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浅見光彦と私の37年 ②

1991年の「公務員の手帖」より 恥ずかしいほど絵が歪んでる

いや〜絵って変わるんですよ!
だから今「下手くそで〜」とか言ってる初心者絵描きの皆さん、安心して下さい!絵は描けば描くほど上達します!(プロになれるかは別問題ですが)

当時メインで描いていたのは「孔雀王」の同人誌だったため、陽一郎さんの眉に王仁丸さんの影が見えます。内田先生にもまだお会いできていなかった頃なので、イメージが全く違う(苦笑)その後「軽井沢のセンセ失踪事件」で内田先生を描いた後「こんなに頭薄いかな」と、内田先生が言ったとか言わなかったとか…(笑)

公務員の手帖3の初版は1991年、映画がショックで(おのれ市川崑! 光彦は美形だぞ!ショック)コピー誌とかも出していた…と思う(同人誌処分しちゃったので手元に無い)
因みに①のタイトルにした写真の公務員の手帖5は1993年、6は1995年発行です。

今でこそ、名だたるサスペリアミステリーの作家陣が浅見シリーズをコミカライズされている中で本編コミカライズするには私では実力不足だったと思えるのですが、コミケでも唯一と言われた浅見本を出していた自負もあり、この頃の私は自分が歯痒くてしかたなかった。FCのイベントに参加しても肩身が狭かった…。

私自身が鳴かず飛ばずのアシスタント兼業作家だった2012年、サスペリアミステーリーが廃刊になりもう浅見シリーズを描くことはないだろうと思っていたのですが、2015年(だったと思う)細々とお仕事をさせて頂いていたぶんか社で「浅見光彦シリーズを連載のラインナップに上げたいのですがどうですか?」という打診をいただいたのです。
「アンケートで良くも悪くも全く反応がない」という理由でぶんか社のレディコミ雑誌で首を切られたところでした。(凹みはしますが悪評も票のうちなんです、マジで)
首を切られた時点で浅見シリーズのコミカライズ誌を出していた実業之日本社さんに持ち込みをしたのですが「うちは原稿料安いので専業作家さんには申し訳なくてお仕事依頼は出来ません」とやんわりお断りをされていたのです(苦笑)(原価計算を書いて何故原稿料が安いのかきちんと説明してくれました)実業之日本社の編集さんが安いと提示してくれた原稿料はぶんか社の提示してきた原稿料と全く同じ金額だったので、採用されなかったのは私の絵が編集さんの好み(実際の本づくりは編プロさんがやっていたので、ラインナップが編プロさんの顔馴染みの方ばかりなんだそうです)ではないと思われたようです。

ぶんか社の担当さんは当初私がサスペリアミステリーで浅見シリーズを描いていたこともFCに入っていることも知らずに「仕事ないでしょう?」的なノリだったのだと思う(違います!…多分)
最初の執筆条件は文庫本1冊を100ページで隔月読み切り、原稿料はレディコミの3割減(サスペリアミステリー時代の4割減)。とてもじゃないですけど黒字には出来ない原稿料です。
内田先生も「100ページで単行本1冊? できるワケないだろう」呆れていらしたようです(笑)
そんな状況でも仕事のない無名作家には喉から手が出るほど欲しいお仕事。ページ数だけでも何とかとゴネにゴネ、現在に至るワケです。(原稿料は1円も上がっていません)150ページでもページは足りるワケじゃなかったのですが(苦笑)
毎回きちんとページにおさめ、クオリティを保たれている私以外のコミカライズ担当作家さんの技量にはいつも頭が下がります。すごいです。

で、以来9年、浅見シリーズの本編コミカライズを描かせていただいています。(秋田時代の私に教えてあげたい)

2024年、最新版の浅見

…「浅見光彦と私の37年」③に続く

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