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⑮東南アジアから見る日本の侵略史(タイのヘルファイアー•パス•メモリアル)

タイのスワンナプーム国際空港で、手荷物検査でナイフ•爪切り•栓抜き等が一緒になっているサバイバルセットを没収されてゴミ箱に捨てられて 1日が始まりました。父親から貰った高級セットが一瞬で消えました…

そんな気分のまま今から内陸国ラオスに移動(2017年6月22日)します。

昨晩は、社会人になってから私が開催していた東南アジア勉強会で知り合ったラオス専門家の(卵の) 方から事前にラオスのことを伺いました。私もカンチャナブリでの体験を語った所、「えっ、日本って戦時中にタイで何かしていたんですか?」と自分と全く同じ反応が帰ってきました(少し安心 !) 。

そこで、「日本では習えない隠れた歴史が潜んでいるので、絶対に行くべき」とゴリ押しして「行きたいリストに追加します」という言質を取り付けました(おじさんの情熱が若い女性の心を動かした~ )笑。

今回は2日目(6/20)に訪れたヘルファイアー •パス•メモリアルの紹介になります。

場所は、カンチャナブリ(バンコクから北西に100キロ )から更に北西に80キロのタイとミャンマーの国境近くにあります。

カンチャナブリからバスで1時間半、50バーツ (160円)で行けます。

バスでは私が唯一の外国人で、途中にある軍のチェックポイントでパスポート提示を求められました(迷彩服を着た軍人の方が日本人ねーと親切に即座に確認) 。

こんなに不便な場所にあるにも関わらず、私がこの博物館に感銘を受けたのは、やはり設立者の思想と熱い思いを感じられたためです。少し批判めいてしまいますが、1ヶ月ほど前に NYやDCの博物館や美術館を大量に見学しましたが、個人美術館 (DC のフィリップコレクション、フィラデルフィアのバーンズコレクション)以外では、設立者の思いや情熱を感じることは出来ませんでした( そもそも文化的な遺産の保存や共有が主目的でありそれ以上でもそれ以下でもなかったりします )。

その点、ヘルファイアーは設立者のパッションがほとばしっていました。笑

そもそも名前のヘルファイアー(Hell fire)は文字通り地獄の炎ですが、困難な岩山を切り開いた際の痩せ衰えた労働者を夜に照らし出してゆらめく焚き火の明かりに因んでいます。

以下ヘルファイアーの概要になります。

創設者Tomさんの戦争体験

この博物館は、オーストラリア人の元戦争捕虜のTom Morrisさんの提案がきっかけで作られました。

Tomさんは、第2次世界大戦中に泰緬鉄道建設に使われた戦争捕虜の1 人で、1941年のわずか17歳の時に志願兵として入隊して 22の大部隊で衛兵伍長を務めて、その後部隊と共に3年間戦争捕虜となり、鉄道建設に使われたました。その期間中、 10 の異なるキャンプに収容され、マラリアや赤痢にかかりました。(その後の処遇に関しては記載無し)

博物館のはじまり

戦争終了40年後にTomさんはタイでヘルファイアーパスを見つけることを決心しました。

鉄道建設中に苦しみで亡くなった人々を追悼するために、史跡として保存することをオーストラリア政府に提案。政府より記念館建設のための資金提供がなされて、1987年に開館。 1994年には歩行路と情報の表示を含む資金が新たに割り当てられて、1998年 4 月25日に現在の形で開館しました。

博物館内の全展示物の写真

この博物館は心の底からオススメしますが、ここに来る時間が取れない方が殆どだと思いますので、展示物の写真を添付します。雰囲気を味わっていただければと思います。

ヘルファイヤパスの様子

日本人で現代史、鉄道建設、東南アジア地政学に興味をお持ちの方は、是非とも一度訪れてみて下さい。

私は、己の無知の知に気づくことが出来て、学びの悦びを再発見出来ました。

See you next from Vientiane.


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