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本当の感情と向き合う

いい機会なので自分を振り返ってみた


基本的に僕はわがままだ
今までの人生、自分のしたい通りにしてきた
誰に何を言われても、自分が納得しないと全部に歯向かった
その結果、僕の過去は失敗の山が築き上がっている

過去の失敗の大半は人間だ
頼まれたら断れない
頼られたら何とかしないといけないと思いこんでしまう

助けた人間は必ずしもみんないい人間だとは限らない
そんなの頼んでない、勝手にやったくせに、構われすぎてうざい
こんな言葉何回言われた事かわからない
職がない、お店をやりたい、チャンスが欲しい、ここを乗り切れたら必ず返すから
最初はこんな入りだ

ここでこの人達が悪いとは言わない
なぜなら、全て自分の判断で断れたからだ

なぜ断れなかったのか?
そこには必ず下心が存在したからだ

いい人に見られたい
断ったら悪口言われるんじゃないか
きっと恩返ししてくれる

これは僕の下心が生んだ起こるべくして起きたこと
つまり避けることのできた事故
そもそも助けたという自己満足を得たいためだけだ

今回も自分が頼られて何とかしてやろうというのは僕のエゴなんだ




彼は最初の印象は、捨てられた犬のようだった
これは自分が何とかしないとまずいだろと、過去の悪い癖が出た
当然下心はあった

誰にも救えなかったものを自分が救えたという自己陶酔

話せば話すほど、感情を持っていかれる
何とかしなきゃホントにやばいぞこいつは
まずいな。自分がやらなきゃと訳のわからない使命感に酔ってきている

人を助けたいという欲に縛られる

頭ではわかっている
いつものパターンになるぞ
別に見返りを求めなければいいだけじゃないか
それでも毎回感情をグチャグチャにされるじゃないか
いい加減反省しろ、失ったものを思い出せ

こんな声が頭に響いていた

自分の性格はそう簡単に変えられない
結果的には自分を止めることは出来なかった

過去の失敗を思い出し、極力普段は構わないようにした

自分のしたいようにやらせる
道を外れそうなときは、しっかり話す

なぜそれをするのか?
なぜそれをしなかったのか?

自分の行動に理由を付ける

これだけは徹底して確認はしていた

感情で動いてるのか、理屈で動いているのか

感情で動くことが悪ではないが、理屈のない動きは必ず自分に損を持ってくる
これは過去の自分の反省点だ
こうなるからこうする
きちんと自分で理解して動けば、失敗もきちんと取り返せる

ここに感情だけで動くと失敗に気が付けない
熱くなりすぎると、止まるべきところで止められないのだ

心は熱く、頭はクールに

なんて言葉がアニメや漫画で出てきそうだが、正にその通りで、表で熱く語っているときほど脳みそは冷たくハッキリしている

彼にはブレーキが無いと感じていた、そこを何とか教えないと感情が暴走するとどうなるのかが読めないと思っていた

この数カ月間たくさんの事を教えていたと思っていた
口うるさく感じることあったと思う

ひとりになると、言い方間違えてないかと反省し、フォローのLINEを入れたりしているつもりだった

気がついたときには、面倒を見ていると言うよりは、過去の自分の部下たちのようにある程度何かを任そうという接し方になっていた

きちんと育てて、ひとつの事業を任せてみたい

これは自分のエゴだったんだと思う






ここで少し自分の過去の話をしたい

僕はバツイチだ、子供も3人いる、約3年会えていない
最後に会ったのが4歳、2歳、0歳。今はもう7歳、5歳、3歳。
子育てしている人にはわかると思うが、とてつもなく大変な時期に別れている
正確には別れているなんてきれいな言葉ではない
出ていかれて絶縁されたというのが正解だ

今でもたまに夢を見る
子供たちが泣いているのに、自分は近づけない、何もしてあげられない無力感、絶望感。
夢だとわかっているのに毎回耐えられない
本当の地獄とは今だと感じる

僕は自分で言うのはなんだが子供が大好きだった
子供と遊んで来いと言われれば、無限に遊んでられたし、お風呂でも幼稚園の送り迎えでも、寝かしつけでも、ほんとに苦じゃなかった
朝が早い子達で5時には起きて来るのだが、それも苦じゃなく朝ごはんを作ってゆっくり遊んでられる

ただ別れる寸前は事業がうまくいっておらず、家に帰らない日も多かった
酒に逃げた日も少なくない

自分が弱かったために家庭を壊した

これだけでしかなかった

若い頃から商売をやっていた事もあり、社員教育に関しては本当に悩んできた
子育ては人を成長させるというが、本当にその通りで子供の教育は色んな事を教えてくれた
僕は子供とは小さい頃から対話するということを重視してきた
子供といた、数年間で今までの自分の社員教育の失敗を痛感していた

きちんと話して、相手に意見を聞いた上で自分の言うことを納得させる
子供は本当に素直できちんと受け入れてくれる
これを踏まえて考えていけば、社員の教育もうまくいくのではと感じていた

この時から僕は自分の教育の仕方が間違っていないと思いたかったのかもしれない



ここで話を今に戻す
気がついた時には、僕は彼に期待をしてしまっていたのかもしれない

持論で他人に期待をするのは自分勝手だと思っている
いつも期待をかけるのは他人で本人ではない
勝手に期待を掛けておいて失敗したらがっかりしたってのは、そんな勝手な話は無いだろうという持論だ

だから僕は他人に期待しない
やってくれたらラッキーありがとう
そもそも期待をしないといけない設計にした自分が悪い
出来ないやつを選んだ自己責任だ
こういう考えのはずだった

それでもどこかで期待を掛けてしまったのかもしれない
なんかこいつにやらせてみたい、こいつをきちんと育ててみたい
こんな風に思ってしまった

最初に見た時の頼りない何も出来なそうな印象から、どんどん強くなり逞しくなっていく

とんでもない伸び率だと思った
人は何かのきっかけでここまで変わるのかとも思った
こいつは大化けするかもしれない

どこかで感じてしまっていた
自分の教育が間違っていなかったと証明したかった
これは子供の父親としてダメではなかったと思い込みたいだけんじゃないか
これはただのエゴなんじゃないか

きっと自己満足が出始めてしまったんだと思う

彼を通して疑似子育てを感じてしまっていたんだ
今となってはそう思う

僕が彼を育てたのではない
僕が彼に教えられた

向き合うべきものはそこじゃない
いい加減に逃げないで向き合え

年末に僕はそこを確信した
きちんと自分と向き合えた
これは彼が自分を変えようと勇気を出して、がむしゃらに動いているのを見たからだ

僕は彼に何も教えていなかった

僕は何もしていない
これは謙遜でもなんでも無く、本心でしかない

だからここで言えるのは
ありがとうではなくごめんなさいだ

僕の問題に勝手に巻き込んでしまってごめんなさい
そして教えてくれてありがとう
やっと自分に向き合うことができる

決して僕はいいやつではないし、強い人間では無い

今日はしっかり子供たちと向き合い泣こうと思う



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