見出し画像

⑪新書「ミャンマー政変 クーデターに深層を探る」を読んで(2021年7月10日出版)

ご無沙汰です。桐島です。
最近は、トビタテ留学JAPANへの講座提供や、熊本大学への講座提供をして小忙しくしていました。

今日は、2021年7月10日に発売された「ミャンマー政変 クーデターに深層を探る」を紹介します。著者の北川さんは、東京新聞のジャーナリストで、2017年9月から3年間、バンコク支局特派員をしていた方です。

画像2

旺盛な取材を通じた現地の生の声を拾っていて、読みやすかったです。

全部で5章で構成されていて、各章の簡単な紹介は以下の通りです。

1章:クーデターの衝撃
 民政移管後も力を維持していた国軍がなぜ2月1日のタイミングで、クーデターを起こしたのか?

2章:スーチーと国軍
 スーチー率いるNLD政権のいくつかの取組は、憲法で定めた特権に固執する国軍と相容れず、両者関係が悪化していたことを描写

3章:多民族国家の矛盾
 ミャンマーの複雑な民族構成を取り上げる。ミャンマーは独立後70年以上にわたって少数民族との内戦が続くという、世界でも類がない国。内戦は国軍の存在感を増し、自分たちが国内の分裂を防いでいるという尊大さを生み、政治に関与する動機付けに、しかし、軍政下で導入された制度には、多数派民族ビルマ人を中心とする考えが反映され、少数民族の扱いに差があった。矛盾をはらんだ統治は、根深い問題として残っている

4章:狭まる言論
 ミャンマーの報道の自由を触れる。長い軍政下では、政府のプロパガンダ的な報道以外は許されてこなかった。民政移管後、事前検閲の廃止や民間日刊紙の発行容認等、規制は緩和されたが、NLD政権下でも国営メディア優遇は続き、報道関係者の逮捕が相次いだ。民間の報道機関の基盤が弱い中で、クーデターが起き、民主主義を支える報道の自由は危機的状況に直面

5章:問われる国際社会
 クーデターへの国際社会の対応について考える。クーデター後、米国はいちはやく、国軍幹部などへの制裁を発動し、厳しい姿勢を見せた。欧州も追随している。一方、中国やロシアは国軍とのかねての関係や欧米への対抗心から、強い非難は避けている。事態が混迷するなか、内政不干渉が原則のASEANも問題解決に向けた仲介に動き始めた。
 ミャンマーを「アジア最後のフロンティア」として、ODAをつぎ込んできた日本は、どう動くのか?

それでは、以下、印象的だった所を取り上げていきます。

前提知識が必要な方は、以下をご覧ください。

それでは、概要になります♪

<国軍、民主派、少数民族の構図>
●国軍からの圧力が強まるにつれ、CRPHは抵抗姿勢を露わにし、少数民族との連携を模索。
※CRPH(Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw)=連邦議会代表委員会は、NLDが2月5日に発足させた独自組織

●少数民族の武装勢力のうち、カレン人の「カレン民族同盟(KNU)」や、カチン人の「カチン独立軍(KIA)」はクーデター後、デモの参加者を警護するなど、反国軍の態度を鮮明にした。

●これに対し、国軍はKNUやKIAの支配域を空爆し、露骨な報復を加えた。

●CRPHは、3月31日、国軍を優遇する現行憲法の廃止を宣言し、暫定憲法にあたる「連邦民主憲章」を発表。憲章は少数民族の自治権を広げる連邦制の実現を掲げた。

●4月16日には新政府として「挙国一致政府(NUG)」の発足を宣言。

Noteブログ用


<国軍とスーチーの対立>
●スーチーが、国軍を悪者にすることで、国民的な人気を高めた例として、①ICJでの発言と、②憲法改正案の提出がある。

●①2019年12月11日、スーチーがロヒンギャ迫害に関して、ICJ(国際司法裁判所)に出廷して「過剰な武力行使があったことは排除できない」が、ジェノサイドの訴えについて「不完全で誤解を招く」と否定。

●国軍はロヒンギャへの不法行為を否定していたため、顔に泥を塗られた形になった。

●②2020年1月NLDは、軍の権限を弱める憲法改正案を連邦議会に提出した。

●そこには、議会に設けられた25%の国軍枠の削減、非常事態に大統領が国軍総司令官に全権委譲できるとする条項の撤廃、外国籍の家族を持つ人物の大統領就任を阻む規定の廃止などが含まれていた。

●以上、NLDは国軍との対立姿勢を明確にすることで、国民の支持を広げた。更に、憲法改正をはじめとする権力基盤への切り込みで、国軍の利権構造を脅かした。


<巨大な国軍の利権構造への切り込み>
●NLDのウィンミン大統領は、2021年1月から、石油、ガス、木材、鉱物、宝石といった採掘産業に、すべての契約を開示するように求めていた。

●ミャンマーは天然ガスや鉱物の資源に恵まれ、輸出総額の3分の1を採掘産業が占め、国軍の重要な収益源。

●カチン州やシャン州での鉱石や宝石の採掘は少数民族武装勢力の資金源で、それを奪おうとする国軍との紛争要因。大半の取引は、無申告で、安全管理もずさんで、カチン州のヒスイ鉱山ではたびたび崩落事故がある。

●NLDがこれらの産業に透明性を持ち込むこと=国軍の財布の中身をまさぐられるような行為、だった。

●また、NLD政権になってから、軍人の天下り先として中央政府の幹部ポストが減少していて、USDP議員の議席も減った。

●2020年に予算では、国軍の予算が要求通り通らなかった。これは、NLDが政権を握ってから初。


<ミンアウンフライン国軍総司令官とスーチーの水と油の関係>
●国軍が総選挙の運営への批判を強めていた2020年12月、スーチーはミンアウンフラインの政治的野心や地位への執着心について、内々で注意を促す助言を受ける機会があったが、その際、スーチーは「彼は気分屋だから」と、深刻には捉えていない様子だった。

●優秀さと指導者としての長い経歴の裏返しか、スーチーには時折、他人に対して上から目線になる傾向が顔を出す。

●(元、米国駐ミャンマー大使のミッチェルによれば)「スーチーとミンアウンフラインは、お互いに、相手を統治のために不可欠だと見ていなかった。そのために強い関係を築けず、不信感に満ちていた。だが、彼らの関係は軍政から民政への移行期に最も重要だった。共に働く方法を見つけ出すべきだった」

●テインセイン政権時代、スーチーとテインセインの間には直接対話があった。国軍出身のシュエマン下院議長もスーチーには協力的だった。

●スーチーは暴力装置のすべてを握る相手との信頼関係が欠如したなかで、綱渡り状態で政権を運営していたともいえる。


<国内に割拠する少数民族>
●ミャンマーは5400万人の人口のうち、70%がビルマ人、30%が多様な少数民族。

●英国がミャンマーを植民地にした時代、少数民族移住地域に自治を認める一方で、ビルマ人居住地域を直接支配する「分割統治」を導入。独立後も、当初はカレン人やラカイン人には「州」が与えらえなかったり、ロヒンギャは先住民族として認められず、民族によって扱いが不平等。

●そのため、独立直後から、不満を持つ少数民族を中心に、武装勢力が形成されて割拠し、中央政府に対する内戦が展開。

画像4


<独立国「ワ」>
●ワ自治管区は、ミャンマーの少数民族武装勢力で最大の兵力(3万人)を擁する「ワ州連合軍(UWSA)」が支配し、中央政府や国軍が自由に立ち入れない事実上の独立国になっている。

●自治管区という地位を与えられて優遇されたワは、地理的に近接し、同族も住む中国と関係を深め、自治管区外と隔絶した立法、行政、司法を構築。

●中国の技術者の指導を受けて兵器を生産し、他の武装勢力にも売却していると言われている。

●ミャンマー語がチベット・ミャンマー語派に属するのに対して、ワ語はモン・クメール語派に含まれ、異なる言語。ワ人の間では中国語の併用が進んでいて、中国語の方が通じる。

●通貨はミャンマーのチャットではなく、人民元が使われている。ミャンマー国内から訪れるのは至難の業だが、中国からの敷居は低い。

●シンクタンク「国際危機グループ」は、19年1月の報告書で、1,990年代以降、UWSAの支配地でアヘンに代わり、中国からの化学原料による覚醒剤製造が活発化したと指摘。

●ワ自治管区では高等教育が整備されていないため、中国の高校に行くケースがあるが、裕福な家庭に限られる。低所得層が、衣食住が保証され金銭支援をある程度の教育を受けられる軍に入隊して兵力を支えている。

画像3

<関係国の立場>
●米国と英国は経済制裁を導入。中国、ロシアは兵器輸出で国軍との関係が強いため、強い非難を避ける。日本は非難しつつも、経済面で中国に対抗する立場からミャンマーとの関係は維持したいため、制裁には慎重。ASEANは、4月24日にジャカルタで臨時首脳会合を開催。「内政不干渉」を隠れ蓑にしていては、国際社会でのASEANの存在意義と発言意義が低下するため。

●会合には、ミンアウンフライン国軍総司令官が出席。議長声明で、「暴力の即時停止」、「当事者間の対話」、「対話促進に向けてASEANの特使派遣」など5項目で合意。

●合意内容は、スーチーら拘束されている民主派の開放は盛り込まれず、暴力の停止の守護が不明確で、特使派遣の時期も明示されていないという、踏み込みの甘さが見られる。

●中国は、チャオピュー経済特区や石油・ガスパイプラインのステークを抱えるため、ミャンマー擁護の姿勢。ミャンマーの不安定化と市民の対中感情の悪化は、中国の不利益になるため望まない。

●ミャンマーは親中ではなく、中国は仮想敵国。中国が支援し、反政府活動を展開するビルマ共産党(CPB)は、独立後に長年の懸念だった。CPBを引き継いだワ自治管区=疑似国家を中国が支えていて、中国の存在は、国内和平の実現を遠のかせる。

●ロシアは、近年、国軍との親密さが増し、大量のロシア製兵器を売却。クーデター直前の1月には、移動式防空システムや無人偵察機を供給する契約を締結。ミャンマー側も、兵器調達を中国だけに頼るリスクヘッジになる。

画像5

<日本の役割>
●渡邉秀央率いる日本ミャンマー協会は、息子のクーデターを起こしたミンアウンフラインの擁護の英語記事の投稿もあり、国軍寄りの団体との烙印を押されかねなくなっている。

●2011年にミャンマーが民政移管し、テインセイン政権が成立して、ODAの本格開催が決まり、5000億円の累積債務が帳消しにされた。改革路線を進めたとはいえ、テインセインは元国軍の軍人で、国軍に様々な特権を与えた2008年憲法は厳然と存在していた。

●時がたち、スーチー率いるNLDが政権と取り、ミャンマーのいびつな民主化への警戒感は薄らいでいた。今回のクーデターはそれが希望的観測だったことを物語っている。

●進出ブームから約10年。400社以上に増えた日系企業の活動が停止を余儀なくされたばかりか、駐在員ら在留邦人の保護という切実な問題が持ち上がっている。

●日本の対ミャンマー政策、特に国軍との向き合い方は有効だったとは言えず、検証と再構築の必要に迫られている。


以上


長くなりましたが、以上が桐島がまとめです。

捨象されてしまっている箇所があるため、気になった方は、是非とも本を手に取ってみて下さい。

私が、ミャンマーに興味を持ち始めたのは直接の原因は、東南アジア青年の船でした。

更に、興味をもった理由は、この本にもあった、ミャンマーの複雑さです。

日本は、高齢社会、経済が成長しない、活気が無い、格差の拡がり、子供の貧困の拡大、など、様々な問題を抱えています。

しかし、世界をつぶさに見れば、日本の問題なんて、大した問題ではない!のです。

ミャンマーは、国家の統合、国民統合が果たされておらず、民族間の差別も多く、貧困の多く、民衆に支持されない軍人が政治の権限を持っていて、民主主義とは程遠く、中国とインドの2大国に挟まれている、状況です。

複雑怪奇さでは、旧ユーゴスラビア連邦を彷彿させ、破綻国家、一歩手前なのではないか、と思う時さえあります。

私、桐島は、こんな「ミャンマーの複雑怪奇さ」に、大いなる興味を覚えました。

ミャンマーを見ることで、世界のあらゆる問題を見ることができます。

ミャンマーは、世界の問題の縮図でもあります。

是非とも、多くの方に興味を持っていただければと思います。

See you soon.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?