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【6年前の3月11日は東日本大震災(その日の日記)】

東日本大震災のあった日。私は、支援学級の子どもたちと一緒に、体育館の掃除をしていました。卒業式が近づいてきていたからです。お世話になった6年生がきれいな体育館で卒業式を迎えられるように雑巾がけをしていました 。

最初はカタカタはじまった地震でしたが、少しずつ大きくなってきました。

私は、マニュアルどおり体育館の中央に集まって、自分の身体の下に子どもたちを入れました。

揺れがおさまるのを待ちましたが、一向に地震はおさまりませんでした。

どんなに長い地震でも1分以内。それよりも長く揺れるということはないというそれまで持っていた知識は役に立ちません。

どんどん不安が大きくなります。

やがて私たちの上のバスケットゴールが大きく揺れ始めました。そんな様子など見たことがありません。体育館の鉄骨が、ギシギシいいはじめ、鉄骨の埃がぱらぱら落ちてきて、ボルトが落ちてきました。しまった。体育館がつぶれることもあるかもしれないと考え、背中が寒くなりました。

ゆれがおさまったので、校庭に避難しました。私は目を疑いました。校庭が海のようにうねっていたからです。これはただ事でないと改めて感じました。 みんなが全員避難できて私はホッとしましたが、教頭先生眉をひそめています。どうしたんですか?と聞いたら、冷却機能が止まってしまった原子力発電のことを心配していました。
まだまだこれからでした。

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