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怒りについて

天気が悪い日、家で海辺のカフカを読んだ。村上春樹作品を読むとそのあと書く文章がことごとく村上春樹風になる。やれやれ。

案外こんな毎日に退屈はしていない。つまり自粛生活で家を出られない日々のことだ。猫もいるし妻もいる、やらなければいけない仕事も色々とある。部屋の掃除や整理整頓、時間があるからと始めた語学学習。忙しさすら感じる時もある。たぬきに借金も返さなきゃいけないし。今は島の一番上の部分に温泉を作る作業が佳境に入っている。

毎日人々が怒っているのを見かける。それはコロナウイルスそのものに対してであったり、あるいは政府、マスクをして出かけない人、マスクを買い漁る人、自粛せず歩き回る人、感染した人、海外旅行をした人…とにかく多岐にわたる。誰かが誰かに正義を振りかざす。ジャッジメントすることはその瞬間、とても気持ちいいから簡単な娯楽になる。
家にいなければいけないことをストレスに思ったり、「自分が我慢していることを他者がやっている」ことに対して憤りを覚えるタイプの人には、良いストレス発散なのかもしれない。

怒りを表明しなければいけない、意見を言わなければいけない、そうしなければこの世の中は変わらない…という意見を目にした。怒りは強いエネルギーだ。それを出す方も受け止める側も疲弊する。

私はずいぶん前に怒ることをやめてしまった。それは私にとってめちゃくちゃ疲れる悲しいことだからだ。人が怒ってるのを見るのも辛く苦しい。だからテレビを見ないしSNSも極力開かない。ここ最近は毎日誰かの怒りがそこかしこにある。「怒らないこと」を怒っている人さえいる。これが地獄でなくしてなんなのか。
マスクが2枚だとか、パチンコ店に行くとか、とんでもないと思うけどそれに対して心を動かすこと、そこに注視することがどれだけの無駄であり人生を損なっていることか。物心ついてからずっと怒りと憎しみにまみれて生きていたので、私はもう怒ることに疲れた(10年くらい前から)ある地点からもう怒ることをやめたのだ。それは止めることができるものだと気付いたから。もしも怒ってしまったら、事実を客観視する。そして大切なのは怒ってしまった後「怒り続けない」ことだと思う。
これ以上人生を損ないたくない。だから人の怒りを見ないし受け入れないし私自身も怒らない。

私がやることは、意見を言うこと、他者の気持ちや行動に自分の心を重ねないこと、家にいることだけです。

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