人生は常にここから・致知令和2年10月号を読んで
最近まで私は、健康は当然と考えていました。しかし、最近は今日一日無事に務めさせてくださいよろしくお願いしますと考えられるようになりました。そうなったのはSNSの経験が大きいです。それは、facbookの友達が何人も亡くなっているからです。
「人生は常にここから」と考えられる日、その一つは10月1日の私の誕生日です。どんな方も必ず誕生日は来ますから、今日は誕生日にどう考えるといいかについての動画を作りたいと思います。
毎年、誕生日の日になると「おめでとう」と書き込んでくれる友達がたくさんいます。私はその人との関りを思い出すチャンスだと考えてできるだけ返事を返すようにしています。書くときは、「おめでとう」をくれた方のfacbook記事を辿って見てから、最近その方が何に関心を持っているのかをちょっと加えてお返事するようにしています。
すぐにはできないので、誕生日を過ぎてから少しずつ行います。
すると、この人は誰だろう返事に困った時も「そうだった!○○に情熱を持ている方だったな!」と思い出すことができます。そして、来年もこの友達会えるといいな。そんな気持ちも生まれてきます。
今年1月からは新たなアウトプットの場所として、Youtubeの配信を始めました。話すネタは渡邉先生が作ってくださった「サトケンの特別支援研究所」での内容です。
教育に関わり日々感じるのは、文章通りに事は進まないということです。
そして、一人のエースの力だけでは解決できない課題が教育や国の問題だということです。だから先生以外の友達が欲しいのです。
昨年、私は特別支援学校から小学校の現場に戻ってきたのですが、「特別支援教育の専門家」という見方をされていると強く感じました。それはいいのですが、問題なのは「この先生に任せておけばどの支援の必要な子も安心だ」「私がとやかく考えることじゃない」と担任の先生が思ってしまうことです。それは違うんじゃないかなって思います。
課題ある児童生徒がすっかり落ち着いた時、なんだが理由はわからないけれど、落ち着いて生活できるようになった。素直に人の話を聞けるようになったと思うことってないでしょうか?支援の難しい子供たちも同じで、うまくいくときは周りの環境の力が大きいんですよね。
スキルや技術の虎の巻は陳腐になって古くなって使えなくなります。しかし人と人との関りの重要さの考え方は古くならないです。
令和2年致知10月号P26。すでに名声を確立していた葛飾北斎先生が85歳の時に「猫一匹まともにかけない」と娘の前で泣いていたという記録を見ました。人間は何歳になっても成長し続けることができるし、若々しく一日一日を生きる秘訣はそこだなって私は思います。
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