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【沖縄返還50年目】

読売新聞には、中学生や高校生向きの中高生新聞があります。この5月13日号は沖縄特集でした。アメリカから日本に返還された時、様々なことが変わりましたが。その中で気になる記事がありました。

日本軍にとって沖縄は本土決戦の時間稼ぎ!?とある。

何だか見殺しみたいな書き方ですネ。もし、その事実があるなら、何故日本だ大切にしている日の本の國の旗艦である

戦艦大和が救援に

向かったんでしょう?

見殺しなら大和は本土決戦で

砲台になる方がよほどアメリカの脅威に

なったことでしょう。

第一この文章では日本に対する愛国心が

もたれないと思うんだけどなあ。

【私ならこう教える】

沖縄も大切な日本の島だったんです。

だから日本で一番強い戦艦の大和が

女性の為の沢山の物資も持って

救援に向かいました。

しかし、

戦艦の時代はもう終わりを

迎えていました。

一緒に沖縄に向かった

たくさんの船のうち

巡洋艦矢作も、大和も

400機以上の

アメリカの戦闘機に囲まれ

九州沖坊の岬で沈んでしまいました。

戦艦大和が沈んだことは

沖縄にも伝わりました。

しかし日本の軍隊と

沖縄の人たちは

協力してアメリカと戦い、

アメリカもまた、

多くの犠牲者が出ました。

ペリュリュー島や

いおうじま

沖縄島の上陸戦で

大きな犠牲者を出した

アメリカ軍

日本の本土に

ドイツの様に上陸したら

もっと多くの犠牲者が出ると

予想しました。

そして本土決戦を

諦めました。

実は

私たちの御先祖様は

大東亜戦争の後半は

一人一人が

アメリカには勝てないと

分かっていたと

サトケン先生は思います。

それは

鬼滅の刃で言えば

猗窩座と戦っても

すぐにに傷が治ってしまう事と

同じことを

アメリカの軍隊から

感じたからだと

思うのです。

相手の船や戦闘機を

沢山の犠牲者を出して

倒しても

直ぐに直したり、

新しい新型が

出てきたのでした。

それに比べて

日本は鉄も石油も

沢山ありません。

受けた傷が

直ぐには

治らないのです。

しかし少しでも

日本に有利な講和条件が

得られる様に

御先祖様は戦いました。

だから私のお母さんやお父さん。

そして

みなさんの

おじいちゃんおばあちゃんは

生き残り、

今日みなさんに

勉強を教えられるのだと

私は信じています。

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