彼女の笑顔はみたくない/石浦めめず

彼女の笑顔はみたくない
石浦めめず


 謹啓

 桜が美しい季節になりました

 皆様におかれましては
 
 お健やかにお過ごしのこととお慶び申し上げます

 この度 私たちは結婚式を挙げることになりました

 つきましては ご報告かたがた

 末永いおつきあいをお願いしたく

 心ばかりの祝宴を催したいと存じます

 ご多用中誠に恐縮ではございますが

 ぜひご臨席を賜りますよう

 お願い申し上げます
 
 敬具

 二〇一九年四月吉日
 
 京極行人・大塚真依

 日時 六月十七日(日曜日)

 開宴 一〇時三十分

(開宴 三〇分前までおこしください)

 場所 ホテルポジポジ 七階 撫子の間


 ※


 なお、誠にお手数ではございますが、四月二十八日までに返信ハガキにてご返事をいただければ幸いに存じます


 ※

 
 世にも恐ろしい手紙が届く。

 これまでにも俺の人生を脅かす手紙はいくつかあったと思う。大学から実家に送られた、読んだものに脳溢血を起こしかねない成績通知書。液晶の向こうで活躍する小学生アイドルに狂ったように費やした額を知らせる、いつもより二桁多いカードの明細書。

 しかしこれらの問題は比較的容易に対処できたはずだ。前者に対しては、成績通知書が実家のポストに届く日時は限定されていたため、その期間を狙いすまして帰省することで親の手に渡るのを阻止した。

 両親はやけに朝早く起きる息子を不審がってはいたが、まさかこれ程まで子供じみた真似をするなどと想定はしていなかったのだろう、「健康の為、朝日を浴びることにしている」という大嘘にいたく感心していた。

 クレジットカードの方は分割十二回払いを利用することによって当面の精神の安定が保障されたが、また同じ轍を踏まないとも限らないので泣く泣くアイドルゲームアプリをアンインストールした。さようなら、みりあ。

 だが今回の手紙は史上稀に見る攻撃性をもって俺の精神を崩壊に追い込んでいる。だから平常心を取り戻すべく、こうして慣れない日記をしたためることで自身を客観視しているのだ。

 しかし少し思い返すだけでこうも見るに耐えない過去が噴き上がるとは、自分のことだが情けなくなってくる。

 あのとき、ポストに投函された白い封筒にもっと注意すべきだった。せめて差出人だけでも確認すべきだった。

 なにせ開封するまでもなく周囲に幸せオーラを発していたのだから。

 ハサミも使わずにびりびりと下品な音を立てたあと、封筒をひっくり返したときにはもう遅かった。ひらりと机に舞い降りた一片の便箋に、懐かしくもあり、できれば二度と目にしたくなかった彼女の名前があった。


 もし神がいるのなら一言いいたい。

 俺が一体何をしたというのか?

 心当たりはいくらでもある。


 断りを入れるのは容易だ。丸をつけるだけで欠席の意思を表明できる。理由も心情も問われず機械的に処理されるだけだろう。

 しかし、それでは納得できない。むろん、わざわざ他人の結婚式、しかも悲惨な結末を迎えた片思いの相手となれば出席する理由などどこを探しても見当たらない。誰が好き好んで恋敵の隣で微笑む彼女の晴れ姿を拝もうというのか。だが、この機を逃して俺という存在が彼女の記憶のゴミ箱行きになるのだけはいやだ。なんとかして俺という存在が確かにいたこと、そして彼女の人生に僅かでも関わっていたことを、頭の片隅にでもいいからそっと梱包して置いて欲しい。

 結婚式に行くのは死んでもいやだ。「おめでとう! 素晴らしい人生を祈ってるよ!」なんて思ってもいない言葉を吐くのか?

 俺が忘れ去られるのもいやだ。このまま彼女の幻影に煩悶し続けてとうに失われた青春の呪いを引きずる人生なんて願い下げだ。

 なんとかならないものか。

(追記)名案求めて酒を買いに行く。


 ※


 拝啓。大塚真依様。お久しぶりです。

 高校時代は何かの縁で三年間も同じクラスを共にし、幾度もご迷惑をおかけしました玉井です。

 まず、御結婚おめでとうございます。

 あの大塚さんがまさか御結婚なさるとは、目の前の卓に置かれた結婚式の招待状をじっと見つめている今でも信じられません。これは何も貴女を侮辱しようとしているのではありませんよ。

 この手紙を書くにあたって貴女と出会ったあの春を回想していたら、数年間記憶の海を漂っていた貴女の姿がありありと思い浮かんできたので、それをもって長年の感謝の意とさせていただきとうございます。

 僕がなりたてほやほや高校一年生の頃に出会った大塚さんは何人たりとも周囲に寄せ付けない高貴なオーラを纏っていました。クラス決め後の初顔合わせの時、誰に話しかけられてもうんともすんとも言わない貴女へ、騒がしい教室の隅から親近感を持って視線を送っていたのを覚えています。なぜかというと、他人を拒絶して孤独に見えた貴女は僕とかなり似ていたからです。

 その頃の僕は四月の風に煽られた人間関係のフンコロガシ的膨張を良しとせず、真の友人足り得る存在を虎視眈々と狙っていたもので、あえて周囲の人間と積極的に関わろうとはしていなかったのです。ちなみにこの慎重かつ聡明な姿勢は卒業まで続き、真の友人などという妄言が成就することはついに無かったと、もしかしたら大塚さんも覚えてるかもしれませんね。今考えれば当たり前です。スタートダッシュに挑戦すらせず、傷つくのを恐れて理論武装していただけの男に一体誰が近寄るというのか? 貴女くらいのものです。

 大塚さんはやっぱりモテましたね。授業中、休み時間を問わず虚空に向けて鋭い視線を放っていた恐ろしい形相でも貴女の美しさは隠せなかったようで、五月の連休明けには既にクラスを跨いだヒロインとして男どもの憧れとなっていました。

 ときに思慮の欠けた愚鈍なる男が近寄ろうものなら、その華麗で耽美な切れ長の目から発せられる、まるで王族が下卑た下々の民を平伏させるが如き鋭い眼光をもって圧倒する御姿がまだ生々しく脳裏に焼き付いています。なにせ僕が第一の挑戦者兼笑い者として学校中に喧伝されたため忘れようにも忘れ難いのです。これについては大塚さんもご存知なかったと思います。あの頃の貴女は目に入ったものを自動的に迎撃せんと常に臨戦態勢を崩さなかったので、僕という個別の存在を認知していたとは思えません。だから大塚さんにはじめて話しかけられたときは少し驚きましたが、然もありなん、という感じでしたね。

 京極という方を僕は全く存じ上げていないのですが、大塚さんの超攻撃的防衛網を突破するとは、まるでオマハビーチに上陸せんとする米第一歩兵師団の如き勇猛果敢な男子なのでしょう、まさに生涯の伴侶にふさわしいといえます。立派な男性を見つけたようで、僕も安心です。

 ここまで助長でいて、かつ無益な文章を読んで下さり、喜びのあまり言葉もないところではありますが、誠に残念ながら御二人の結婚式には都合上どうしても出席できないとお伝えしなければなりません。

 それではお幸せに。

 敬具


 ※


 昨晩酔った勢いでしたためた手紙を読む。

 昨日の俺は何を意図してこれを書いたのか。少し悩んだが、おそらく彼女のまだ素直でなかった頃を大塚さんに懐かしんでもらうため、この怪文書をでっち上げたのではないだろうか。それにしても彼女を誇張しすぎている。
第一に、彼女が緊張の余り周囲の人間と意思疎通がとれなかったのは初日だけで、次の日には友人もできていた。なんだよ、高貴なオーラって。

 第二に、大塚さんはそれほど怖い顔などしていないし、垂れ目でどちらかというと柔らかな印象を与えるタイプだ。虚空に向かって睨みをきかせていたなんて記憶はさっぱり無い。彼女は手持ち無沙汰なときは読書に耽るのだ。すぐ変なキャラを創造して実際の人物に当てはめるのは悪い癖だからすぐ治せ。

 第三に、モテていたのは事実だが、それは地下に蠢く隠の者達のいやらしい視線の的だっただけで、表立って彼女への好意を示したものは俺の知る限り俺以外にいない。

 第四に、「その華麗で耽美な切れ長の目」彼女は垂れ目だ。「なにせ僕が第一の挑戦者兼笑い者として学校中に喧伝されたため忘れようにも忘れ難いのです」俺が彼女に言い寄り呆気なく振られたのは事実だが、それが学内に広まったというのは事実と異なる。話題と嘲笑の的となったのは地下の連中の内でのことだ。「自動的に迎撃せんと常に臨戦態勢」彼女はほんわかとした空気を振り撒くゆるキャラで、こんな風に常に眼が血走った狂人とは似ても似つかない。

 最後に、これを読んだら大塚さんはどう思うのだろう。自分と同じ名をした身に覚えのない狂人が誰かの記憶で好き放題していることに戦慄しやしないだろうか。そして、玉井という人物を怪物めいた存在だと認識し、京極とやらと相談をして警察沙汰にするのでは……。

 酩酊状態にあった昨晩の自分に褒められるところがあるとすれば、この手紙を投函せずに酔い潰れたということだけだ。そこだけは賞賛に値する。
そもそも、俺は彼女の申し出を断りつつ記憶に残りたい、という単純な願望があっただけではないか。なんとかならんのか、本当に。

(追記)名案求めて酒を飲みに行く。


 ※


 ひどく傷む頭痛に目を覚ます。

 布団に包まり収まるのを待っていたが、いくら経っても痛みの引く気配すらしなかった。

 原因は昨晩の深酒であったが、諸悪の根源というべきものは明らかに大塚さんの結婚式招待状に由来する、不遇な学生時代の心的外傷の復活だろう。

 布団から手だけを出して携帯を取ろうとしたが、何か堅いものにぶつかり、ヴぉっ、という間抜けな声が出た。

 しばらくして指の痛みが引くと、亀のように首を出してその正体を確かめた。

 それはハードカバーのアルバムだった。きっと昨晩酔ったついでに部屋を荒らしたのだろう、あちこちがやたらめたらに物で溢れており、まるで空き巣に入られたみたいな様相を呈している。

 何の気なしにページをめくると、そこには俺がいた。

 俺だけじゃない、大塚さんもいた。

 それは高校の卒業アルバムだった。


 ※


 思えば、俺はいつでも端っこにいた。

 アルバムをめくって高校時代の日常が浮かび上がってくる。

 教室でも、体育館でも、修学旅行でも。いつでも俺は人に注目されない、隅っこの日陰にいた。

 それは小学校でも中学校でもそうだった。得意なことも自慢できるものもなかった俺は、おのずと中心から離れていき、ついに日の当たらないところに落ち着くまでになった。

 でも、高校に入り、彼女と出会うことですべてが変わった、

 俺は彼女に恋をすることでようやく、自分が世界の中心にいる、と思い込むことができた。

 生きている、と心から思えるようになった。

 昔なら、クラスを見渡せば彼女の姿があった。だから、フラれたとはいえ、そこに彼女がいるというだけで救われるものがあったと思う。

 高校を卒業してから彼女と会うことはなかった。それは当然のことで、彼女と俺の関係はただ場所を共有していただけの隣人のようなものであり、俺も彼女もあの教室に立ち寄ることがなくなれば一切の関係がなくなるというのは自明だった。

 今になって気が付く。

 俺はあの教室から出て行ってから、彼女の姿を見なくなってから、抜け殻のように生きてきたんじゃないか。


 ※


 俺は改めてあのおぞましい招待状を読んだ。

 そして彼女はどういった思いでこれを俺に送ったのだろうか、と考える。

 彼女にとって俺という存在はなんだったのだろうか。

 クラスメイトか。

 単に振った男か。

 それとも何だろう、適当にクラス名簿にあった住所に送り付けただけなのか。

 それを知ってどうなるということもないのだろうが、もし知ることができるとすれば、それは彼女と会って確かめる他はないだろう。
 

 ※


 白いドレスを着た彼女が俺の隣にいる。

 二人は手を固く繋ぎ、お互いの顔を見合わせて微笑む。

 彼女はいう。「玉井君。これからもよろしくね」

 俺はいう。「大塚さん。愛してるよ」

 二人は扉に向き直り、俺はその先を想像した。

 
 ※
 

 ただの虚しさだけが俺を包んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?