サキ(毒親育ち)

サキ(毒親育ち)

最近の記事

孤独に悩む

思春期から人に心を開くのがとても苦手だった。 社会人になって病んでからは孤独さに拍車がかかった。 人との距離感がわからない。 なかなか他人が心を開いてくれないような気もする。 身分や金を持っているかどうかで人を判断するような異性はクソだと思っている。実際に異性と接してみると金のことばかりしか考えていない、その癖自力で金を稼ごうという気概のある女はいないのに絶望する。 孤独すぎて疲れてしまった。 独りでいることに慣れすぎて人の輪に入っていけない。 女運が悪い気がする。

    • いじめられっ子からプチスターに

      あれは忘れもしない中2の秋の催し物。 自作の1発芸とギターでユニコーンがカバーしたverの東京ブギウギを下手なギターで一生懸命カバーしたこと。 大勢の前でギターを弾き、歌うのはかなり緊張した。 にわかに人気が出た影響かイジメの頻度は3割減り、1発芸を求められることもあった。 人生で1番人にチヤホヤされた時期だったかもしれない。 ラブレターは貰えなかったけれど、バレンタインチョコを2つもらうことはできた。 チョコをくれた3年の女子の先輩を家に誘ったら約5分で帰られてしまっ

      • イジメ被害について

        小学生高学年から中学卒業までイジメは続いた。 終盤にかけて、もはや精神崩壊気味であった。 当時の自分の楽しみといえば、好きな音楽(奥田民生)を聴いたりマンガや小説を読むことだった。 猫が小さな頃から好きで今でも一番好きな動物は猫ちゃんだ。 イジメの内容は文通している女の子との手紙を取り上げ読み上げたり、校門前で待ち構えて豪快に僕を投げシャツのボタンが取れたりする散々なものであった。 あの時音楽が、ロックが無ければ死を決意していただろう。その頃奥田民生の曲で好きだったのは

        • 機能不全家族

          うちは母親と父親が過干渉で、家出歴があるせいか行き先を毎回聞かれるけどうっとうしい。 幼少時代は家に友だちを呼ぶのを嫌がられることから あまり呼べなかった。 また、気性が激しい性格(のちにイジメ被害で変わってしまう)だったから遊び相手も見つからなかった。 だから子どもの分遊べなかった分、人と遊びたい。 でもあまり会ってくれる人はいないからさみしい。 大人になってから友だちや恋人を作るのは毒親育ちだと苦労する気がする。 あ〜友だち欲しい。

          アルコール依存症の父親が迷惑だった話

          二日酔いで体がうまく動かなくなるまで酒を飲んでいた父親。 酔っては仕事の愚痴やパチンコ代に使うお金を母親にせびっていた。最低な父親である。 子どもに手を上げるような性格ではなかったのがまだ救いか。 清掃の仕事をしていて体力が試される仕事で一応正社員として働いていた。 しかし手取りの給料が16万かそこらで散財もするため、母がヤクルトの仕事をしなければ食ってけなかった。 ヤクルトには頭が上がらない。 今も年金のほとんどを自分で独占し、金は持ってるはずなのに金がないと言い訳

          アルコール依存症の父親が迷惑だった話