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㉗ラオスのビエンチャンにおける中国の影響力の異様さ(三江(サンチャン)国際商貿城)
2017年8月の記事です。
1度訪れたライスのビエンチャンですが、やり残したことがあったので戻ってきました。
『三江(サンチャン)国際商貿城』をこの目で確認しておきたかったのです。
『三江国際商貿城』は、ビエンチャンに住む人なら誰もが知っている中国人のための異質マーケットです。
私が知ったのは、下川さんの「週末ちょっとディープなタイ旅」という紀行記です。
私が惹かれた文章を紹介します。
![](https://assets.st-note.com/img/1671032433553-hbg3mmSGTu.jpg?width=800)
三江国際商貿城―。ラオス人の知人に、ビエンチャンのなかの中国を見てみたい、といったとき、彼は最初にこの名前を挙げた。タナレーン駅で乗ったタクシーにその地名を告げた。運転手はすぐにわかったようだった。ビエンチャン市街と空港の間あたりにあるという。
そこに車は入っていった。一見、商店街のようだった。問屋が並んでいる風でもある。三江国際商貿城の周辺にできた問屋街。築地市場の場外のような存在なのだろうか。
中国語の看板しかなかった。いや、よく見ると、その下に小さくラオス語も記されている。しかし街から受ける印象は圧倒的に中国だった。店のつくりも、歩く人もどれも中国なのだ。
車は問屋街の間の道をゆっくりと進んだ。正面に体育館のような建物が見えてきた。ここが三江国際商貿城の中心のようだった。
入ってみた。すぐに絨毯屋があった。その奥にかばん屋、化粧品、タオル専門店、おもちゃ屋、貴金属屋…。並ぶ商品はすべて中国製である。そこでも予想を裏切られた。中国お得意の安い電気製品が圧倒的な物量で並んでいるのかと思っていた。
以前、ラオス人の家を訪ねたことがあった。彼の家はペンキを販売していた。ラオスの景気が右肩あがりになってから、家を建てる人が増えた。ペンキの需要も増え、売り上げはいいようだった。
「まずテレビを買い替えました。それから洗濯機。どれも中国製ですけど」
彼はそういっていた。しかし三江国際商貿城に並ぶ品は、生活感が溢れるものばかりだった。布団が山と積まれた店の前で考える。中国のショッピングモールが、そのまま空間移動したような世界に映ったのだ。
(中略)
中国製の布団は安いのかもしれない。おもちゃも種類が多いのだろう。しかしそういう生活物資を集めたところで、ラオス人が大挙して押しかけるだろうか。そんな気がしたのだ。再び布団屋を眺める。オーナーらしき中国人がいる。しかし、ラオス人が大挙して押しかけるだろうか。そんな気がしたのだ。再び布団屋を眺める。オーナーらしき中国人がいる。しかし店員はラオス人が多い。客はラオス人だけなのだろうか。ひょっとして中国人…。オーナーと店員は、どちらの言葉で会話をしているのだろうか。
客が多いわけではなかった。週末になれば、通路が人で埋まるのかもしれないが、閑散といってもいいぐらいだ。
2008年の四川省の地震で壊滅的な被害を受けた街の商人たちがビエンチャンにやってきて、この商貿城をつくったという話がある。噂の域を出ないのだが、そのほうがはるかにしっくりとくるのだ。人気の中国製品をラオス人に売るというより、なんでもそろうマーケットをつくったといった雰囲気が伝わってくる。
しかし広かった。中国には、これだけの物資がある、とPRしているようにも映る。圧倒的な中国の物量が迫ってくる。息苦しくなり、いったん商貿城を出た。入ったときとは違う出入口から出た。すると目の前に別の建物が現れた。ここは各店舗に区切られていなかった。そこには家具がずらりと並んでいた。木製の中国風のテーブル、ロッカー、たんす、ベッド・・・日本の家具センターの数倍のスペースである。隣接していたのは農機具売り場だった。半分以上のスペースをとっていたのは、トラクターや田植え機などの重機だった。
この建物の斜め向かいにはホテルが建っていた。三江大酒店。ビル型のホテルだった。ロビーにはシャンデリアがいくつも吊り下げられている。ソファにふんぞり返るように中国人の男たちが座っていた。ホテル第をフロントで訊いてみた。1泊65ドルだった。
しばらく進むと、『中西医療所』という看板が出てきた。中国人用のクリニックだった。その奥に経っていたのはアパート群だった。三江国際商貿城で働いている人たちが住んでいるらしい。その前の商店街のなかには質屋もある。食堂街は何カ所もある。湖南、福建、四川・・・。看板には漢字が躍っている。店内の壁に書かれたメニューは中国語だけだった。ラオス人がやってくることを想定していない。夕食には早い時間帯だった。店の前では中国人たちが料理の下準備に汗を流している。店の前に停まる車のナンバーは中国のものである。「湘」「蒙」「京」といった漢字がナンバーの右端に書かれている。中国の車は、ナンバーを変えずにラオスに入ってくることができる。
そのなかを歩く。はじめは、中国の街に迷い込んだような光景に、ひとつひとつ、足を止めていた。しかし中国が折り重なるように迫ってくると、しだいに怖くなってきてしまった。
街だった。
中国はビエンチャンの郊外に中国人の街をつくっていた。
(中略)
ビエンチャンにできあがった中国人の街はやはり異形である。客はラオス人なのか、中国人なのかわからない世界だ。それは世界にあるチャイナタウンとは明らかに違う。チャイナタウンにも、中国系の人々は住んでいるが、基本的にはレストラン街である。現地の人々向けにできた街だ。三江国際商貿城はやはり異形だ。
私はこの文章の虜になりました。現在の中国の対外経済進出がそれまでのいかなる中国の時代とも異なるとすれば、『現地人のためではなく中国のためということが前面に出てしまっている』ことです。
この様子を下川さんは言葉巧みに「迫ってくる」、「息苦しい」、「怖くなる」、「異形だ」と表現しています。
タイからビエンチャンに到着するまで
これを見るだけでも、ビエンチャンに行く価値があると思ってタイのバンコクから空港に降り立ったのは、2017年7月29日(土)でした。その空港の名は、タイ北部のウドンターニー空港。
私も知りませんでしたが、ラオス人はウドンターニー空港を自国の空港として使い、ビエンチャンのワットタイ国際空港は外国人が使う空港として棲み分けがなされています。
今回のウドンターニー空港までの運賃は40ドルですが、ワットタイ国際空港までは90ドルでした。
ケチったわけではなく、陸路での国境越えをしてみたかったのですが、思った以上に時間がかかりました。
飛行機は時間通り8時15分にバンコクを出発して、9時10分にウドンターニーに到着。
ここまではよしよし。そして、ウドンターニーから市内の長距離バス乗り場までワゴン車(50バーツ・160円)で行き9時50分に到着。ここまでは完璧でした。
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その後、そしてバスの発車時間を確認すると次は10時30分。チケットを買いに行くと、料金表には80バーツとあるが、85バーツと言われました。
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20バーツと1000バーツしかなかったので、1000バーツを出すと、お釣りが無いと断られる。
ここで、お腹もペコペコなので、即座にセブンイレブンに行って180バーツほど御飯やラオスへのお土産のお菓子も含めて買い物をして、100バーツをゲットしました。
チケットも無事に買って、トイレも終えてバスに乗ったのは10時20分。完璧。
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そして、ついに10時30分。全く動く気配がない。こちらとしては、サバイサバイの心得を獲得しているので、いつまで待っても平気である。待つこと40分間、ようやく11時10分にバスが動き出した。
1時間後の12時14分についに、タイ側の出国ゲートに到着しました。
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審査官にパスポートと出国カードを見せてさくさくと出国完了。乗客は貴重品以外をバスに残していましたが、それらが確認されている痕跡はありませんでした。
同じバスに乗車後にものの5分ほどで、念願のタイ=ラオス友好橋(Thai–Lao Friendship Bridge)を通って、ついにラオスの入国ゲートに到着。ここでも審査官がサクサクとパスポートと入国カードをチェック。その後、謎のプロセスが。。。
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駅の改札のような機械が行く手を阻みました。「これはどうしたら通れるのか?」と聞くと、55バーツのカードの購入が必要とのことでした。購入したのは、「ONE WAY TICKET」。
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これを改札に入れるとラオスへの入国手続きが完了して再度無事にバスに乗りました。
この時点で12時25分。
結局、ビエンチャン市内のタラートサオ・バスターミナルに到着したのは、13時20分でした。
●バンコク→ウドンターニー→ビエンチャン
時間:5時間5分、費用:40ドル+190バーツ=45ドル、国境と友好橋を渡る経験=Priceless
●バンコク→ビエンチャン
時間:1時間20分(飛行機1時間10分、空港から市内10分)、費用:90ドル+8ドル(タクシー)=98ドル
時間が4時間余計にかかってしまうとは思いませんでしたが、バスの中のタイ人やラオス人は国境の手続きや手続きの後に乗るバスを親切に教えてくれてバス旅は、Pricelessな経験になりました。
ビエンチャンに到着するまでの前置きが長くなってしまいました。
それにしても、ウドンターニーっていい名前だと思います。「うどん谷」と頭のなかで変換したので、うどん屋さんがあったりしないかとバスの中から市内を見ていましたが、見当たりませんでした。(笑)
それでは、いよいよ三江国際商貿城です。
三江国際商貿城(サンチャンマーケット)
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7月29日(土)13時30分にホテルに到着して間もなく、13時45分には将来のラオスの専門家になる若き卵のラオスプロフェッショナルが運転する車に同乗させていただきまました。
待ちに待った「三江国際商貿城」に連れて行って貰えると心ときめいていました。すると、彼女から衝撃の告白が。
「サンチャン市場は最近火事で焼け落ちましたよ。動画とかもアップされているはずですよ。そもそも、この市場自体が新しい場所への移転が決まっていたので、その移転を早めるために誰かが故意に放火したのではないかという説もあるのです」と。
情報収集したところ、今回の火災の事実関係は、以下になるようです。
●2017年7月14日17:30頃第1フェーズ棟(1.56万平米、120x130m)にて出火し、全焼した。
●2017年7月17日ラオ三江有限公司は記者会見を開き、今回の火災により建物内は212店舗、外57店舗、自動車2台が被害にあったと説明。多くの店舗は賃貸契約が2016年12月30日で切れており、新三江ショッピングセンター完成予定の2017年4月に移転させる予定であった。
●しかし完成が遅れたことで特別に会社側は第1フェーズ建物にて販売を継続することを許可していた。保険会社との契約も2016年9月28日で終了しており、会社側は一切の火災の補償を行わないと説明。
というわけで、私のビエンチャン訪問の目的は、焼け落ちた三江国際商貿城の見学になりました。
今回の訪問で、三江国際商貿城は焼け落ちていましたが、一部の周りの店は普段通り営業していましたので、下川さんが描写した内容を確認することができました。
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以下、今回の感想です。
●焼け落ちたマーケットの右側の位置する通り沿いに多くの店があったが、店員は圧倒的に中国人だがラオス人もいた。売っているものはMade in Chinaのすぐ壊れそうなガラクタばかり。どこの店も変わり映えしない同じような商品を扱っている。特に安い化粧品はアレルギーを起こすとして有名なようです。
●マーケットの左側には、携帯電話のみを扱う巨大なプレハブの建物が残っている。iPhoneも販売していたが、正規品で値段も通常価格。ビエンチャン市内への品分けの拠点となっている。1日にiPhoneは10台売れる。
●店のオーナーは中国人で販売員はラオス人。ラオス人は販売のための最低限の中国語を話せる。
●ホテルの1泊の料金は65ドル。高めの価格設定だが、成金に見える中国人たちがいた。ホテル内には、資源開発を営む会社名の記載があることから、ホテル内のお土産は全て自社で採掘、加工していることが予測されます。
●福建という字が看板に書かれていたり、雲南省の自動車のナンバーブレートが複数見られたので、同じ市場でも中国の国内の様々な地域出身の中国人が集まっていると予想されます。Wikipedia情報によると80%は湖南人ということで、全く予想できませんでした。
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この市場だけ見ても、以下の仮説が成り立ちます。
同じビエンチャン内の中国の市場や建設プロジェクトでも中央政府主導のものから地方政府のものから民間のものまで多種多様であり、同じ中国内でも競争が働いているために市場原理が機能しなくなり、供給過多になっているのではないか???
この仮説は根拠が全くないわけではありません。中国の粗鋼生産量は2000年に1.3億トンでしたが、2013年には8.2億トンになり6.3倍になりました。これは、中国では市場原理が働かないうえに、中央政府が地方政府の統制を取ることができないため、地方政府が過剰に鉄を作り過ぎたためです。
ビエンチャンで、上記のヒントを得たことからもう少しこの点について、深く調べて行きたいと思います。
ビエンチャンで収穫があり大満足です。
「学而時習之、不亦説乎(学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや)」
See you soon.
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