「池袋の行けの部分」2024年4月14日の日記

「終末トレインどこへいく?」第2話を観た。日常系の「甲鉄城のカバネリ」?

以前から「デュラララ!!」の〈(非)日常〉について考えたいと思っていたが、西武池袋線沿線しか存在しないという世界観が示唆される「終末トレイン」のそれも興味深い。津波表象についても考えたい。

ILLIT「Magnetic」を鬼リピしている。今日のK-POPシーンにおける〈ガールクラッシュ/イージーリスニング〉という二項対立が興味深い。ポストNewJeansの〈イージー〉を謳いながら、それはアイドルのハードワークに支えられているという矛盾(その矛盾すら世界観たり得る?)、あるいは、〈ガールクラッシュ〉を謳いながら、ファンダムは宗教的にアイドルの恋愛や衣装を批判するという矛盾、コンセプトを信じきれていないという点において両者は合わせ鏡のような気もする。

それらは、例えば、〈セカイ系〉批評としての〈日常系〉は、結局、男性オタクが共感可能な男性キャラクターというノイズ排除して、少女しか存在しないユートピア(ディストピア)で消極的に性欲を解消しているだけではないか?という疑問にも接続できそうだなと考えた。素朴なフェミニズム批評に思われるかもしれないが、そうでなく、〈イージー〉な世界観は、どのように成立しているのかということだ。

欺瞞に満ちた〈イージー〉をどう回避するかを考えている。「無印良品」に代表される〈丁寧な暮らし〉にも接続させたい。私は「不揃いバウム」が好きなのだが、その訳有り商品的な価値転倒のみならず、「不揃い」しか存在しないという不気味さをクールなものとして評価したい。

最近、ひとと会う機会が多く、大学も始まったので、池袋の無印良品で安売りされていたスケジュール帳を用いている。

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