本気の無

声がデカい友達がいる。人間20年以上生きていれば「声のボリュームがつまみでなくスイッチになってる」友達の一人や二人はできるだろう。カラオケではマイクが要らず、街中で面白いものを見かけても声がデカすぎて話題に出しづらい。「ヒソヒソ声」を搭載していないサウンド・ウエポン。すれ違う人の服装が面白かったり、目を引くような転び方をしたお兄さんを見たりしても、声がデカすぎて日常の小笑いをことごとく封殺してしまう。彼らはきっといい就職ができるだろう。おめでとう。

節約ができない貧乏がいる。
かつてココリコ黄金伝説でオードリーの春日がスタッフに「節約と我慢は違う」と怒られていたが、その通りでしかない。テレビやyoutubeで紹介されている、いわゆる「節約テク」なんてもので根本的な貧乏が解決する事はない。生活にそれほど困っていない場合に、積もらせた塵で欲しいものを買う。コツコツした積み重ねの末に成功を得ることを目的としていて、これは受験やスポーツ大会、資格試験などの延長線上にある。結局、汗を流して目的を達成する快感の発散でしかない。正味、ガスや電気代を切り詰めて得られる数千円を何年続けようとも大きなものを買う事はできない。金は使うか使わないかだ。
僕は金にまつわるものは「有」「無」で片付けてきた。病気なのでギャンブルについては割愛する。有を一撃で無にする脅威の前で、節約はあまりに無防備だから話にならない。
人が節約に踏み切れるタイミングは、実は少し金を持っている時でないといけない。節約するための道具を買ったり、まとめ買いなどの買い物テクを活用する下準備が必要になるからだ。僕が「金を使わないぞ」と決意した時にはすでにそのラインを超えてしまっているし、今の所持金は1,000円を割っている。

人は動くと金を使う。シャワーを浴びるためにガスを、飯を食うためにそのまま金を、何かを見るために電気を使う。本当に金がないとき、人が取れる最適行動は労働か静止だ。一月で1,000円作るよりも1時間働いた方が楽だし、1,000円分働くよりも、電気もガスも使わずに何もしないで目を閉じている方が楽だ。でもずっと続く静寂は少し辛い。

本気の無に挑戦したことがあるだろうか。

僕は20歳の第一期無職時代の時に二週間「節約」生活を試みたことがある。コツはない。働きたくないけど金がどうしてもない時に思いついてやってみただけだ。使った金はノートパソコンへの給電代のみ。トイレにも行かず、シャワーも浴びず、布団から一歩も出ない。究極の二週間だ。金を残すとはそういう事である。時間があればぜひ試してみてほしい。

※以後、不快な文章のみが続くのでここまでとします。


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