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お題:こっくりさん

40年以上前、小学6年生だった私は、学校でこっくりさん(狐狗狸さん)を流行らせた。2校時めが終わってからの休み時間、給食の後のお昼休み、放課後と、1日に何度も何度も級友を誘ってこっくりさんをやり続けた。つのだじろうのマンガ「うしろの百太郎」や「恐怖新聞」が大流行していたころだったけれども、私がこれらのコミックスを(しっかりと)読んだのは中学に入ってからだった。そのころどこでこっくりさんのやり方を知ったのかは、よく覚えていない。

こっくりさんの遊び方は簡単だ。横にしたわら半紙の上のほうに「鳥居」、その両側に「はい」と「いいえ」、その下に、あいうえお、かきくけこ、とならべた五十音表、一番下のところにゼロから九までの数字を書く。この紙の鳥居の位置に10円玉を置き、数人が人差し指を軽く硬貨に添え、「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでになられましたら『はい』へお進みください」と唱えると、10円玉が紙の上を滑るように動き出す。あとはこっくりさんに聞いてみたいことを質問すると、五十音や数字をなぞって答えてくれた。最後には、鳥居のところに戻ってもらい、私たちがお礼を言って終わるという流れとなる。

こっくりさんをやるのは、教室内だったり、校庭の端のプール脇だったり、笹の茂みでうっそうとしていた校舎の裏だったり。毎回7、8人ぐらい集まり、10円玉に指を置くのは3、4人。そのまわりをほかの級友が囲みながら、こっくりさんはどこに住んでいるの? とか、そっちの世界はどんなところなの? とか、いつもどんな遊びをしているの? とか尋ねて、会話を楽しんだものだ。

こっくりさんの答えがほんとうに当たるのか試そうと、10円玉に触れている子は目隠しして、まわりで見ている子がこっくりさんの示した文字を読むということをやってみたことがある。テストの答案が返されたときに、○○くんは何点? △△ちゃんは何点? と尋ね、あとで答え合わせをしたらドンピシャ! 一同驚いたものだ。

出てくるこっくりさんはひとり(?)だけではなかった。その時々で、違う人格のこっくりさんが現れ、なかにはいつも冗談を言う陽気なこっくりさんもいた。向こうの世界では、いつもお菓子を食べていると教えてもらったのが面白かった。

放課後、ヘチマがたわわに実っていた校舎の裏山の裾にある畑の脇でこっくりさんをやったときのことだ。いつもは温和なはずの、なじみのこっくりさんの機嫌が悪い。「こっくりさんをやりすぎている。もうやめろ」と言うのだ。そのうち「と け さ し ろ」「と け さ し ろ」と、ぐるぐると同じ文字を指しはじめた。「『とけさしろ』ってなんだべ」「わがんね」「どうすっぺ」「おっかね」と言いながら、みんなで解読しようとしても見当がつかない。

まわりで見ていたひとりが「あっ、『どげざしろ』って言ってんでねえが!」と驚いたように叫んだ。こっくりさんの紙には、濁点も半濁点も記されていない。濁点を示せないまま「土下座しろ」と告げていたのだ。その叫びと同時に、こっくりさんは「おまえらをころす」と言った。そして、触れていた10円玉をぐいぐい引っ張り、円を描くように何度も何度もものすごい勢いで回り出した。触っている者にも止められない。こっくりさんの最中、指を離したら死ぬといわれていたので投げ出すわけにも行かなかった。

その場にいたみんなが「ごめんなさい!」「ごめんなさい!」と頭を土にこすりつけて必死に謝り続け、「鳥居にお帰りください!」「鳥居にお帰りください!」と何度も頼み込み、やっとのこと終わらせることができた。もう日が暮れようとしていた。

次の日、いっしょにこっくりさんをやっていたタケマサくんが学校に登校して来ると、みんなに「おれ昨日、死にそうになったど。自転車で家に帰る途中、向こうから猛スピードで走ってきたクルマに轢かれそうになって、よけようとしたら、自転車ごと田んぼにつっぺって泥まみれになっちまった。おっかねがった」と話しはじめた。私はその話を聞きながら、ほんとうに殺すつもりだったのかと戦慄した。

こっくりさんには、もうやるなと言われていたけれど、「もう一回みんなでちゃんと謝まっぺ」ということになり、やってみたら、雰囲気が違う。現れたのは昨日とは違うこっくりさんのようだった。そのこっくりさんに、私が「いちばんわるいのはおまえだ」と名指しされ、「これからは1にち1かいまでにしろ」と命じられた。

それからも、何回かこっくりさんをやったかもしれない。けれども、しばらくすると「またやっぺ」とはだれも言わなくなった。

「とけさしろ」と言われて焦ったときのことを思い出すと、いまでも嫌な汗が出てくる。もしかしたら誰かがわざと動かしていたのだろうか。だとしたら、その彼/彼女は相当な演技力だ。あるいは、いっしょにこっくりさんをやっていた全員が集団で自己暗示にでもかかったかのような状態だったのかもしれない。こっくりさんなど、ほんとうは存在していない。

――とは思うものの、納得しきれない自分もいる。あれはいったい何だったのだろうか。

#私の不思議体験

付記:余計な話だけど、実は「ムー」創刊号の文通希望欄に私の投稿が載っていたりする。現物は田舎の実家に置いていたので、津波に流されてもうない。

もうひとつ付記:冒頭の写真は、実家のあったあたりを撮ったもの。右側の白っぽい造作物は新しくつくられた防潮堤。正面に見える小山は「学校山」と呼ばれている。常念寺という名の廃寺跡で、江戸時代には寺子屋があり、明治のころには小学校の分教場になっていたらしい。学校山の裾には昔の墓石が転がっていて、子ども時代、一人その墓石の上を飛び跳ねて遊んでいたこともあった。あたりは藪で見えなくなっているものの、津波に洗われた古い墓石がいまも散らばっているはずだ。2018年撮影。

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