礫の雨/狄嶺

礫の雨
狄嶺


 礫(つぶて)の雨は、決まって煙と共にやってくる。

 気の遠くなるほどに深い洞穴の向こうから、捻りだされるようにして吐き出される煙の集団は、まるで気の触れた龍のように、ぐるぐるととぐろを巻いて空に昇って行く。硫黄か酸か見わけもつかない、鼻のもげそうな異臭の中で、我々はすっかり滅茶苦茶になったかつての同僚たちを拾い集める。丸太のように積みあがった彼らの抜け殻に火を放てば、リンが鬼火のごとく青白く嘲笑っている。その大炎上の中から立ち昇る煙と言うのは、むせ返りそうなほどに生臭く、我々のただでさえ低い労働意欲を一端も残さぬべく、一層そぎ落としてくれるのである。

 産業の停滞はおよそ百年にも及んだ。封建領主どもの都合のせいで、向上に費やすべきその日々を盲目のうちに取り残されていた我々は、速やかに異邦との遅延を取り戻すことを強いられるわけであって、その身を粉にしてまで勤労を突き詰めることをもはや拒むことはできなかった。誰が言ったか産業というのは一年やそこらではならぬもの、というのは立証するまでもなく事実である。その後の数十年においてわが祖国は、この真実を嫌という程思い知らされてきた。それにも関わらず国というのは焦燥に取りつかれたら最後、その真実を直視し得なくなってしまうようで、

「半年にして為らしめよ」

 とわがままな幼児のように、今日もまた撃鉄を起こしながら喚き散らす。結局のところ、為政者の尻拭いを強いられるのは、やはり我々であった。
母なるこの不毛な大地に、礫の雨が降り注ぐようになったのは、このように祖国が身の毛がよだつほどの焦燥と疲労に取りつかれた頃だったと記憶している。太古より高気圧の巣窟であった祖国において、元来「雨」とはすなわち豊穣を意味するものであって、喜ばしいものと考えるのが伝統である。我々の祖先もまた「雨」を太陽に比べる双璧として崇め祭ったのだと考えられている(現代社会において、このように前時代的な行為は非合理的であって、もちろん禁止されている)。

 ところが、礫の雨と呼ばれる雨は、残念ながら豊穣とは全くもってかけ離れるものであった。我々がどれほどの血を流して徒労に励もうとも、どれほどの涙を流して屈辱に耐え忍んでいようとも、それら勤労の数々をかき消すような轟音をまき散らしながら、前触れもなく我々の上に降り注いでくる。暗闇の中にある奴の前では、勤労に尽くし手のひらいっぱいに称えた幾筋もの勲章すら、少しも拝むこともできぬまま悲惨な最期を送ることになるのだろう。

 さて礫の雨が煙と共にあると形容されるようになったのは、ひとえに奴を推知するにはやはり煙を除いてほかにないからである。奴の姿を正しく認識している者は著しく少ない。礫の雨に降られれば、ほとんどの場合逃げる隙も与えられることのないままに、その者には虫けらのように惨めな最期を迎えるから、やはり生存して帰ってくるものは多くない。結局のところ我々は、穴倉から煙が立ち上っているのを見て、やっと奴の訪れを知るのである。

 ところで飯崎という気に食わない奴がいるのだが、この初老の男に限っては、かつて礫の雨に出くわしたにもかかわらず、生存して帰還したのである。彼の足はすっかり紫色に死滅しているのではあるが、無駄口をたたくのに必要な臓器に関しては、奴に奪われることは無かったようである。やれ議会が怠慢だの、やれ労組が無能だのと言った、頼んでもいない政治談議を突如として開幕するのが彼の秀逸な会話の常であり、更に悪いことに、披露されるあらゆる情報はろくな裏付けもされずに、ただ一方的に垂れ流されているものである。大損傷を負っているにもかかわらずこの政治談議だけは健在なのだから、何とも口惜しいばかりである。通常であればその場に立ち会うことすらも、苦痛が天を突きそうなものである。しかしながら、礫の雨のその名が彼の口から出てくるといつも、私を含めその場の皆は、不思議と魅入るような感覚を覚える。


 飯崎の連隊は、三日前の夜半に穴倉の中にもぐりこんだ。洞窟中も真っ暗闇なのだから、真夜中だろうと変わりはないだろう。月のノルマを補充すべく、連隊長はこのように無理な理由をもって隊員に残業を強いたのだそうだ。第九号本分岐に差し掛かったころから、上蓋部の組木に若いヒビが目立つようになってきた。土埃が尋常でないほどに立ち込め、蛍光灯の光が一寸先も照らせないほどにまで迫っていた。迷うこと無く一直線に導いているはずの軌道ではあるが、慢心して身を委ねているのは気が狂いそうになったのだろう。それほどまでに、行く末が測りかねない恐ろしさが、連隊を包んでいたという。

 第九号の第十二番分岐に進入したところで、連隊は大地の琴線に触れた。鼓膜に押し当てて珈琲豆を挽きおろされているような轟音があたり一面に鳴り響く。飯崎には天より下った雷が、地に衝突してもなお勢い衰えることなく、岩盤を粉砕しつつこの大深度地下まで直下してくる、そのように思えたそうだ。一瞬の内だったという、上空に一条の分断線が走ったと思えば、蓋部は二分のうちに遮断された。

 皆は死を悟ったという。仲間が頭を抱えながら突っ伏していくのに対して、彼だけは堂々と天井を見上げて見せたという(飯崎はこの場面について、煙草臭い鼻息を私の顔面に吹き付けながら、意気揚々と語っていたと記憶している、大変不快だった)。すると、亀裂の向こうの暗闇の中に、とうとうと輝く光の群れを見出したという。

「きれいな星が落ちてきた」

 飯崎の比喩はあまりにも安易であったが、不思議と耳に残る一言であった。機関銃のごとく次々と貫徹してゆく無数の礫のもとに、連隊は彼一人を除いて全滅したのであった。


 入り口は、見通すことのかなわない我々の行く末を皮肉しているのだろうか、形容し難いほどに暗闇である。蛍光灯を上に向けてみると、唐突な光に驚いたカマドウマが着地点もよく考えずに飛び跳ねてしまう。ただでさえ隙間の少ない貨車に招かざる客たちが乗り込んでくるのに加え、彼らの容姿ときたら地獄の生き残りかと見紛う程に醜いものであるから、著しく不快である。彼らがもう一跳ねなどしたら、久しぶりに支給された石鹼をして磨きったこの麗しき顔面にへばり付きかねない。故に彼らが乗り込み次第速やかに、特にその強靭な両脚に狙いを定めて、思いっきり踏みつけてやるのが伝統なのだ。ガツン、ガツンという不規則な行進の響きと共に、我々は今日も地中へと潜っていった。

 昨日の事故もなんのその。州政府ときたら一刻の休暇を認めることもなく、我々に強いたノルマを修正することはなくそのまま強いてくる。せめて、昨日の死体運びの分は俸給を付けて欲しいところであるが、このような時に限って奴らは「友情に基づく奉仕活動」を要求してくる。

 本日の我々の業務には、もの石拾いに加え蛆虫のたかった血みどろの丸太拾いも加えられている。これは単に人道的見地というだけではなく、第二号の第四番乃至第七番分岐が通称「輝かしき栄光」と呼ばれる程純度の高い鉱脈筋を称えるからである。州政府は一刻も早くこの腐った栄光を再び輝かせることを大いに望んでおり、そしてその再興こそが大陸全土の希望であるとのご立派な訓示を電授したのは、はや数時間前のことである。我々が、事故後間もない怪しい分岐に潜ることの倦怠感をもみ消すには、この程度の意義づけがそろっていれば十分だと州政府は考えているらしい。いずれにせよ、我々が明日の命を考えている間もなく、祖国は進まねばならないのである。


 第二号の第三番分岐に差し掛かったころには、血と肉の胸糞悪い臭いが、窟内にすっかり立ち込めていた。飴細工のようにひん曲がった柱に腰を据えながら、ついこの間まで活動していたはずの肉の塊を一つ一つ摘まみ上げる。こうして、行く手を阻む残骸どもを地道に駆除していくと、徐々にではあるがかつての道が開けてくるから、だんだんと楽しくなってくる。これならば本日中に五番分岐までを舗装することは何ということはないのかもしれない。突貫編成の連隊全体に楽観的な雰囲気が立ち込め始める。

 振り下ろしたツルハシに「ぐにゃり」という気持ちの悪い感触が走る。振り上げれば、どうやら人の生首であった。私の一振りのせいで彼の首がもげてしまったようだ、本来であれば心よりお詫び申し上げなければならないのかもしれない。ふと考えてもみたが、もはや障害物に成り下がったそれに感情を抱く自分がばからしくなり、無下にその首を放り投げた。

「きれいな星が落ちてきた」

 ふと飯崎の一言が不思議に思えた。礫の雨とは我々にとって不測の天災であって、身の毛もよだつほどに恐ろしい存在であるはずである。そうであるのであれば、なぜ飯崎は強いて「きれい」などという似つかわしくもない形容をするのだろう。単に彼の頭が弱いというだけでは説明がつかないように思われてきたのである。

 振り返って死体の山に眼がいった。積み重なった生首達の顔面を恐る恐る覗き込んでみる。

「笑っている……?」

 疑いようもない、奴らは不気味な笑みを浮かべていたのである。何故だ、何故彼らは笑っていられるのだろうか。私は思わずたじろいで、後ろのランタンにつまずいて横転してしまった。考えてもみろ、礫の雨は避けることのできない「死」そのものなのだ。そのような局面にあって人はふつう笑うものなのだろうか。私の恐れを前にしてもなお、生首達は不敵な笑みを浮かべているのであった。


 柱の隙間よりまきちる粉塵?

 微弱なる地震が強みを増す?  

 轟音が大地を貫くようにして転落してくる!

 暗闇の中から、奴は突如として訪れたのであった。窟内に響き渡る仲間たちの悲鳴は、徐々にかき消される。終末を告げるラッパは、実に破壊的な音色をもって我々の絶望に直撃するものであった。

 思うにひどく惨めな一生だった。生まれてこの方、自分の意志で生きたことはなかった。常に集団のため、州のため、国家のためと、自分より莫大な存在のために尽くすことで、自らの存在価値を補ってきたのだった。結局のところ、私もまた州知事の出世の足場にすぎながったことを今更になって思い出した。

 天井は魔物の両腕に引き裂かれるようにして、大きく亀裂を走らせ、その内に蓄えられた無数の礫の塊は、その銃口に我々一人一人をしっかりと捉えて離さない。もはや我々の死は逃れられない、あの礫の雨に私は貫かれた後は、何万気圧もある岩盤の中で紙細工の如く押しつぶされてしまうのだろう。国に使い走られ自己を見出すこともできなかった惨めな人間が、また一人惨めな最期を迎えて消えてゆく。そんな我が国の理不尽な節理の中に、私もまた無力であったのが、何とも悔しい。


 星が輝いている


 亀裂の向こうの無数の礫はどうやら石英まじりのうようで、暗闇にもかかわらず不気味に輝いていた。星々の輝きの向こうに、私はあることに気づかされた。もはや私は徒に身を酷使することもない、もはや自分ではない誰かのために、苦痛を強いられることはないのだ。あの星々が雨の如く私を貫いてくれる、ただそれだけで私は晴れてこの苦痛の日々からの開放を迎えるのではないだろうか。国の共有財産であるから祖国のために尽くしなさいと、そう教えられたこの我が肉体を、この一瞬のためには自分の勝手のうちに無下にできる。州政府の意向に伺いを立てる必要はない、ただこの私の自由な意思それだけに基づいて、あの礫の雨粒を受け止めることができる。礫の雨の輝きの中に、私は開放を見出した。


 そして私は、何年かぶりに笑う。

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