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映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を、展覧会「ぬいぐるみのげんざいち」をディレクションした私はどう見たか。①

ちょうど「ぬいぐいるみのげんざいち」展示が始まったと同時に、シネマリンさんで
「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」が上映され、作品上映後に舞台挨拶をされた監督の金子さんにお会いし、展示チラシをお渡しさせていただきました。

金子由里奈監督と私

「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」というタイトルだけ聞いた私は当初「ぬいぐるみを好きな人の中にも様々な人がいるわよ🤔」と考えていました。それは、自身が人形の施設で働きながら、作家や持ち手、様々な方と接してきた経験から実感として持っているものとして。
でも映画を観てからは、このタイトルはぬいぐるみを好きな人への「加害」にならないような配慮でもあるのだろうと思いました。

「ぬいぐるみそのものや、ぬいと人の関わりから見る、人のありかた」を表現する

「ぬいぐるみという存在を置くことによってあぶり出される人間の優しさや、加害性、そしてレジリエンス‥‥」を表現する金子さん
※レジリエンスとは困難をしなやかに乗り越え回復する力

展覧会と映画を両方観てもらうことで、「ぬいぐるみとしゃべる人」の多様なあり方を知るための、補完関係を結べるように思っています。

「ぬいぐるみのげんざいち」展は作り手や持ち主、パフォーマー、研究者など沢山の主観を置き「それぞれのぬいぐるみとの関わり方」を紹介することによって、無数にある人とぬいぐるみの今のありかたを、立体的に感じることができるかも知れないと思って構成しました。そしてぬいぐるみを好きな人のフォローアップになればいいなとも。

金子監督が舞台挨拶で言っていた「悩みや弱音など言いづらい社会で、この映画を観た人が少しでも生きやすくなるように」と。その言葉は金子さんの願いや祈りがまっすぐに伝わってくるものでした。
私が展覧会企画を考えるときの根本的な動機は金子監督と同じで、生きづらさを抱えている人が展示を観た後、より生きやすくなることで。(楽しい、自由を感じる、なども含めて)
映画を見ながら、自分だけじゃない多くの人が感じてきた、理不尽に受け入れなくてはいけなかった傷や痛みについて。だましだまし保ってきたこれまでの自分や、観た人の過去が報われると同時に「社会に対して理不尽に思っているのはあなただけじゃないよ」と寄り添ってくれるような、未来への希望を感じさせてくれる映画だと思いました。
沢山の人の感想を聞いてみたいし沢山の人に観ていただきたいです。


ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

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