感情の共有-ミッドサマー
この映画はグロエロその他過激描写、カルト的な不気味さが少しでも苦手な人には絶対にお勧めしません。間違いなく2時間半の拷問になります。
見たことの無い光景を見たい人、考えるのが好きな人、不気味な雰囲気を楽しめる人にお勧めします。
裏設定や背景を調べたり、散りばめられた伏線が好きな人にも是非お勧めです。
※この先微ネタバレ注意
感情や痛みを分け合う、共有するということに関してずっと疑問を抱いていた。
他人が、自分と同じように感情や痛みを感じているかはわからない。
「相手の気持ちを考えなさい」
「あなたが同じことをされたらどう思う?」
この質問の先にあるのが、個の尊重なのか、それとも蹂躙なのか、未だ私はわからないままでいる。
この映画の舞台となる村では、繋がりがとても大切にされているように思う。
老人は自らの意思で死に、またこの村に生まれる。
喜ばしいことがあれば村人全員で喜び、誰かが悲しんだり苦しんだりするならば、村人は呻き声を上げ同じように苦しむ。
主人公であるダニーは、両親と妹を亡くし彼氏のことを酷く頼っている。彼氏に泣きながら電話をし、そのことで自分を責めた。依存していると言ってもいいかもしれない。
しかし彼氏-クリスチャンの態度は冷たい。
友人に別れたいと話しながらも、不安定なダニーを放ってもおけないままでいた。
双極性障害を患い不安定な妹からメールの返信が無いことを不安に思いクリスチャンに電話をするダニー。
かまってほしいんだよ、と一蹴するクリスチャンに、ダニーはそう言って欲しかった、と言った。
村の異様な風習に飲み込まれていく中で、号泣するダニーの傍で一緒にいた村の女性たちが同じように泣き叫ぶシーンがある。
似たような服を着て、同じように泣いてくれる。
今までには無かったことだ。ダニーはこの村で、感情を共有できる仲間と出会ったのだった。
小さなコミュニティの中で、喜びも悲しみも分かち合う。彼らは共同体であり、家族なのである。
そして、皆が一緒であるとき、個人の感覚は無視される。
僕も両親が居ないから、と家族を亡くした自分に近づく知人から逃げて、トイレで一人泣いた。
知らない村の中で、仲間の空気を読んで一緒にやりたくないドラッグをした。
同じように笑う時、同じように泣き叫ぶ時。
そこにあるのは、仲間を思う気持ちなのだろうか。
同じ経験を持つから君の気持ちを理解できる、と繰り返す人の前では、誰の元にも晒さない、真っ直ぐな自分だけの感情は存在できない。
ダニーも、燃える小屋を見て同じように泣き叫ぶ。
しかし、最後にニヤリと笑うのだ。
彼は自分を頼っているか?
彼は自分を守ってくれるか?
繰り返された問いに、彼女は極めて正しく生きる。
そしてこの村の中、自分の為だけに笑を零した。
彼女は虚無と縛られた日々から抜け出す術を、ようやく得たのかもしれない。