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コーヒーブレイク1回目:「東南アジア」って昔から「東南アジア」だったの?(東南アジアの名称)

東南アジアファンの桐島です。今回は、コーヒーブレイクです。
「東南アジア」という地名は、「東アジア」、「南アジア」の間ということで、地理的に「東南アジア」ということになります。この地名は、英語にすれば、”South East Asia”です。

さて、日本ではいつから「東南アジア」と呼ばれていて、英語では、”South East Asia”なのでしょうか?

まずは、いくつかの本に当たってみます。最初に少し古い本(1974年)ですが、「東南アジア研究講座現代東南アジア 石橋重雄著 鳳書房」に参照します。

国の数、東南アジアの特徴の記載が興味深いです。カンボジアの前身のクメール共和国、ベトナム統一前のベトナム共和国、ベトナム民主共和国の記載があって、ブルネイは英連邦に含まれていて、独立していませんでした。

第一章東南アジアの呼称と範囲
メソポタミア(Mesopotamia)のアッシリア(Assyria)人は、当方の国々をアッシュ(Acu)と呼び西方をエレブ(Ereb)と呼んだ。おそらくギリシャ(Graecia)人はこの二つの名称をアッシリア人から譲り受けて、自国語でこれをアジア(Asia)およびエウパロ(Europa)という語に順応せしめたとされている。
そのアジアに、さらに東南アジア(South East Asia)という地域的呼称が現われたのは、1943年、「東南アジアの指揮権」がマウントバッテン(Louis Mountbatten)提督に委ねられた際に用いられたときからである。したがって、英国が最初に用いた軍事的表現で、ビルマ(Burma)よりフィリピン(Philippines)までの地理上の呼称にすぎなかった。それゆえ、「東南アジア」の呼称は、この地域の住民を主体として命名されたものではない。
しかも、「東南アジア」という名称が社会科学の分野で使用されるようになったのは、第二次大戦以後のことである。それまでこの地域は、極東(Far East)に含められた「南方」あるいは「南洋」などという言葉が使われていても、その地理的範囲も限定されなければ、その実態についても明確にされていなかった。
全体的に東南アジアは、北緯28度30分から南緯11度にまで、また東経92度20分から東緯125度50分までの地域にわたり、南北5200キロ、東西5000キロの広さにのびて、つぎの諸国を包含している。
ビルマ連邦社会主義共和国、インドネシア共和国、クメール共和国、ラオス王国、マレーシア連邦、フィリピン共和国、シンガポール共和国、タイ王国、ベトナム共和国、ベトナム民主共和国、以上10ケ国の他に、英連邦内自治領のブルネイおよびポルトガル領のチモールが包含されている。
 以上の諸国に共通なことといえば、つぎの諸点があげられる。
1.熱帯モンスーン地域に位置する。
2.類型的な食糧生産方法と生活様式をもっている。
3.インド文化と中国文化の影響を受けた。
4.白人が渡米するまで専制君主の支配下にあった。
5.欧米諸国の植民地ないし領属地としての地位と役割が強いられていた。
6.類型的な民族主義。
7.第二次大戦中、日本軍の占領を許した。
8.経済的に発展途上国である
以上のように、東南アジア諸国の過去の歴史および現在の政治情勢(経済事情)には、それぞれ似かよった点が多い。(東南アジア研究講座 現代東南アジア 石橋重雄著 鳳書房 P1~3)

ポイントは、以下です。
1943年、英国が最初に用いた軍事的表現で、地理的な場所を指すもので、この地域の住民を主体として命名されたものではなかった。

学問上、「東南アジア」という名称が使用されるようになったのは、第二次大戦以後。それまでこの地域は、極東(Far East)に含められた「南洋」という言葉が使われていた。

それでは、日本人が、戦後に「南洋」から「東南アジア」を使い始めたことに関して、有名な東南アジア研究者(矢野暢)の本を参照します。こちらも出版年は1975年と古いです。

 私は、戦後になって日本人が使い始めた「東南アジア」という言葉に、まだどうもしっくりいかないものを感じるものである。戦前の日本人がこの言葉を用いなかったというわけではない。しかし、ふつうの日本人は、この言葉を連合軍からの借り物として、つまり他人の言葉として、戦後、かっこよく使い始めたのである。
 戦前は、はじめ「南洋」がいちばん正統な表現であり、やがて「南方」「南方圏」という言い方もそれに劣らず親しまれるようになった。そして、その頃の日本と現地との関わりの過程で、日本と東南アジアとの関りを律するすべての論理が出尽くしているのである。要は、第二次大戦後の関係だけをみても、日本人が、「南洋」を「東南アジア」と言いかえただけで、過去の歴史をきれいさっぱり忘却したのだとすれば、歴史というものをないがしろにする許しがたい傲慢な態度だといわなくてはならない。(「南進」の系譜 中公新書 矢野暢 P6~7)

日本で、戦前使用されていた「南洋」という言葉が、そのまま「東南アジア」に置き換わった様子が描かれています。

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以上、コーヒーブレイクにしては、かなり重い内容になってしまいましたが、名称の起源を押さえることは、その名称に対する見方・態度を知ることになると思い、紹介しました!

日本と東南アジアの関係は、戦後に始まったわけではなく、戦前から脈々と引き継がれてきたものなのですね。

See you soon.

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