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ある気分変調症者の戯言

このようなものを見た

そのまんま私の話なのに驚いた

私がはっきりと自分の何かがおかしいと自覚したのは小学校6年のときだが、そのときに両親が離婚したため、大人たちには私がおかしいのそのため、ということで片付けられた

実際は、両親の離婚が決まったときは、やっとこの日が来た、もう両親の言い争いを見たり聞いたりすることはないし、この家で殺人事件や傷害事件が起こる心配をしなくていいと安堵していた

なのに私が両親の離婚によって傷ついているということにされて心外に思い、私は思い切って、私は両親の離婚は受け入れていること、そして私の母は他人が思っているような素晴らしい人間ではなく、人目のないところではネグレクトを私が物心ついたときからし続けてきた張本人であるということを、当時の担任の先生に訴えた

そしたら私の考えは間違っていると諭され、私の母はどう見ても素晴らしい人なのだと言われた

このときの絶望感

その後の学校での心理テストで「死にたいと思うことがある」というのには必ず丸をつけていた。それは誰かに気づいてほしいというよりは、「死にたい」というのが私にとってはデフォルトの普通のことだったから、ありのままに答えたまでのこと

必ず保健室に呼び出された

そして事情聴取みたいなものをされ、必ずそれは精神病ではなくあなたの性格の問題と言われた

中学校、高校、大学、大学院で全て同じパターンだった

高校のころから起きているときは常に頭の前方が重くモヤモヤし、それから逃れるために睡眠に逃げていたので、学校のない日は家で寝過ぎて頭が痛くなるくらいに過睡眠に落ち入り、暇があれば寝ていたので、趣味など持ったことがなかったし、友人は皆無に近かった(大学院では完全に変人に達し、友人は皆無だったし、修士論文に辿り着けたのは奇跡だった)

就職してから自費で精神科に行ったが、そこでも同じパターンだった。医学でできることはないと断言された

だからカウンセラーに診てもらったが、人に話して治るようなものなら、今ごろとっくに治ってるわ💢と不信感しかなかったし、この人には私のことは全然わかってもらえそうもないと諦めた。何回か通ったが、時間とお金の無駄だったと断言できる

某国に移住して最初に行った精神科医にはなぜか性生活のことをしつこく聞かれ、その挙げ句に言われたことは、これはあなたの性格の問題という、なんの新しい情報もなく、対策のしようもないことだった。当時(2000年代)は某国でも状況は同じだった

しかしその数年後の30代半ばで、朝起きれなくなって会社勤めに支障が出そうになったので、ほとんど最初から諦めてはいたが他にどうしようもなかったので、医者に行ったら、その医者は話のわかる人だった

例えば心臓の悪い人にそれは性格の問題とか気の持ちようで治るというのは馬鹿げている。あなたもそれと同じ。だから薬を処方します。ただし、この薬はおそらく一生飲み続けなければならないでしょう。それは理解してくださいと

処方されたのはSSRI系の Citalopram だった

私が処方されたのは最小量の10mgだったが、結論からいうと効き目があった。朝起きられるようになり、頭のモヤモヤが取れ、十数年ぶりに初めて頭がスッキリした。しばらくしたら気を許して話ができる人もできてきて、このときに初めて私は某国でも生きていけるという自信が出てきて、当時の夫と離婚する決心もできた(全夫には暴力を振るわれることも浮気をされたこともなかったが、私には精神的弱者でい続けてもらうことで自分の優位を保ちたかった人で、薬の服用に理解がなかった)

その後、現在のオットと縁があり、義理の弟夫婦に子どもができたときに、私もなんとかこの子を守っていくのに協力していきたいと強く思ったことに自分でも心底びっくりして(それまで子どもは大嫌いだったので)、それだったら自分たちでも子どもを持ってもいいんじゃないかと思い始めてオットに言ってみたら、あれほど驚くオットの顔はもう二度と見ることはないのではないかと思うほど、オットがビックリ仰天していた(そこまでびっくりするって失礼ってくらい😂)

それで妊活のために薬の服用をやめることにしたのだが、この薬には中毒性はないものの急にやめると禁断症状が出るので、最小の10mgの錠剤をカッターで半分に切って飲んで、そしたら1日おきにしてとか、けっこう面倒なことを長期にわたってしないといけなくて、私はそれにしたがっても猛烈なめまいに襲われて、もうこの際めまいをひたすら我慢してすっかり服用をやめることにしたら気づいたらめまいがなくなっていたのでやめられた

そのころには40歳を超えていたので、自然妊娠はできないかもしれないが、できなかったらできないでOK、不妊治療をしてまで子を持たなくてもいいというくらいの気持ちで妊活に挑んだのだが、ぶっちゃけ、こんなに狙っても妊娠ってしないものなんだなと、そして生理が来ると悔しさすら感じた(当初の心の余裕はどこに🤔)

でも妊活を始めて3か月目の生理が来なかった。母性本能が皆無に近い私でも妊娠できた😳

オットとは生涯事実婚で行こうと思っていて、そのために某国籍まで取得していたのだが、子どものことを考えたら結婚した方がいいのではと言われ、では私と結婚してくれますかと私がプロポーズした😂

出産後、産後うつのようなものがお決まりのように来た。このときに医者からは薬の服用を言われ、オットからも薬を服用してくれと懇願されたが、一度服用すると禁断症状がひどくてやめられなくなること(次にまたやめられる自信がなかったこと)と、今回は育児のストレスから来るウツということで原因がはっきりしており、私が物心ついてずっと漠然と感じていた「消えたい」「自分は生きていてもしょうがない」というのとは全然違うので、薬を服用することを拒んだ。医者にもオットにも最後まで理解されなかったが、ここは自分の考えを通した

私は産後10か月で仕事に復帰し、その2年後に乳がんが発覚し、仕事の量は減らしつつ離職はせず(これは良い判断だったと思う)、抗がん剤治療中に人生で最低のところまで精神状態が悪化したが、オットがいたことと、オットに子を押し付けるような形で自分がいなくなってはいけないという義務感から、自分は絶対に治って意地でも健康体に戻るという思いで乗り切れた。ここでも薬(精神安定剤)は飲まなかった

これが人間不信で経済的には絶対に自立していなければならないという気分変調症の私の話

親から経済的にも見放されたら学校に行けない、学校に行けなければ父の経営する会社に雇われ、父には恩を着せられ、お前はこんなにダメな人間だと人前で恥をかかされ続け、父の支配下に置かれ続ける(兄のように)。それだけは絶対に嫌なので、学校に行っている間だけひたすら父のことを我慢し、大学を卒業したら家を出て経済的に自立し、誰かからの支配は絶対に受けない。オットとは所詮他人だから、全夫のように、離婚すれば他人になる。そのときに経済的理由で自分の自由な人生の選択ができないという惨めな思いはしたくない

他人様のことは私はコントロールできないので、自分のコントロールの及ばない存在を信用して頼るということは私にとっては最もリスクの高いこと

だから全てにおいて自分で責任を取る。他人に期待したら失望に終わることはわかり切っている

私にはこの生き方で通せると信じたかった

(続く)



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