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令和アンソロジスト論

アンソロジストと呼ばれる人たちをご存じだろうか?
彼らがひとたび天に祈りを捧げれば、雷とともに麦が実り、荒れ狂う川も収まって、古代の王も税金の取り立てがしやすくなって大喜び、というのは世に敷衍している間違いで、実際はえーと、そもそもですね「アンソロジー」というものがあって「アンソロジスト」が存在するわけなので、まずは「アンソロジー」説明をしなくてはいけないのですね。で「アンソロジー」というのは古代の王が民から効率よく税金を納めさせるために作った一種の…これ以上嘘が思いつかないので、ネットで調べると定義は

「異なる作者による詩文などの作品を集めたもの、または、同一作家による作品集」

とありました。「同一作家による~」じゃそれもうお前の短編集じゃんと、思いきや、そういえば音楽とかだとビートルズのアンソロジーとか平気で出てたりするので、まあそういうものなのでしょう。しかし、我らが「あ、休日は小説よんだり、してます、はい。え?あいや山とかはちょっと…」みたいな人間にとっては「異なる作家の作品を集めたもの」と言った方がとおりがいいじゃないかと思います。

でその「異なる作家の作品を集めたもの」が(このnote内で)「アンソロジー」だとするならば、「アンソロジスト」は「異なる作家の作品を集めるもの、を作る人」となります。(たのむ、俺の理性よまだもってくれ…)

でなんでそんな人達がこの世を跋扈し、それを追いかける人々がいるかというとこれは3つ要因があるんですね。
一つが「世界アーカイブ化計画」
そしてもう一つが「可処分時間の寸断化」
最後の一つは、これを書いている途中に思いつくと思うんでまだ内緒ですが、この三点を中心にアンソロジストが時代にどう迎え入れられているか、一緒に探偵していきましょう。

第一章「世界アーカイブ化計画」

さあ、さあ遠きものは音に聞け、近くのものはもうちょっと画面から離れてください。これ以上に目が悪くなりますよ。えー、ということでですね、なんの資料も当たらずに一筆書きのように書き進めていますので、これから書くことはほとんど真実、一体一路でございます。

やっぱりもうみんな気が付いていると思うんですが、小説(音楽も映画も)に手を出しやすくはなりましたね。本屋がつぶれようがなんだろうが、スマホでブルースカイ(青空)につなげば過去の文豪たちのあれやそれが、気軽に読めるようになりやんした。でね、それがつまりどういう影響があるかというとですね、この間芥川賞をとった「セイタカアワダチソウ」(漢字変換できなくて…)も芥川龍之介の「歯車」同じくらいのカロリー消費で手に入れることができるんですよね。それがつまりどういうことかというと、20年くらいまでのAさんの読書プール、まあ、私はそのことを「読書射程距離」と日ごろ言っていますが、その「読書射程距離」がここ20年で飛躍的に伸びた、ちょっと銃についての知識がないので、比較する単語が出てきませんが、「空気砲」と「スペシウム光線」くらい距離が変わったんですね。そうするとですね。喜ぶ。いやー、今まで図書館に行かなきゃ読めなかった本が簡単によめるぞ!と、ところがですね。ここで問題が立ち上がってくるんですよ。それが「時間の壁」。

とかく現代人には「時間」がないんですよ。いや、あるんですけど、ない。この頓智を一休さんなら「気にしないったら、気にしない」といって、その内どこかで野垂れ死にしてしまうんでしょうけど、現代人ですからそうもいかない。つまりですね。今まで「空気砲」の届く範囲の本を見回して(調査)良さそうだなと決意して(意思決定)購入(行動)すればよかった。で、その行動原理は変わっていない。しかし「スペシウム光線」の届く範囲の「調査」って空気砲に比べると大変なんですよ。しかもこの大変さは、わざわざ脳が言語化しない。ただ、なんかめんどくさいな…というだけで、調査段階でさじを投げてしまう。しかし、もう一つの脳だと、いや本当は自分がしらないだけで、もっと面白い本があるんじゃないか?⇒しかし、とにかく本が多く、私は痛みや疲れからあまり考えることができない…

えーと、つまりですね
「世界アーカイブ化計画」は我々に「疲れ」をもたらしたのです!
いやもうちょっとズバリ池上彰なこといいたかんですけど、つまりまあ、そういうことです。
あなたも「ああ、そうだな」と思うところがあるんじゃないですか?でもそれって、「アンソロジスト」とどういう関係が?
では、書くことに飽きないうちに第二章へ行きましょう。

第二章「可処分時間の寸断化」

まあ、なんていうかスマホですよ。スマホだしSNSね。あとソシャゲ。あいつらが人類になにを仕込んだかと言うと物事を「ファストイン•ファストアウト」にしたってことです、ド畜生が!
つまり、「すぐ楽しめて、すぐやめられる」ものが好まれるようになった。というか、そういう訓練をスマホの生活でしつけられているんですね。まあ、その反動でソロキャンプだなんだと、一種の体験主義みたいなのも一方であるかと思いますが、良いか悪いか別として、いままでコマ切れで使い物にならなかった電車の一瞬でも楽しもうとする、メディアにアクセスするアホみたいな脳にされてしまっているのです。

つまりこれはシンプルに「長尺のもの」を遠ざけている。データないんで、購買率?は長編、短編かわらないかもしれませんが、「完遂率」は著しく落ちているんじゃないでしょうかね。そうなると、ユーザの満足感を満たすものとして、比較的短いかつ、クオリティの高いものがもとめられる、そんなシュチュエーションが増えてきているのでは、と私は睨みを聞かせているのであります。つまりさあ「可処分時間の分断化」で「短文」が求められているわけよ。時間もない、長尺なものに、その重みも長さも耐えられない我々、令和人は。

まとめに入りますが、急に出てきた①と②をフュージョンすると、こういう欲求が人類の腹の一番深いところにあるわけ。
「時間がないから探しきれないけど、時間がないから長い本の読めないけど、面白い、とっても面白い小説が読みたい!」という欲求が。
それを埋めるために「アンソロジー」という魔法が必要で、それを作る魔人「アンソロジスト」が人けのない山奥の廃図書館で、何かの本を閉じたり開いたりしているということです

ということでね。3つ目が何だったのか、そもそもこのnoteの試みは一体どこに着地することだったのかは、もうアカシックレコードでも解読しないとわかりませんが、もし運命が全て数学で説明できる未来になったら検算してみてねアンソロジストっていうものがこの世にあったということを遠未来のAIたちも納得してくれるんじゃないでしょうか。

でもね。とまた書き始めてしまうんですけど、最近コンビニの商品説明がラノベの文章っぽくなってきたってニュースみましたけど、あの「見た瞬間に自分の欲求を満たす率が高いものを買う」という購買心理学。これは「失敗しない買い物がしたい」ってことなんだけど、これってアンソロジスト名で選んで本を買うっていうのもに似たような動機が混ざりこんでいる感じ…ちょっとしますね。

ありがとう、アンソロジスト、
また、会おう、アンソロジスト
あの、アンソロジストの星がかがやく、その時まで…


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