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多すぎる中国と強烈な地元意識。~中国雑学シリーズその3~

こんにちは、アイデアポートの鈴木です。中国深センで起業しています。

前回は、中国をあらわす4つのキーワード「広い、多い、長い、速い」の中で、最初のキーワードである「広い」に関して、中国経済と絡めてお話ししました。

前回の記事が気になる方は下記からご覧ださい。

広すぎる中国と中国経済の関係。~中国雑学シリーズその2~
https://note.com/ideaport_suzuky/n/n09bca51ee912

続く今回は、2番目のキーワードである「多い」について深掘りします。

ただ、今回は話が脱線に次ぐ脱線となりますので、中国と関係ない話は読み飛ばしていただいて結構です。

ただ、辛抱強い方は、ぜひ余談も含めてご覧いただくことでより理解が深まると思います。よろしくお願いします。

現時点で世界一の人口を有する中国

2030年までにはインドが中国を抜いて人口で世界一になると言われていますが、現時点も含めて、中国が長い間人口世界一を保っています。

余談ですが、インドをパキスタンやバングラデシュも含めた中世的な観点でとらえた「旧インド」という考え方もあるようで、この場合は、現在の旧インドエリアの人口はすでに中国の人口を上回っています。

ともかく、この2国は人口規模でも経済規模でも、古代から中近世までは常に一位と二位を争っていたようで、戦争や内乱の少ない、政治的に安定した平和な時代なら、人口が増えて経済的にも豊かになりやすいのでしょう。両国とも比較的南に位置していて、コメなどの食料を確保しやすいことも人口の多さに関係していると思われます。

中国の人口の歴史

中国の話に戻します。

「中国の人口の歴史」https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/jinkou996.html
※『貝と羊の中国人』(加藤徹著)第4章 「人口から見た中国史」の抜粋

によると、現在マンガやアニメで有名な「キングダム」の時代である戦国時代の中国の人口は約1200~2000万人、その後の漢末期は約6000~8000万人。

ただ、その後は順調に人口が増えてわけではなく、戦争や疫病、食糧不足による飢餓などが原因で、大昔の中国は人口の大幅な増減を繰り返していたようです。

何で読んだか忘れましたが、昔の中国は食糧の生産能力的に6000万人くらいまでしか養うことができないため、それを超すと争いが起こって結果として大規模な人口減少が起きると書かれていました。確かにそういう面もありそうですね。

次に、時代は進んで現代の広東省。

ジェトロの「広東省常住人口1億2,600万人、省外からの流動人口が年々増加」https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/06/acddce0b62cdf39d.html

によると、現在の広東省の人口は約1億2千6百万人ということで、広東省だけで日本とほぼ同じ人口を有しています。これだけでも中国の人口の多さがわかりますね。

続いて、総務省の「我が国における総人口の長期的推移」
https://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf

によると、日本の人口は、戦国時代で約1000万人前後、明治維新時では約3300万人、終戦時に約7200万人と、2004年12月に約1億2千8百万人のピークを迎えるまで、基本的に右肩上がりで人口が増えてきました。

人数の規模が異なるとはいえ、人口の大幅な増減を繰り返してきた中国と、徐々にではありますが右肩上がりで増え続けてきた日本とでは、まず社会の根本的な成り立ちが異なります。

今の日本人と1000年前、2000年前の日本人とを比較した場合、その連続性を感じ取ることができますが、中国の場合はそれが薄いように感じます。

日本の場合はこのような連続性が、日本文化の多くに見られる社会や文化の継続性につながっていますし、その影響からか、日本は良くも悪くも徐々にしか変化しません。ただ、それが社会の安定性や安心感につながっているのも事実です。

他方で、中国は古来より王朝が入れ替わり立ち替わりしながら、国のスクラップアンドビルドを延々と繰り返してきました。よって、やること成すこと速いですが、あきらめたり切り替えたりするのも速いです。これは一面では変化に対応するのが速いという良い面がありますが、社会が安定せず、常に不安がつきまとうデメリットもあります。

漢民族を一つの民族として捉えていいのか?

中国は他民族国家と言われています。
人口比で一番多いのは、その92%を占める漢民族ですが、それ以外にも55の民族がいると言われています。

民族が違えば、文化や風習、宗教や生活様式など、さまざまな面で違いがあり、時としてそれが争いの元となりますが、中国は民族的にいえば、一つの巨大民族と多くの少数民族のセットなので、一つの国でそれなりの規模の複数の民族が乱立している国と比較すると安定しやすいかもしれません。

また、マイノリティだからといって、少数民族だからといって差別されるとは限らず、たとえば、ニュージーランドの場合は元々そこに住んでいたマオリ族に対してはあらゆる面で優遇していますし、中国も少数民族に対しては一人っ子政策を適用しませんでした。(一人っ子政策は2015年に終了しています。)

話を戻しますが、そもそも論として、マジョリティである漢民族を一つの民族としてひとくくりにまとめてもいいのでしょうか?

日本を大和民族として一つにまとめることに問題があるのと同じで、同じ漢民族でも出身地によってかなり差があります。

以前、広州で物流ビジネスをしている中国人と話していた時のエピソードです。彼の地元は広州ではないのですが、彼が広州が地元と思わしき年配者と話していた時、

男性:出身はどこだい?
彼:〇〇です(内陸の街)
男性:じゃぁお前はそこに帰れ!

と、唐突に言われたそうです。びっくりですね。
もちろん、悲しいことに日本でも外国人差別があります。それは決して容認できるものではありませんが、もしこれが日本なら、日本人が日本人相手に同じことを言う人がどれくらいいるでしょうか?

話が脱線しますが、私がかつてニュージーランドに居た時にも、日本人や中国人が心無いニュージーラン人に、帰れ!と、言われたという話を何度か聞きました。

そもそもこういうことを言う白人も、本来は外から来た人たちなので滑稽ではありますが、こういうこと言うのは、世の中に対する理解が浅い若者であることがほとんどです。

いずれにせよ、悲しい気分になりますよね。

私もこのようにストレートに言われことはありませんが、似たような経験はしました。けど、それ以上にやさしく接してくれたニュージーランド人が多かったのも事実です。

もう一つ付け足すと、ある時、街中で小学校低学年くらいの子供たちの一団とすれ違った時に、日本語で挨拶されてびっくりしたのを覚えています。まぁ引率の先生らしき人もいたので促されたのかもしれませんが、私が日本人だとなぜわかったのでしょうか?

それはともかく、後から知ったのですが、当時のニュージーランドでは外国語として日本語も有力な選択肢の一つであったようです。

今はどうかわかりませんが、ネットで調べた限りでは、日本語学習者はだいぶ減ったものの、主要外国語(フランス語、スペイン語、ドイツ語、日本語、中国語)の一つではあるようです。

話を戻します。

肯定はできないとはいえ、どの国においても、外国人に対する排他的な感情を抱く人が一定数いるのは否めません。

ただ、先ほど述べた広州での出来事は、同じ中国人同士の話です。
しかも漢民族と少数民族との間ではなく、漢民族同士での話です。

これは結構根深いですね。

日本における様々な軋轢

(本セクションは中国とは直接関係ありませんので読み飛ばしていただいても結構です。)

では、日本ではどうでしょうか?
実は、日本でもこのようなことがまったくないとは言えません。

歴史的経緯に起因する軋轢

日本においても、歴史的な経緯から、現在においてもまだしこりが残っていることはあります。たとえば、戊辰戦争での経緯から来る福島の人々の鹿児島や山口の人たちに対する感情です。

私はそれを実際に目の当たりにしてびっくりした記憶があります。

以前、深センで福島出身者が集まる交流会(県人会)に参加した際でのできごとです。私は母型の祖父がいわき市出身なので、縁があるということで参加させていただきました。

で、参加者がそれぞれ自己紹介する際に、ある方が「出身は九州です。」と言ったことに対して、別の人が「九州のどこですか?」と、聞き返しました。

たしかに、九州だけだと何県かわからないので聞くのは別におかしくないですが、「佐賀です。」という答えを聞いて、あー良かった。と言っていました。

私ははじめ、何のことかさっぱりわかりませんでした。
他にも同じように思った人が居たらしく、このことについて話しているうちに、要は、鹿児島じゃなくてよかったということだったようです。

それで、ようやく、あー薩長土肥か、ということに気づき、逆に愕然としたことを今でも鮮明に覚えています。

ちなみに、薩長土肥の肥は肥前のことで、現在の佐賀県と長崎県(対馬を除く)にあたります。ですので、近くにいた人が、「けど佐賀は肥だけどいいのかな?」と小声で独り言を言っていましたが、正直私も同じことを思っていました。

まぁ薩長土肥とひとくくりで言われることはあっても、それ以上に薩長だけに対する思いが強いのかもしれません。その人にとってはですね。

いずれにせよ、静岡県民である私にとっては驚愕の事件でした。

出身地に起因する軋轢

静岡県ついでに余談ですが、静岡県の場合は、私の出身地である浜松がある西部、県庁所在地の静岡がある中部、富士山がある東部、伊豆半島の伊豆の4つのエリアで天気予報が分かれています。このことに象徴されるように、それぞれの地域で異なる特色があります。

静岡県が地理的に東西に長いということもありますが、かつて私の高校の同級生が「オレからしたら伊豆は伊豆県だよ。」と言っていたように、県西部の人から見れば、伊豆は地理的に離れており、同じ県だと感じないのも無理ないです。

それに、浜松や掛川がある県西部は、昔は遠江(遠州)と呼ばれていて、歴史的な経緯から、静岡県の他の地域よりも愛知県東部の岡崎や豊橋がある三河地方とのつながりの方が大きいです。

また、人によっては浜松と静岡との間で(ほとんどの場合は冗談ですが)、その中の悪さを揶揄する人もいます。たとえば、

浜松の人に、静岡出身ですか?敵ですね。と言われたとか。
静岡の人が、大井川から向こうは敵だ。と言っていたとか。

この類の話はよく聞きます。
まぁたいていは話のネタで終わりますが(笑)。

静岡市は県庁所在地で、言わば静岡県の首都であることに対して、浜松市は人口も経済規模も静岡市より大きく、お互いが変にライバル視しているのが原因だと思われます。

ただ、そもそも郊外発展型で製造業の街である浜松と、県庁所在地で城下町文化や商店街がまだ残っている静岡とでは、ある意味で路線がまったく異なり、比べること自体がナンセンスだと思うのですが。。。

ともかく、ここで言いたかったのは、上記だけを見ると静岡県はまとまりがないなーと思われても仕方が無いと思いますし、私もそう思っていました。

ところが、福島県人会に参加して気づいたのは、福島県も

いわき市がある沿岸部の「浜通り」、福島市がある県中部の「中通り」、会津若松市がある山間部の「会津」の3つのエリアがあり、先の静岡県民よろしく、異なるエリア同士では、お互いに文化が異なり、ライバル視している部分もあるということです。もちろん、これも話のネタの一つだとは思いますが。

ただ、それを目の当たりにして、なんだ、結局どこも同じなんだなと、変に安心した部分もあります(笑)。NZや中国での帰れ発言までひどく無くても、こんなことはどこでもあるんだなと。

そして、この経験が、静岡県人会を主催してみようと思ったキッカケになりました。(2020年11月を最後に、私のわがままで幹事を別の方に変わっていただきました。)

出身組織に起因する軋轢

ニュースやドラマなどでもよく取り上げられるように、銀行や省庁などでは、合併した後も元の組織の派閥を引きずると言われていますよね。

私も最近似たような経験をして閉口しました。

これは2社が合併してできたとある日本企業の話ですが、その会社の会社名は、元々の2社の名前をそのままくっつけているだけなので、長くて言いにくいのです。

話が抽象的になり過ぎるので、その2社を仮にABC社とXYZ社とし、合併後の会社をABCXYZ社としましょう。

あるオンラインミーティングの最中、会社名があまりにも長いので、私はABCXYZさん。と、フルネームで言わず、ABCさん。と、そのミーティング中はずっと省略して呼んでいました。

そしたら後日、同じ会議に出席していた人から以下の指摘を受けました。

要は、ABCXYZ社にはABC社とXZY社の派閥があるそうで、会社名をABC社やXZY社だけで呼ぶと問題になりますよと。なので、フルネームで呼ぶか、AX社のように、それぞれの頭文字を取って呼ぶようにしてください。

外から見るとやや滑稽ですが、それだけ組織への帰属意識が強いということでしょう。ただ、それがプラスに働くこともあるでしょうから、これが一概に悪いとは言い切れないですね。

中国における地元意識

で、ここまで延々と中国とは直接関係ない話をしてきましたが、要するに、中国は漢民族中心の国家ではありますが、その漢民族は一枚岩ではないというか、ひとくくりにして捉えることは無理ですし、危険だということです。

そもそも、同じ中国人に対して、田舎へ帰れ!という発言が出ること自体、その発言した人は相手のことを「外国人」や「外から来た人」だと思っているという査証です。キツイ言い方をすれば、相手を同じ中国人だと思っていないことになります。

中国では、北京、上海、広州、深センなどの沿岸の大都市には中国各地から人が集まり、特に北京、上海、広州は地元の人も元々多いため、後から来た人に対しておもしろく思っていない人も少なくないのです。

一方で、ここ40年くらいで一気に発展した深センはまた少し事情が異なります。移民の街である深センは、「深センに来たら深セン人」という言葉があるくらい、平等が根付いているというか、外から来たという意味では中国人でも外国人でもあまり関係ないというか、ある意味全員が同じスタートラインに立っているイメージです。

他方で、北京、上海、広州は、地元民と外から来た人とでは明らかにカーストが異なります。インドでも法律上はカースト制度は無くなったとはいえ、人々の頭の中にはまだ残っているそうですが、中国では身分的なカーストはほぼありませんが、出身地や学歴によるカーストは日本と比べても根深いです。

ちなみに、以前インド在住の人にお話しをうかがったとき、外国人はカースト外というか、インド人とはまた別の捉え方になるそうですが、それは北京、上海、広州でも似たようなもので、これらの大都市は外国人も多いため、外国人としてあからさまに差別されることはほぼありませんが、中国ではマイノリティには違いないので、制度的に面倒なことが少なくないです。

そういう意味では、制度的には深センも他の大都市と比べて大差ないのですが、深センの場合は、外国人でも関係ない雰囲気というか、香港に近いこともあり、外国人慣れしている人が多く、考え方も先進的な人が多いので、外国人にとっては暮らしやすい街の一つですね。

むしろ、中国人の方が深センに違和感を感じる人が多いくらいで、

深センに来てまだ半年なので、深センの自由な雰囲気に慣れない。
深センに来て慣れるまでに数年間かかった。

という話を中国の人からよく聞きます。

中国各地から深センに人が集まる理由

あくまで私の実感ですが、深センは東北や四川省、広西省、湖北省あたりの出身者が多いように感じます。

その理由の一つとして、たとえば、東北地方は農業やエネルギー産業など、重厚長大な産業がメインであることもあり、個人の実力や才能が高い人よりもゴマすりが上手な人が出世しやすいというようなことを聞いたことがあります。

一方で、電子製品やハイテクがメインの深センは、比較的小規模な投資からビジネスを始められることもあり、自分の可能性を信じる若者たちが地方から集まってくるのでしょう。

余談ですが、広州はお隣の広西省(同じ広東語圏)と湖南省出身者が多いと感じています。

広州もものづくりの街ですが、自動車など大規模ビジネスが中心で、自動車産業は基本的にピラミッド型の構造のため、発注側と下請け(それも一次、二次と、、、)との間でカーストが生まれやすく、ビジネスの関係性においては、平等とはほど遠い関係になりがちです。

他方で、繰り返しになりますが、深センは比較的小規模なビジネスが多く、一つ一つの売り上げが多くないため、一つ一つの取引成立の成否に対して一喜一憂しなくて済みます。よって、取引先間の上下関係は薄いです。

また、やっていることが最先端であったり、これから発展する業界であったりするため、そもそもまだない業界やビジネスをこれからつくろうという話なので、既得権益層がおらず、それらに対する配慮も不要です。

これらのこと、つまり、新しい街、移民の街、電子部品・製品の街、ハイテクの街、香港や外国に近いということも相まって、平等な雰囲気を醸成されていると思います。

中国における仲間意識

全然話がまとまりませんが(笑)、地元意識の話に戻します。

要は、中国ではメンツだけでなく、人民の出身地に対するの連帯感や帰属感にもそれと同じくらい配慮しなければいけないということです。

中国は、中国語のメンツ(面子)がそのまま日本語でも使われるように、メンツを重んじる国です。ですので、中国人のメンツを潰すような真似は絶対に避けなければいけませんが、それと同じくらい、出生地に対して持っているプライドというか、仲間意識にも配慮する必要があります。

もちろん、こういったことは日本にもあることですし、それ以外の国にも普通にあります。

ところが、日本人は島国に住んでいるからなのか、こと外国のこととなると別腹というか、極端にシンプルに捉えがちです。つまり、

中国はこうだ、中国人はこうだ。
アメリカやアメリカ人はこうだ。

というように、多様性を無視してこうだと決めつけたり、結論を急ぎがちです。

私は深センに居いて、コロナ前はそれこそ日本各地から深センに来る人と一緒に通訳として工場へ行ったり、アテンドやビジネスイベントの開催をお手伝いすることを通して、出身地の異なる様々な日本人とお会いしてきました。

そこで感じたのは、同じ日本人であっても性格とか、ノリとか、考え方などは結構違いますね。

一例を挙げると、基本的に九州や関西など、西へ行くほど中国に対してポジティブな人が多く、ノリも良いです(笑)。

ただ、中国人の地元意識や仲間意識の強さは、日本人の比ではありません。

私はこれまでに、深センや珠江エリアを中心に多くの工場や会社を訪問してきました。そして、特に中小企業では、従業員を社長や創業者の出身地の人で固めている会社が少なくないです。

これは意識的にやっているのか?と聞くと、たいていは否定しますが、
「中国では身内や仲間以外すべて敵」という考えがあると言われているとおり、無意識で自分に近い仲間を選んでいる部分もあるのでしょう。

日本でも昔はこれに近いこともあったようですが、今は大都市ならほとんどないでしょう。

前回でもお話した通り、中国はEUの国家版であり、異なる特色を持った地域が一つの国としてまとまっていますが、人口の多さなどに起因して、何をやっても熾烈な競争に巻き込まれます。このため、各地域で仲間意識がより強くなるのだと思います。

以上から鑑みると、これも繰り返しになりますが、中国は漢民族が92%とはいえ、決して一枚岩ではありません。むしろ、これは民族というより人種ととらえた方が的を得ています。

そういう意味では、中国は漢民族という人種が大半を占めていますが、そもそも百万人都市が300個以上もある国なので、それらをひとくくりでとらえるのは無理がありますね。

まとめ

いかがでしょうか?以下、まとめると、

・中国は歴史的に見て人口爆発と人口崩壊を繰り返しており、それが中国人の地元意識や仲間意識に強烈な影響を与えている。

・中国は人口が多いため、同じ漢民族であってもひとまとめで捉えることには無理があり、それぞれの特色を理解する必要がある。

・深センは自由と平等が根付く先端都市だが、そこで働く人たちであっても地元出身者だけを集めてビジネスをしている人も少なくない。それだけ、地元意識や仲間意識が根深いということ。

最後は無理やりまとめた感がありますが(笑)、次回は中国の「長さ」について深掘りします。

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