自殺未遂のお話し


センシティブなお話になります。

これは、小学3年生の時に体験した自殺未遂のお話しです。



ただなんとなく死にたかった。

小学1年生の頃、クラスに知っている人は一人もいなかった。
17歳になった今でも鮮明に覚えている。
幼稚園ごとに挨拶をして、グループを組む時に私はハブれた。
それもそのはず、4歳の時にここに引っ越してきたばっかりだ。唯一の知人ともクラスは離れてしまったていた。
そのまま孤立した。

そして何故かいじめと呼ぶにはあまりにもちっぽけな辛い出来事が重なった。

帽子を隠された

定規を捨てられた

怖がりな私に、怖い本を無理やり見せてきた

数学の授業で使う時計を壊された

グループを作る時にハブられ、先生に無理やり入れられると悪口を言われた

過呼吸を起こして、先生に怒鳴られた

父は転勤族で、4歳になるまでの間に3回以上引っ越した。
忙しかったし、親に構ってもらった記憶はない。
何故なら、自分が2歳の時には母は妊娠していたし、父は引っ越しの準備をしていたからだ。
引っ越しを沢山したため近所に頼れるような親戚も居なかった。
家も当たり前にアパートで、ベッドサイドにはムカデが沢山いた。化け物みたいな蜘蛛も沢山いた。
両親共にヘビースモーカーで酒乱だった。
私はあっという間に喘息になるが、そのときはまだ誰も気づかない。

幼い頃の両親との記憶は、

お茶をこぼしてベランダに追い出されたこと。

朝食を作らされた時に、卵を割ることに失敗して包丁を向けられたこと。

駄々を捏ねて殴られたこと

ぐらいだ。

父は酔っ払うと殴る人だった。(今も)

小学校の、両親との作文を書く授業が憂鬱だったことを覚えている。
大嫌いなクラスメイトの自分よりキラキラした思い出たち。
私は嘘の思い出で、学年代表に選ばれるような文章を書いた。
当時から文章を書くことが好きだった。
それと同時に虚言癖がついた。
本当のことを言っても余計に嫌われてしまう。

そんなこんなで小学3年生になったときには既に希死念慮に駆られていた。

幼いながらに人生に絶望していた。

おそらく人より早くに思春期を迎えたのだと思う。

私は気がついたら首を吊る決心をしていた。

父の趣味である筋トレに使う懸垂機にフェイスタオルをかけ、足にコロコロのついた椅子に乗って首をかけ、思いっきり椅子を蹴った。

瞬間に感じたのは痛み。

息が苦しいとか、そんなのはどうでもいい。

ただただ首の皮膚が痛かった。

首を吊る決心をする前にも、首を絞めてみたりとか、その他の自傷行為にも小学1年生の頃からずっと及んでいたが、今までに感じたことのない恐怖と痛みだった。

本当に死ねるのだろうと本当にそう思った。

視界が真っ白になったかと思えば真っ黒になって、気がつけばバタバタと暴れていた。

「このまま死ぬのは悔しい」

そう思っていた。

私は必死に宙を蹴った。
そのとき、思いっきり壁を蹴ることに成功してしまい、懸垂機ごと倒れた。
騒音がし、母が部屋にやってきたが、首を吊ったことはバレなかった。
首にはしばらく痣が残ったが、両親がまじまじと私のことを見ることはなかったのでバレなかった。

時が立って17歳
私は今でも死にたいと感じることがある。
毎日そうだ。
しかし、明らかに昔とは違う感情になっている。今は、頑張って努力して友達を作った。
趣味も作った。
両親の苦悩も理解し始めた頃だ。

あれから色々な感情と出会って、たくさん泣いて笑った。

あの時に「このまま死ぬのは悔しい」と思ってくれた私に報いなければならない。
このまま死ななくてよかったと思えるような人生を歩みたい。

相変わらず、生きていく意味は見つからないけれど、少しずつ前を向けている。ような気がする。

沢山辛かったから、感受性は豊かになった。
沢山痛かったから、人に寄り添えた。

嫌なことも嬉しかったことも、全部が私の人格を作っている。

結果的によかったと思えるように、辛い今を乗り越えたいな。