あそび阪り/上坂 紀乃

あそび阪り
上坂 紀乃


【壱】
 現実では滅多に無いが創作物ではありふれた状況と言えば、些細な理由で不良に因縁を付けられることだろう。だが新世界に通じる横丁で、少女はそれを体験していた。右は雀荘、左は立飲み屋と一際陰の濃い突き当りに、彼女はナンパというこれまた古典的な理由で追い立てられている。制服でなければ高校生とは判別し難い骨柄と、幽かに異国的ゆえ儚げな相貌を併せ持つ彼女――鼠根崎は恰好の的である。袋の鼠宛ら唇を噛む彼女に、三人いる不良の兄貴分は脂下がった。

「ええ店知紹介したるだけやって。それも嫌なら、こない裏道に一人でいたんが間違いやな」

 台詞までも手垢塗れの彼等に、しかしか細い彼女は屈した。携帯を取り出しながら、蚊の声を出す。

「あ、の。今行くんは無理ですからその、連絡先で、堪忍してくれませんか」

 自ら火に飛び込むような発言に、不良たちは寧ろ面食らったが、直ぐさま興奮を隠し切れぬ語勢で催促した。

「すみません、機械には疎うて」

 もたつく鼠根崎の指は、連絡用のアプリでなく地図を開いた。そこでは現在地を示すマークの他に、二つの青い点が蠢いている。焦れた兄貴分に奪われるより先に、彼女は携帯を耳に当てた。御陰で太い腕は間抜けに空を切る。

「毎度です、今雀荘のすぐ横にいます。串カツ屋さんの方に狼谷さんも居はるので、出来たら呼んでいただけますか」

 訛りも相俟って場違いにも程がある調子に、不良たちは本日二度目の豆鉄砲を撃たれた。一息早く我に返った兄貴分が掴みかかる。

「てめぇ何助け呼ん」

 哀れ、彼は死角からの衝撃に言葉尻を阻まれたばかりか、元より老け気味の顔面を更に潰された。明るみへと滑り出された彼を追う舎弟たちと入れ替わり、闖入者は鼠根崎へ一直線。その肢体はモデルとアスリートを融合したようで、凛とした面立ちはよく似合っている。

「ったく、こういう道通るなら事前に呼べって。わざと絡まれてんの」

「貴方がたへの近道ですから、つい。短いしだいじょうぶ、かな、って」

 手首を回しながらの毒づきに、か弱い筈の少女は何故か口を押さえ肩を震わせる。今までの反応は、笑いを堪えるものだったのだ。

「だって、あの人たち、何もかも型通りでっ。おまけに豹頭さんが来はるタイミングまで……あれ狙ったでしょ」

 反省のはの字も無い破顔っぷりに、闖入者こと豹頭の苛立ちは呆れに変わる。一方で、舎弟たちは紡がれた名に揃って肩を跳ねさせた。

「ヒョウドウって……N女子高の頭の⁉」

 勢い振り返ったが、怜悧な視線に反撃され情けなくも向き直る。豹頭はあまりの他愛無さに息を吐き、未だ笑い冷めやらぬ鼠根崎を引っ張り出す。

「後輩が狼谷呼んだから、避難するよ」

 通りを横切りながらの言葉に、またも揺れる並んだ肩。最早そういう玩具だ。

「んじゃカミタニってのも」

「B男子校の、歩く伝説……」

「ってか何やその顔色、ナスビにでもなるんか」

「おお前こそ震えとるやん、えマナーモード?」

 下手な突っ込み合戦をし出す二人の耳に、けたたましい足音が飛び込む。今度はゼンマイ仕掛けの如く首を巡らせると、正しく狼が突進してきた。吊り上がった双眸は、ざんばらな前髪越しでも烈々と血走っている。激しい呼吸のあまり捲れた口唇からは尖った歯列が零れ、それこそ人を丸呑みできそうだ。おまけにその上背は、たった走り過ぎた自動販売機をも超していた。そしてそれがあるということは、第二の特性が発動する。

 狼谷もまた、二人の不良に狙われていた。自販機の横の僅かな空間に彼が逃れた刹那、不良たちはこぞって路上の空き缶に蹴躓いた。あまりの不意打ちに成す術なく身体を浮かせた先は、狼谷の形相にすっかり固まった舎弟たちだった。四つの頭が星を散らす様に、彼はまたやってしまったと目を瞑る。

 見事に全員倒れ伏し、その土埃が空気に紛れた頃、女子二人は向かいから顔を出す。

「ナイス不運」

 にやつく豹頭に、狼谷は汗で貼り付いた前髪を掻き分けながらそっぽを向いた。

「うっさいわ」

 彼はひと月前、即ち夏休み明けに兵庫から移ってきたばかりである。その凶相は当時の番長を駆り立てるに値し、早々校舎裏の池へ呼び出された。何か粗相を働いたかとびくつく狼谷が向かった瞬間、周囲の木々に止まっていた烏が矢庭に騒めいた。群れはそのまま番長と連合いに襲い掛かり、夥しい水柱が上がった。全くの偶然であったが、狼谷がその眼光で烏までも従えたと曲解され、あれよという間に新たな番長と担ぎ上げられた。それが転校初日、伝説と称されるのも納得だ。

 余計に絡まれやすくなったことで、狼谷は一つ気付く。敵意を向けられると、必ず何らかの事故が相手に降りかかるのだ。危機を躱せるという意味では得なのだろうが、彼は敢えて『不運』と称した。非科学の極みとはいえ、自身の影響で人が傷つくと考えられ得るのは忍びない。何より持ち前の面相から自分が細工を施したと勘繰られ、悪名に拍車が掛かる悪循環だ。どうせ腫れ物扱いするのなら、放っておいてほしい。顔以外は至って平凡なのだから、それらしく暮らしたいのだ。

 今日も願いは遠退いた。広い背をすぼめる狼谷の裾を、細い指が躊躇いがちに攫う。

「其方も追われとったなんて。わざわざ来てくださって、有難うございます」

「本当だよ。律義か、馬鹿正直か」

 馬鹿を強調する言い方に口を尖らせ、狼谷は「お前に押し付けたろと思ってな」と悪態を返す。途端張り詰める空気に、鼠根崎は止めに入るどころか享楽を露わにした。
 

 数分後、新世界に咆哮が響き渡る。

「じゃーんけーん、ほい!」

「よしゃ、パ・イ・ナ・ッ・プ・ル」

「今一マス余計に進んだ。不正反対、不正反対」

「すまんて。けど見てみ俺の歩幅、全っ然合わへんねん。哀れやと思わんか、気分はバレリーナ」

「くどいぞデカブツ」

「ぐっ……てかあんた真顔怖いねん。詰め寄んなや」

「お前にだけは言われたくない!」

「お二人ともー、次やらへんのですかー」

 とても番長同士とは思えない、しかし睨み合いだけは一丁前の口論を、二十歩ほど先からの間延びした声が制する。

 彼らは今、『喧嘩』の真っ只中である。じゃんけんグリコに則って新世界の石畳を渡り、最奥に御座す通天閣に一早く触れた者が勝ちという、誰が何と言おうと仁義なき『喧嘩』である。否おかしいのは百も承知だが、事情があるのだ。

 B高とN高は隣同士、おまけに地元で最も凶悪なツートップと評されている。ならば首位を争うのは当然の流れだが、狼谷はこれに冷や汗塗れだった。自分に勝ち目などあろう筈が御座らない、かといって敗れれば待っているのは私刑の毎日だ。悲観に嵌る彼の耳に、女番長の友人というある種の猛者――鼠根崎の噂が舞い込む。豹も魂消る早さで便宜を図ってもらった。


 そして現在に至る。思わぬ平和戦略だが、奇跡的にも豹頭の負けず嫌いは作用したようだ。

 その証拠に、鼠根崎に真剣な声音を向ける。

「何であんたまでやってんの。これ私らの喧嘩でしょ、一応」 

「どちらかでも私に勝てましたら、ご褒美渡そかな思いまして」

 常とは違う悪戯っぽい面持ちに、貰えるもんは病気以外貰っとけという関西根性が俄然湧き立つ。一層熱気を放つ掛け声を数十回、とうとう六つの足が揃った。遠くに思えた通天閣は、今や視界に収まり切らない。下を向けば残りは三マス、次で泣くか笑うかが決する。さしもの鼠根崎も微笑を収め、小さいながらも果敢に手を振り上げた。

「じゃーんけーん、ほい!」

 チョキが二つ、そしてグーが一つ。大型獣たちが頭を抱える傍らで、幼気な鼠は軽やかに踏み出した。

「私ね、前から不思議やったんですよ。何でグーだけグリコって短いんか。けどお二人見とって気付きました」

 小憎らしいほど無邪気に、人差し指を頬に当てる。

「皆さんあんまり使いたがらんから、隙を突けるて」

 そのまま腕を伸ばし、通天閣の脚に触れる様に、落胆のユニゾンが飛んだ。

 本来の目的をも忘れ項垂れる二人は、不良の頭とは信じがたい。鼠根崎は困ったように歩み寄り、先ずは狼谷へと目いっぱい踵を浮かせた。迫る明眸にたじろぐ隙に、長い前髪を払われた。刃物の如き三白眼が白日に晒されるも、鼠根崎は欠片も気にせず額をまさぐり、やがて鏡を持たせてくる。鬱蒼とした毛束が左に流され、花紺のピンが二本差し込まれていた。アンバランスの極みと称せる光景に再び呆ける間、豹頭も捕まる。気不味さか照れか頑として顔を背けるも虚しく、韓紅が添えられる。

「番長さんかて、明るいに越したことないでしょ」

 厳ついばかりの男女に何を言うか。けれど鼠根崎は至極満足げで、今日だけで両手に余るくらい見た中でも、とびきりの微笑だった。二人も顔を見合わせ、ついぞ口端を緩める。

 因縁やら負けず嫌いやらと様々に挙げたけれど。結局は、この相好を見ていたいのかもしれない。 


【弐】
 道頓堀の戎橋に凭れ掛かった豹頭は、平素以上に鋭い眼光を携帯へ注いでいた。偶然にもグリコサインを背後に構える立ち姿は、年々衣装が派手になる演歌歌手を思わせる。写真を撮りたい修学旅行生が窺っては逃げ戻っているが、当の彼女は気付かぬまま数分。ゆらりと背を伸ばし、お決まりの威嚇じみた歩みで商店街の雑踏に紛れる。その様を睨めつける影があることにもまた、気付かなかった。

 先のような旅行者はこぞってカメラを向けるだろう、蟹の看板や食い倒れ人形をも素通りして十分弱、彼女は千日前通りに到った。因みに所謂なんばは目と鼻の先、道頓堀を挟んだ反対側はかの心斎橋であるため、観光は存外手軽である。宣伝ではないが。ここでも見慣れぬ制服を着た数人がお好み焼き屋の客引きに乗せられるのを横目に、豹頭は古めかしい喫茶店へ入った。迷いなく最奥の席を捉えるや否や、彼女は机上へ強く手を置いた。席の主たちは一斉に振り向き、かと思いきや携帯へと目を移す。

「二十七分五秒です」

「かあ――、今日も俺の負けかい。賭けは勝てた試しないなぁ」

「狼谷さんが運悪いだけと違いますか」

「言うたな人が気にしとることを。今度はぎゃふんと言わせたるで」

「わぁ昭和。兎も角、クリームソーダは豹頭さんのものですね」

「おう持ってけやドロボー。ほんまあと三分迷っててくれや、番長さんよ」

「人を『喧嘩』の道具に使うな!」

 憎まれ口を一喝すると、主こと狼谷と鼠根崎は揃って指を口に当てた。其方がそうさせたんだろうと眉間を揉み潰しつつ、先の遣り取りを咀嚼する。自分が二人の居所を突き止めるのに三十分以上かかれば狼谷、そうでなければ豹頭が勝ちという取り決めだったらしい。歩かされて僅かながら疲れた身にソーダは染み入ったが、断りも無しに『喧嘩』を始められた苛立ちは尾を引く。考えてみてほしい、携帯が鳴ったと思ったら

『ワタシタチを探せ in 千日前  ヒント:店内』

 と送られてきた瞬間の心情を。突っ込み所が四つは浮かんで、脳がショートしかけた。そう訴えると、二人は謝罪しつつも眉尻を下げる。

「一ぺんやってみたかってん、喫茶店に留まるん」

「如何にもチョイ悪で、どきどきしませんか」

「やっぱ昭和か」

 何のドラマを観たんだか。鼠根崎の子供趣味には驚かされるばかりだ。

「危うく通りじゅうの店に声かける変人になりかけたんだけど」

「せやから自撮り送ったやん」

「そうだ、それよ」

 折角霧散しかけた怒りが戻りくる。豹頭が柄にも無く急いだ訳は、画像に映った彼らの衣装にあった。

 狼谷は、突っ込みだけでなく服飾感覚もくどかった。最も目を引くのは太字で『儲かりまっか』と書かれた、それもショッキングピンクのTシャツ。羽織った白いパーカーは何の変哲も無いと見せかけて、背面に同じ書体で『ぼちぼちでんな』とあり、まさかの自問自答を演出している。パンツは鮨屋の湯飲み以外にもあったのかという、魚の漢字柄。靴も関西弁で埋め尽くされ、下半身で和尚が力尽きた耳なし芳一を相手している気分だ。

 豹頭の視線に、よくぞ気付いてくれたと目を輝かせた――つもりだろうが、久方ぶりの肉を得た獣にしか見えない――狼谷は、腰に勢いよく手を添えた。

「実は下着も『寿限無』やねんで!」

 彼の無駄に大きい頭を一層ぞんざいに叩き、くらつく視線を鼠根崎に移した。彼女は簡単だ、日曜の十八時に現れる小学三年生。

「いえ新喜劇の方です」

「分かるかぁ」

 そしてさらっと心を読むな。豹頭はついぞ机に突っ伏す。二度目の注意が飛ぼうが、唸りを止められない。この前倒してしまった不良たちが復讐を企てているらしいため、集まるならば変装をと義務付けたのが、どうすればこうなるのだ。

「ネタに走るが関西人やろ」

 相変わらず得意げに腕組む狼谷の横で、鼠根崎も玄人ぶって頷く。読心が流行っているのか。

「ちゅうか、人のこと言えんで」

 藪から棒に矛先を回され、豹頭は反射的に輪郭をなぞる。黒縁眼鏡と大ぶりのマスクが凹凸を作っているが、変装のそれこそ定番だろう。

「気分は芸能人か、ばれるまでがセットやん」

 そらそうや、隠れてへんもん。 反省の見えぬ批評家気取りの頬を抓りざま、「どっかで着替えるよ」と退出を促す。二人はまたも小動物めいた顔をしたが、そのままなら半径一メートルには入らないと迎え撃てば、すごすごと会計を済ませた。やや厚い木扉を開けば、五つの厳ついにやけ顔が出迎えてくる。件の不良たちが徒党を組んだらしい。 

「ほら見な」

「いやそっちのせいやろ、タイミング的に」

 最後まで言い争い、二手に分かれる。先に駆けた豹頭に釣られるのを狙ったが、そうは問屋が卸さない。

「お前もや狼谷ィ!」

「俺までばれるんかい!」

 体格も悪目立ちしていることまで、彼の頭は回らなかった。不意に曲がってきた不良に反応できず、立ち尽くす鼠根崎の名を叫ぶ。庇わなければと身動いだ瞬間、踵に何かが当たり巨躯が仰け反った。咄嗟に伸びた腕は少女のコートを捉え、折り重なるようにそれへ叩きつけられる。衝撃と短い悲鳴の不協和音を皮切りに、彼らは何故か風を感じていた。みるみる遠退く不良たちに、放置されていた台車に乗ったのだと悟る。

 不運と言えば不運だが、今回は相手に対してでない。自身のことながら不可解なのはもどかしいが、悪いばかりのものではないのかもしれない。思考の通り前向く狼谷の視界は、迫り来る居酒屋の看板で埋め尽くされた。いっそ笑えるくらいに血の気が引く。鼠根崎も焦りを満面に持ち手を掴むが、がたつく車輪は微塵も言うことを聞かない。

「前言撤回ーーーーーー‼」

「何のですーーーーーー‼」

 重なる喚声も空しく、手本のような衝突が周囲の者を振り向かせた。

 残された豹頭はというと、不良たちを物陰に連れ込んでは投げを繰り返し、丁度残る一人に回し蹴りを極めた。聞こえてきた騒音に頭を抱えつつ駆け寄ると、年季か或いは巨躯に耐え兼ねたか、無残に割れた台車が御目見えする。その傍らで、鼠根崎が巨躯の持ち主を揺すっていた。彼の名を連呼するその双眸には薄い膜が張り、まるで悲劇の一幕だ。けれど豹頭には、この地馴染みのコントにしか見えない。彼女の名誉の為に言っておくと、決して非情な訳ではない。その証拠に、豹頭は先程まで乱暴三昧だったとは思えぬ手付きで少女を諫めた。

「まずは降りなさい」

 驚嘆を零し謝り倒す彼女が退いても、狼谷はうんともすんとも言わない。更に、鼠根崎が足首を押さえて呻いた。ひどく捻ったようで、立とうとするだけで震え汗ばむ。唯一の健康人は項を荒く摩り、息を吐くと気絶体の隣に屈んだ。

 太ましい脇と足の隙間に両腕を捩じ込み、鼠根崎を招く。二人乗りを勧めるレディースよろしく顎でしゃくった先は、狼谷の腿だった。まさかと目を瞠るばかりの鼠根崎に、元より短気な姉御肌は焦れる。足の方に回した手を一旦離し、彼女を強引に座らせた。そして服の下で密かに隆起する腹筋へ力を込めると、狼男の鼠娘添えが地を離れた。未知の浮遊感に鼠根崎は口を開けるばかりだったが、はたと気付く。

「こっこれ、結局目立ってますてぇーー」

 せめて裏道を通るべきという悲切は、最早気分は古強者の女番長には届かない。依然衰えぬ駆け足で、最寄りの病院を目掛ける彼女に向けられるは、修学旅行生の携帯の群れだった。


 数日後、学校の首級である筈の豹頭と狼谷は、揃って並より秀でた身体を縮こめていた。その向かいで、各々の副長分が目を据わらせる。宛ら圧迫面接の舞台がファミリーレストランというのは締まらないが、そう冗談めかせる空気ではない。彼らの心の距離を具現化したような机上では、携帯が画面いっぱいに件の勇ましき横抱きを映している。即ち、偽りの敵対関係が明るみに出てしまった。言い訳も纏まらぬまま、女子の方に先手を取られた。

「この際はっきり言うてください、お二人はその」

 そこで途切れる。見れば、引かれた濃紅が台無しになるほど唇を噛み締めていた。異様を察した男子が受け継ぐけれど、その拳にも爪が食い込み、見ている此方が痛みを錯覚する。

「付き合うてるんですか」

 予想の何処にも無かった言葉に、二人は開いた口が塞がらない状態を体感する。無言に不安を煽られたのか、男子は独り善がりに話を進める。

「それがお二人の決断言うんなら、俺らは従うだけです。学校同士メンチ切り合うんも無しに――」

 今度は机を叩く音が遮った。堪え切れないといった風情で嗚咽を漏らす女子に、男子は食ってかかる。 

 我慢せぇ言うたやろ、トップの幸せが一番ちゃうんか。 せやけどっ、今更仲良うすんの嫌やぁ。 そんなん俺らも無理や。擦れちごうても喧嘩せなええだけや。 簡単に言うけどなぁ、お前ら出来んのかよ! 出来る訳ないやろっ、俺かて嫌やぁ‼ せやろがぁ‼ うああああああ

 眼前の阿鼻叫喚に、トップたちは首を千切れんばかりに横振る。自校のそれこそ昭和な険悪ぶりを、こんな形で再認識するとは思わなかった。それでも二両の暴走列車は止まらない。

「せやったら、何で先輩はあない必死に狼谷助けてんです!」

「こっちはもう、ちょくちょく一緒に遊んでるってのも掴んでんすよ!」

 刑事か週刊誌記者かという詰め寄りにわたつく狼谷は、もう番長の皮も剥がれかけている。

「まずな、遊び誘ってきたんは鼠根崎で」

 残る当事者の名に、副長らはぐりんと瞳孔を向けた。赤らんだ眦によって凄味が増し、豹頭さえ息を呑む。 

「つまり、喧嘩に代わってネズミを取り合うてると」

 すっかり自縄自縛に陥っている彼らに、番長たちは揃って額を押さえる。狼谷は再び否定しかけたが、ふと閃く。同じ態度を取らんとする豹頭の腕を取り、実に不器用な愛想笑いをもって離席する。ここらで随一の猛者と認められた、それも困惑のあまり藻掻く人物を連れ出すのは骨折りものだったが、何とか青空の下に飛び出す。嵩張るばかりの図体に、この時だけは感謝した。

 ドアを閉めるなり拝んできた男に全てを察し、豹頭はその旋毛を見下す。途端纏わりつく冷気に上向けずとも、争いを避ける為ならどんな手にも縋るという本質は揺るがない。

「ご褒美、が抜けとるだけで後は間違いでもないやん」

「そこが一番重要じゃん! 特に私にとって」

「確かにな……けど想像してみ。鼠根崎によう会えんくなったらて」

 言いざま狼谷は、かの笑顔を思い浮かべていた。浮世離れした容貌が年相応に和らぐ様は、彼女自身を表しているようだ。分け隔てなくやんわりとした調子で、されど気付いた時には懐に潜ってきている。そんな存在は自分のような孤独を持て余す人間にとって、退け難いものである。突っ張ってばかりの彼女も同じだろう、でなければ対等でいる筈が無い。僅かに唇を噛み俯く姿が、それを証明している。

 豹頭は長い呻きと共に髪を乱し、人差し指を突き立ててきた。

「後で一発蹴らせなさいよ」

「ええ、せめて拳にしてや」

 日を置かずしてまた来るだろう訛った連絡に思いを馳せ、二人は再びドアに手を掛けた。 

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