Show hut Trip 1

前回の話↓


「地球」の大きさを感じたことがあるだろうか。水平線が緩やかな弧を描いているのに気づいた時、見上げて首が回らなくなるくらい高い山が雲を貫いているのを見た時、様々あるだろう。

フィリピンは暑かった。春夏秋冬がなく、日照りとスコールが繰り返される蒸し返す暑さに、僕たち3人は赤道を感じた。たった4時間半飛行機に乗っただけで季節は冬から夏に変わる。
飛行機から降りる時に、空港と飛行機を繋ぐ巨大なホースの隙間から熱風を受け、外を見てないのに南国に着いたことに気づく。圧倒的な赤道の存在感に、夏の中で身震いした。暑い暑いと言いながら上着を脱いでいく。

YとJには予め手荷物を「機内持ち込みのサイズに留めておけ」と言ってあった。大きすぎる荷物は別で預けなければならず、その回収に時間を取られるからだ。

僕は過去に同じカジノで500万円負けるほど金を使ったので、カジノ側の待遇は良かった。

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事前に迎えと部屋を用意してもらう。夏に700万近く負けたのでそのくらいは無料になる。さらに言えば、僕は前回無一文になってスラムで生活している時にも、お願いして1泊させてもらっているので、カジノ側としても絶対離したくない客なんだろう。一度蜜の味を知った虫は死ぬとわかってても罠に飛び込んでいく。

空港の外は東南アジアの熱気と商魂溢れるタクシー運転手たちの気合で蒸し返っていた。彼らは日本人を見るとすぐに法外な金額で乗車を持ちかける。通常300円くらいのところを4,000円と言い張ってくるのだ。取れるものは取っておく。フィリピンでの金額交渉は挨拶のようなもので、普段ならこちらも

「相場と違う、100円で乗れるのを知っている」

なんていう最悪な入り口から互いにジリジリと詰め寄っていくのだが、今回はカジノ側に迎えに来てもらった。半袖短パンの虫取り少年スタイルの人間が往来する中にカッチリ決めたスーツ姿の女性が2人立っている。
「Mr.犬(本名)」と書かれたホワイトボードを下げたカジノスタッフに連れられて空港の外周に出ると、他の車と明らかに格が違うピンクが目に入る。

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カジノホテル「okada manila」専用車両だ。もちろん僕たちのためだけに停まっている。YとJが本物の待遇を目にして
「うお…」
「すげえな…」
と言うのを横目に前の車両に乗り込む。フフン、凄いだろう。お前らが4年と6年勉強してる間に僕はこんなに負けたんだ。

フィリピンのタクシーは中古車が多く、どの車もシートが擦り切れるまでボロボロで場合によっては分離してしまったシートを乗せているだけだったりするが、カジノ所有の車は全てが新しく、車内温度も完璧で全ての座席に水が用意されている。カジノに着いた時にドライバーにチップを渡そうとしたが、「自分はそういう働き方をしていないから大丈夫」と丁重に断られた。細部まで"出来上がって"いる。

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この写真だとわかりづらいが、オカダマニラはこの見た目よりもめちゃくちゃデカい。奥がとにかく広いのだ。半年ぶりにガラスに囲まれた要塞を見て思わず勃起した。本能が、欲求の全てを満たされると期待して先走っていた。

今回の日程はコロナ・パニックと丸々被っていたので、カジノに始まりショッピングモール、ホテル等の人が多数出入りする場所では必ず入り口で検温を行なっていた。フィリピンがとても暑いので毎回引っかからないか緊張していたが、1度も引っかかることはなかった。

僕たちはVIPエントランスからカジノに入った。ホテルの宿泊手続きを取るためだ。もちろん無料だ。連絡を取っていたスタッフの方と半年ぶりに会う。
「今回はやりすぎないように気をつけてくださいね笑」
と注意を受けた。前回も「あなたは典型的な破滅タイプです。」と言われているので、この人の言う事は正しい。そしてきっと知っているのだろう、この距離感でいけば僕のようなタイプは尚更頑張ってしまうことを。

カードキーを受け取って部屋に向かう。エレベーターは6基あり、どのエレベーターが来るかグルグルと見回りながら探す。落ち着きのない日本人を見るセキュリティに話しかけられる。英語を話す度にフィリピンに来たんだな、と強く感じた。

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毎回写真がブレていて申し訳ないが、これが今回の部屋だ。YもJも飛行機の疲れを忘れるくらいはしゃいでいた。僕もはしゃいだ。旅先のベッドというものは、いつもむやみに散らかされてしまう。きっかけもなく奇声を上げた。原始の「勝鬨」である。

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バカでかい風呂釜もついていた。

じゃあ早速カジノで遊ぼう、という話をすると2人は揃えて「ブラックジャックをやりたい」と言った。
僕はあまりブラックジャックが好きではなかった。勝って2倍になるゲームなのに、バカラよりルールが複雑だからだ。だが今回僕は極力ガイドに徹すると決めていたので了承した。好きではないゲームでも勝つ時は勝つ。ここで10万くらい勝っておこう。

2人は軍資金を15万円ずつ出した。僕は限度額10万円のクレジットカードを2枚出す。日本円は全てパチンコで使ってしまった。
カバンの中身を全部ひっくり返し、動きやすい格好に着替える。

「ま、勝ちゃええねん」

僕はギャンブルで脳を焼かれるとよく関西弁になる。
散らかった部屋を後にして戦場へと向かった。

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1階のカジノで日本円をチップに替え、ブラックジャックの台へ向かう。


ブラックジャックとは、プレイヤーとディーラーの戦いである。安く勝負ができるテーブルを探し、一回500ペソ(1,000円)のテーブルに座る。YとJには

「最初でやられるとキレちゃうから一番小さい金額でやった方がいいよ」

と忠告したが、僕は200万勝たなければいけないと自分に言い訳を作り、こっそり一回2,000ペソで戦い、5万円負けた。
久しぶりのカジノに動悸が止まらなかった。挨拶代わりの5万円でキマった僕は、2人をカジノ内のラーメン屋に置き去りにし、1人でスロットマシーンを回した。

「素人が来る場所じゃねえんだよ、ここは」

焼かれた脳に体を支配されていたが、幸運にもここで10万円勝った。10分と経っていない。

勝つ事によって、オーバーヒートした脳に冷水が流れるように落ち着いていく。発作を止めるのもまたギャンブルしかない。楽しさも冷静さも、全部勝ち取っていくしかない。

浮いた5万円を見せびらかしながら2人をバカラに連れて行く。

「どんなもんよ、これが俺。」

「初日は抑えるって言ってたじゃん。」

「病気すぎる。」

素人のザコを黙らせるためにバカラで一気に10万円くらい作ろうと思い、2万円賭けた。負け。
ここは勝つところを見せなければならない。4万円賭けた。負け。

これでやめる、さすがにこれでやめておかないと金がもたないかもしれない。でも取り返したいので8万円賭ける。負け。

ある意味YにもJにもカジノの恐ろしさを教えた僕は

「言ったろ?負ける時はこんな感じ。ヤバいっしょ?」

と振り返って見せた。2人とも顔が引きつっていた。
フン…カジノを甘く見るんじゃねえぞ…

夕方を前に丸々10万円分負けてしまったので、YとJの強い希望により飯に出る事にした。
City of Dreamsという別のカジノにある韓国テイストの料理屋に行った。酒を飲み、韓国っぽい味のピザや唐揚げを注文した。

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フィリピンにはサンミゲルというビールの銘柄がある。日本のに比べると随分薄いが、3人ともすぐに慣れた。「サンミゲゥ」の発音はこの旅で一番上手になった英単語かもしれない。

焼かれた僕と、ほどほどに遊んだYとJはホテルに入り寝る事にした。

Yがパソコンを触って仕事のメールを返していたので取り上げる。この男は企業の名前にやたらと詳しくなる仕事をしているらしく、何かを見る度に商品名より企業名を言ってしまうので、今回の旅で矯正してやろうと思った。
ポテトチップスを見て「小池屋じゃん」と言い、
チップスターを見て「ヤマザキじゃん」と言い、
プチシリーズを見て「ブルボンじゃん」と言ってしまうのだ。
僕よりも病気だ。重度の社畜病は焼かれるようなギャンブル体験で塗りつぶさなくてはならない。

絶対に助けてやるからな。

パソコンを取り上げられて「やっておかないと帰ってからツケが回ってくるんだよぉ〜」と鳴く病人を尻目にベッドに横になった。

10万負け、まだまだ取り返せる。

利用可能なクレジットカードを羊の要領で数えながら眠ろうとしたが、残り1枚だったので寝付くまで2時間以上かかった気がする。

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