見出し画像

2024年8月 Cambridgeshire Holiday Orchestra

2024年の8月が終わりました

某ブリッジのホリデーオーケストラは学習児が7歳になったときから Covid-19 のとき以外は毎年、とくに夏休みのコースは必ず参加してきて、今年も従姉とともに参加しました

学習児12歳(チェロ)、従姉14歳(ヴァイオリン1)が、今回初めて一番上のオーケストラに参加しました

曲目は

  • Berlioz: Roman Carnival Overture

  • Stravinsky: Firebird Suite (1919) より、Berceuse と Finale

コースが火曜から金曜の4日間+コンサート当日の土曜日にドレスリハーサル(日本ではゲネプロって言うらしいですね、私には馴染みがありませんが😂)というスケジュールです

最初の3日はヘルパー(音楽の指導の手伝いではない)として練習の現場にいたのですが、これ、音楽が難しすぎるのか、大丈夫なのかと心配でした😂

でもコンサートではバッチリキマってました👏

学習児は毒親にやらされていると思っているかもしれないけれど、毒親はこんなことできるわが子がうらやましいのです😂

知り合いの日本人の方で、ご家族がこのコンサートを見に来ていた方と少しお話しする機会がありました

某国はこんな機会があって素晴らしいですね、日本ではこの年齢になるとみんな塾に行って勉強するのに忙しくて、こういうのはなかなかないんですよ、と仰っていました

そんなに勉強に拘束されて、会社勤めを始めれば会社に拘束されて、「いい学校」に行って「いい会社」に行くことが人生の目標というのは昭和が起源の毒教育だと思いますが、まだそれが続いているということなのでしょうか

某国も実は学歴社会ではありますが、日本のように普通の子も努力して勉強以外のことを犠牲にして猛勉強して少しでも「いい学校」に入れるように競争させるというのは、ふつうありません

いい学校に入れる素質のある子や強い動機がある子ががんばってください(その他の子はテキトーにやってください)みたいな文化ですし、そういう「頭のいい子」というのは勉強だけでなくほかのこと(芸術、スポーツ、音楽など)も積極的に継続してやっていることが多いです

私は、そんなにアタマがよろしいのであれば、わざわざ組織に属して人に言われたことをやるよりは、フリーランスで仕事をしたり、起業したりして、自分で道を切り開くような生き方をすればいいのに(それができないのなら、大してアタマはよろしくないと認めましょう😂)と思いますよ

オベンキョやケンキューが心の底から好きなのであれば話は別ですが、そうでないこの世の大半の人は、やりたいことが見つかったら学歴のステータスにこだわることは意味が薄いと思いますよ

年をとっていくと、社会的な責任、職場での責任、家庭での責任、自分で自分の面倒をみる責任が出てきて、自分のためにだけに使える時間が限られてくるので、子どものうちにオベンキョももちろん大事ですが、それ以外のことに時間を忘れて没頭するといった経験がないと、大人になるといろいろな責任に押しつぶされ、自分のやりたいことよりも他人にどう思われるかを優先し、最悪の場合は自分がなにがやりたいのかすらわからなくなると思います

学習児の従姉が我が家に滞在している日は、家での音楽の復習、練習については一切口を出さず(口は出したかったけれど我慢した😂)、あまり夜更かしがすぎないように寝る時間に声をかけることだけしました

夏のホリデーオーケストラは学校で新学年が始まる前のウォームアップとしてとてもいいです

来年もできたらいいなあと思っています

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?