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キュウリを好きな自分が好き

小学校低学年の頃、野菜がそんなに好きではなかった。

もちろん中には好きな野菜もあった(ジャガイモとかレタスとか)けど、キュウリとかブロッコリーなどはどちらかといえば嫌いな部類だった気がする。もちろん一度口に放り込んでしまえば食べられるのだけれど。

ただ当然うちの母は、まるでお経を読むかのようにいかに野菜を食べることが体にいいかを僕と姉に毎日説明し続ける。その横で父は脇目もふらず黙々と野菜を食べている。

そんな食卓を毎日過ごしていると、僕の中では「野菜を食べる子=大人が認める良い子」という図式が見事にできあがったのだった。

そんなわけで、母や父が見ている前ではずっと「僕、キュウリだ〜いすき!」とでも言わんばかりに食卓の野菜達をキレイさっぱり食べる子供を演じていた。内心は「キュウリって味もなくて大しておいしくもないよな....」とか思いながら。

でも不思議なもので、嫌いなものでも食べ続けていると、味に対する価値観がコロっと「転ぶ」ことがあるのだ。10代、20代の頃は特に。

一番顕著だったのはブロッコリーだ。中学生か高校生の時、弁当に入っていたブロッコリーを何の気なしに食べたら、「あれ、旨いじゃん!」となり、それ以後は親にねだる位の大好物に。キュウリは大好物とはまでは言わないが、二十歳までには「新鮮なキュウリを旬の時期に食べられるのはいいよね」なんて思える位には好きになっていた。

これ以来学んだのは、①子供もそれなりに空気を読むものだということ、②そして周囲に流されるのも意外と悪くないもんだ、という2つのこと。

特に②については最近良く考える。ある一定のレベルの意思をキープしつつ、周囲や環境に流されつつ生きている人の中には、意外と優秀な人が多い。

なので大人になった今でも、キュウリが食卓に並んだ日には「自分らしさ」って一体何なんだろう?と考えながらキュウリに噛りついている自分に気づく。






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