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【エッセイ】私の中の身勝手さの独白及び精神的自立について:ガキの頃の話を添えて

 私がまだ大学生の頃、私は心を病んでいた(今も病んでいるが)。そんな時、一人の女性に恋をした。

 だが、病んでいる時の恋愛ほど辛くて苦しいものはない。当たり前のことだが、自分以外は全て他人だ。自分にはどうすることもできない。どうすることもできないことについてあれこれ悩むのは今考えれば自殺行為だが、当時は必死だった。

 そもそもの心が病んでるのでうまくいくわけがない。無意識に目が彼女を追っていた。他の男性と楽しそうに話してるなとか、今日は元気がないなどうしたんだろうとか、彼女の些細な言動や仕草に左右され、勝手に傷つき、あゝ、あんなことを言わなければ良かったとか、あの時にもっとアプローチしておくべきだったとか、常に頭脳労働に没入していた。

 私は病んでいる自分に鞭打って、暗い性格とは相反して強引なアプローチをした。特別な話題など何も無いのに、何があっても毎日話しかけた。誕生日には大きなケーキを渡し、バレンタインにはクッキーを作ってみた(これが不味いのだ)。馬鹿だから、毎日学校の近くの神社に行って恋の成就をお祈りをしていた。学生でお金がないくせに、バイト代を使って海の見えるオシャレなディナーに誘った。反応は、殆どがそっけないものだった。私が悪いのだ。今冷静になって考えれば、焦りすぎだ。恋愛に焦りは禁物なのだ。その時点で私は「ああ、この恋は一方通行だな」と思った。

 このような強引なアプローチにより、時には嫌な顔をされて傷ついたこともあった。彼女は悪くない。仕掛けた私が悪いのだ。

 次第に私は深く病んでいった(もちろん恋愛だけが理由ではない。当時の若い私には、いろんな悩みの種があったのだ)。被害妄想、吐き気、倦怠感、希死念慮等、身体にも症状が出ていた。学友からも「お前大丈夫か」「自殺しそうで怖い」などと言われた。その頃の記憶は殆どない。

 話が急展開するが、ボロボロの状態で私は、敢えて突撃した。思い切って彼女とのディナーの席で直接「告白」したのだ。学生には似合わない、海の見えるレストランだ。女性に面と向かって直接告白するのは初めてだった。直接言うことでスッキリしたかったんだと思う(結局あまりスッキリできなかったが)。結局、最後まで自分本位だ。その後もう一度告白した。君が好きなんだと。人生で2回も同じ人に告白したのも始めてだった。我ながら凄い神経だ。今考えると凄く気味の悪くて、重い奴である。もちろん、答えはNOだ。

 このような経験から私は「傷ついてるのは自分だけだ」と思っていたが、今思えばそれは恐らく間違いだ。私もきっと私の身勝手な行動及び言動で、彼女を傷つけていたと思う。

 そもそも恋愛は「精神的に自立していること」が大前提なのかもしれない。「精神的に自立」できていなかった私には、まだ恋愛は早かったのだと思う(今でも自立できていないが)。

 最後まで自分勝手なことを言うが、できればこの一連の出来事はなかったことにしたい。記憶から消し去りたい。

 ただ、彼女の中にある優しさについては忘れたくないのだ。

 私のためにCDを買ってくれたこと。
 二人きりのディナーに付き合ってくれたこと。
 こんな私に構ってくれたこと。
 それがお世辞だとしても、だ。

 自分の勝手な解釈で彼女を恨んだこともあった。出会わなければ良かったと思うこともある。正直、悲しい思い出の方が多い。

 しかしここまで誰かを好きになれたこと。彼女に出会えたことは感謝するべきであろう。それがたとえ苦しみでも。

 彼女にはもう会うこともないと思っていたが、それから何年か経った頃、たまたま行った旅行先で彼女らしき人とすれちがった。彼女は悲しそうな顔をしていた。私のことに気づいたかどうかはわからない。そもそも彼女かどうかすらわからない。ただ、すれ違った瞬間「この恋はもう終わったんだ」と思った。こんなに誰かを好きになることもないだろう。

 大人になった今でも、私はもう何年も恋はしていない。誰かを深く愛するのが怖い。恋をすることは喜びも苦しみもあるが、私は逆に今でも「恋をしていない苦しみ」に苦しんでいる。

 私のこの密かなる独白を「重い奴だ」、「気味が悪い」と思うかもしれない。そもそも誰にも読まれないかもしれない。ただ時間という流れに埋没していくのかもしれない。それでいいのだ。

 若い頃の話だ。随分前の話だ。もう全ては過ぎたこと。今私にできることは、彼女の幸せを願うこと、そして何より自分自身を大切にすることだろう。

 でも、ふとした瞬間に彼女が耳に髪をかける仕草をときどき思い出してしまう。


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