどうすることもできないでいた。兄はまだ利発さから祖母に可愛がられていたが、わたしなどはぼんやりとして愛想もなく、女だし、割とどうでもいい感じに扱われていたような気がする。

そんな祖母が日々楽しみにしていたのが相撲中継だ。祖母宅に着くと場所中は必ず大相撲中継がテレビで流れており、祖母は毎回熱を込めて幕内力士の取組を観戦する。当時はやっぱり千代の富士が圧倒的に強く、他には大乃国、小錦、北尾などという時代。その中で寺尾は、子供から見ても美男子だと分かる力士だった。

寺尾の名前で呼び出しがかかると、祖母は「寺尾、はじまったか」と家事の手を止めて座卓につく。時にはわたしに「寺尾や、見い」と促しさえする。そしてキレのある寺尾の動きを真剣に追う。負けると心底残念そうにし、勝てば「アーッ、勝った勝った!」と手を叩いて喜ぶ。普段は岩山のように暗く疲れ切っていた祖母の顔に、この時ばかりは花が咲いたような笑みがこぼれた。愚痴や文句めいた言葉しか唱えない口から転げ出た少女のような嬌声は、今も鮮明に思い出される。祖母は、寺尾に恋をしていたのだ。

わたしが中学生の時、祖母は入院した。頑健な岩のようなイメージの彼女が、すっかり衰弱してもう長くはないだろうと、世話になったよしみで看病していた母が言った。それでも、彼女の上の子供たち、つまりわたしの伯父たちは遠いだなんだと様子を見にくることもほとんどなかった。母と、末の叔父夫婦と、離婚した次女である伯母くらいしか面倒を見に訪れなかったのだという。父も父で、事業があまりうまくいっておらず、親の面倒を母にまかせきりだった。七人産んで、孫が十何人いたってこんなものである。ある時、母と一緒に病室へ見舞いに行った。またあの愚痴を聞いて、どんよりとした空気に耐えねばならないのかと気が重かった。病室へ入ると、記憶の中よりもずっと小さくなった彼女がベッドに寝ていた。意識はあまりはっきりしていないようだったが、表情は柔和だった。

「もう、あんまり分からなくなってるみたい。ばあちゃん、来ましたよ」
母が言った。わたしの名前を聞いてもいまいちよく分からない様子で、ただ柔和な表情のまま、目だけこちらを見た。
なぜかこの頃のわたしはテディベアを作ることにハマっており、様々なデザインのテディベアのデザインカタログを見ながら日々量産していた。母に持ってくるように言われたそのうちの一体を、わたしは祖母の両手に握らせた。「これはなんだ」と聞かれたらなんと答えればいいんだろう。誰にあげるという心がこもってるわけでもなく、たくさん作ったうちのただ一体で、同じデザインのがもうひとつあるから別にあげてしまってもいいや、くらいの気持ちで持ってきたのでなんとなくバツが悪かった。しかしそれを受け取った祖母は、意外にも素直にそれを大事そうに抱きしめ、童女の笑みで眺めながら「かわいいねえ」と言った。

先日、寺尾の訃報が流れてきて、そんな祖母のことを思い出した。寺尾はまだ60歳だったらしい。ということは、祖母宅で観ていた頃は20代前半か。あの頃からずいぶん時が経ったような気がしていたが、美丈夫の彼を「まだ若いのに」と惜しむ人は多い。だが世間はだいぶ変わった。炭鉱とかないし、子供を七人も八人も産む人もほとんど見かけない。知らない土地で、たいして優しくもない夫の世話をしながら、子供たちからも省みられず、友達もおらず…ただテレビで観る美しい力士だけが拠り所という専業主婦がこの国に何人いるだろうか。孤独でも、もうちょっと質の違うものなんではないだろうか。SNSで憂さを晴らしたり、熟年離婚に向けて動いてみたり、なんかあるんじゃなかろうか。ほんとうに孤独だった祖母が見ていた寺尾はどんなに美しい男だっただろう。

見舞いに行ってからほどなくして祖母は亡くなった。最期までテディベアを抱いていたと母から聞いた。たいして愛想のない孫が、たいして思い入れもなく作ったものだったけど、祖母がひとりで逝かなくてよかったなと思った。

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