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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第14回 オトマール・スウィトナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団来日公演1988年


エッセイ

「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第14回 

オトマール・スウィトナー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 来日公演


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⒈  オトマール・スウィトナー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 来日公演



1988年公演スケジュール 

1988年 

6月

 12日 横浜 

13 14日 東京 

15日 京都 

17日 島根 

18日 倉敷 

19日 

大阪 

ザ・シンフォニーホール 

モーツアルト 歌劇「魔笛」序曲

 シューベルト 交響曲第8番ロ短調「未完成」 

ブラームス 交響曲第1番ハ短調 


20日 福岡 

22日 鹿児島 

23日 熊本 

25日 足利 

26日 喜多方 

29日 仙台 

30日 松戸 

7月 

1日 東京 

2日 静岡 

3日 富山


 ※筆者の買ったチケット 

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 スウィトナーといえば、当時のオーケストラ好きにとってはNHK交響楽団の名誉指揮者として、教育テレビでおなじみの指揮者だった。どういうわけか昔のN響は、ドイツ系の指揮者を好んで呼んでいたので、スウィトナーやサヴァリッシュの指揮ぶりをテレビの音楽番組で身近に見ていた。今にして思えば、ずいぶんぜいたくな番組だったのだ。

とはいえ、スウィトナーに関しては、N響を指揮する時の格好が、あまりにそっけない簡潔そのものの振り方で、こんなぶっきらぼうな振り方でよく演奏できるものだ、とむしろN響の方に感心したぐらいだ。

何しろ、80年代はじめにようやくクラシックを聴き始めた10代の若造だったので、指揮者といえば、アバドやメータ、カラヤン、バーンスタインといった、華麗な指揮ぶりばかり映像で見ていたものだから、スウィトナーのように淡々とした指揮ぶりを、ちょっとなめてかかっていたのだ。 

そのスウィトナーを名指揮者として認識し直したのは、この来日公演の前、1987年にベルリン国立歌劇場の引越し公演で、NHKテレビ放映したのを見たからだ。

演目は、ワーグナーの楽劇『ニュルンベルグのマイスタージンガー』で、スウィトナーが指揮、歌手たちは当時の東ドイツ系の錚々たるワーグナー歌いたちが勢ぞろいしていた。 

 ※https://youtu.be/YUCtSZAz6NA 


 あの公演、今となってはものすごく豪華な公演だった。この時の収録はNHKにあるはずだから、CDでもブルーレイでも、ぜひとも発売してほしいものだと思う。 

ともあれ、この「マイスタージンガー」は、筆者がテレビで初めて目にしたワーグナーの楽劇だった。当時の貧乏学生には、ワーグナーを生で観劇することなどとうてい無理だった。テレビ視聴であっても、それでもあまりに圧倒的な印象を受けた。ワーグナーとはこういう芸術だったのか、とそれまでFMやCDだけで聴いていた楽劇の印象を、完全に覆された。

「マイスタージンガー」は、第1幕前奏曲を自分が高校の吹奏楽部で演奏した曲だったので、隅々まで知ってる曲だった。それが、オペラ公演では、前奏曲のコーダからそのまま第1幕第1場の教会の合唱に直結するのを見て、こういうつながり方をするのだ、とびっくりしたものだ。自分で演奏した曲だったせいで、オペラというものへの理解が体感的にできたように思う。 

「マイスタージンガー」前奏曲の場合、オペラのライトモティーフが随所に散りばめられた構成で、自分が演奏した様々なフレーズが、楽劇の中でいわゆるライトモティーフとして歌われるのを聴き、人物の姿で見ると、以前演奏した時の印象がかなり覆されたりもした。 

ちなみに、この時のNHK放映はかなり貴重だったようで、当時通っていた大学の、美学論の講義でも、若い講師の先生がこの放映の録画を、ドイツロマン主義の説明のためにわざわ学生に視聴させてくれたことを覚えている。もっとも、筆者はその時は、『もうテレビで見たんだがな』などと生意気に思っていたのだが。 


⒉  東ドイツ(当時)を代表する歌劇場のオーケストラ


さて、今回の来日公演は、スケジュールを見てもものすごくタイトで、日本全国を毎日のように演奏してまわっている。総じて共産圏(当時)の有名オーケストラに共通しているのだが、地方の小さな会場までも丁寧に回ってくれる。その強行スケジュールをこなしていながら、演奏のクオリティを維持する東ドイツのオーケストラのタフネスぶりに、改めて驚嘆した。

スウィトナーの演奏は、大阪公演では十八番のモーツァルトとシューベルトを持ってきており、意気込みがうかがえる。だが、メインのブラームス交響曲第1番は、当時まだスウィトナーの指揮で聴いたことがなかったので、興味津々だった。 筆者が初めてスウィトナーを聴いたのは、NHKの番組よりCが先だった。ちょうど筆者が大学生の頃、初めてCDプレーヤーを購入した時、まだ発売数が少なくて珍しかったCDの音源をサービスで1枚つけてくれたのだ。その時、数枚の候補の中から選んだのが、たまたまスウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレのベートーヴェン交響曲第5番だった。 それまで、父親のLPレコードプレーヤーでLPレコードを聴いていたのだが、そのプレーヤーの回転速度がおかしくて、音程が狂っているままレコードを聴いていた。子どもの頃は気づかなかったが、自分で楽器を演奏するようになって、自宅のレコードプレーヤーの音程がいかにずれているかわかり、気持ち悪くて聴きにくくなってしまった。

ちょうどその頃、世界で初めてCDが発売され、専用プレーヤーも売り出されていた。まだまだ高価だったがいずれ値段が下がるだろう、と見越して、新しくプレーヤーを買うならCDにしようと思って待っていたのだ。 


※参考CD

 http://www.hmv.co.jp/artist_ベートーヴェン(1770-1827)_000000000034571/item_交響曲全集%E3%80%80スイトナー&シュターツカペレ・ベルリン(6CD)_1074845 

《スイトナー/ベートーヴェン:交響曲全集(6CD) 

スイトナー&シュターツカペレ・ベルリンの代表的な名盤として知られるベートーヴェン全集。重厚かつ柔軟、ドイツの伝統様式を受け継ぐ規範的な名演揃いと、既に高い評価を得ています。PCM(デジタル)録音による優秀録音も大きなポイントです。 

DISC-1・交響曲第1番ハ長調 op.21・交響曲第2番ニ長調 op.36・『プロメテウスの創造物』序曲 

DISC-2・交響曲第3番変ホ長調 op.55『英雄』・『エグモント』序曲 op.84・序曲『コリオラン』 op.62 

DISC-3・交響曲第4番変ロ長調 op.60・交響曲第5番ハ短調 op.67『運命』(ギュルケ校訂版) 

DISC-4・交響曲第6番ヘ長調 op.68『田園』・『レオノーレ』序曲第3番 op.72a・歌劇『フィデリオ』序曲 

DISC-5・交響曲第7番イ長調 op.92・交響曲第8番ヘ長調 op.93 

DISC-6・交響曲第9番ニ短調 op.125『合唱』 

マグダレーナ・ハヨーショヴァー(S)ウタ・プリエフ(A)エーベルハルト・ビュヒナー(T)マンフレート・シェンク(B)ベルリン放送合唱団シュターツカペレ・ベルリンオトマール・スイトナー(指揮) 

録音:1980-83年 東ベルリン、イエス・キリスト教会[デジタル] 

デジタル録音による初の全集で、しかも当時の新校訂譜ギュルケ版を使用しているということでも話題となったもの。穏やかで端正な佇まいのなかに、今や失われつつある堅固なドイツ音楽が息づいている。(CDジャーナル データベースより)》 


 ところが、このベートーヴェンの5番が、聴き慣れた演奏とはずいぶん違っていたので驚いた。パンフレットを読むと、新しいベートーヴェンの新校訂譜(ギュルケ版)というものだと知った。普通はリピートしないところまで全てリピートをしていたのにも驚かされた。演奏そのものは淡々としてそっけないものだったのだが、新しい楽譜にチャレンジする録音の姿勢がとても興味深く思えて、このシリーズをもっと聴きたいと思った。 それ以来、スウィトナーの演奏をNHKが放映する時は逃さないようにしていたので、来日公演は格好のチャンスだった。 

スウィトナーのチャレンジングな姿勢は、シューマン交響曲第1番「春」の初稿による録音でもはっきり打ち出されている。これはCD発売当時、音楽雑誌などで話題になった。シューマンの「春」のイメージを一新するもので、何しろ最初のトランペットの音が、聴き慣れた従来の販と調が違うのだ。全く別の曲のような印象で、とても驚かされた。 


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だが、音楽批評の中には、スウィトナーのこのCDを「古色蒼然だ」と言ってけなす人もいた。東ドイツのオーケストラなのだから、当時の西側の最先端の流儀は行わなかっただろう。けれど、オーケストラ演奏では、古さというのはむしろ美点になるのではないだろうか。特にそれが、ドイツ音楽の本来の伝統を守っているということなら、なおさら貴重だと言える。 

ところで、当時の筆者は、大阪芸術大学に通っていて、大学の図書館でよく昔の音楽批評を読んだりもしていた。その頃、一世風靡していた音楽評論家の宇野功芳氏の著作をあれこれ読んだが、スウィトナーのことをとても高く評価していた。 この公演パンフレットにも、宇野功芳氏の一文が載っているので、引用しておく。いかにも宇野氏らしい、最上級の褒め言葉が連ねられている。 


 ※引用 

オトマール・スウィトナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団来日公演1988年パンフレットより 宇野功芳氏の文章 

《指揮はもちろんスウィトナーであったが、いずれも最高の名演だった。(中略)ベートーヴェンでは各楽器、各音型が抉りに抉られる。内声のリズムが心臓の鼓動のように浮き上がり、しかもスウィトナーはこれらの彫り深い表情を、速めのサラリとしたテンポの中に自然に息づかせ、各奏者の心魂を打ち込んだ熱演を引き出していく。(中略)そして前記シューベルトとブルックナーにおけるドラマティックに荒れ狂った表現は、現代のフルトヴェングラーというも過言ではなかった。》 


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今回の公演では、モーツァルトもシューベルトも実に見事だったが、それ以上に、メインのブラームスが素晴らしかった。 それまでブラームスの交響曲第1番は、カール・ベームがウィーン・フィルと最後に来日した時の演奏をFMで聴いて、カセットに録音したものを愛聴していた。スウィトナーの生演奏は、ベームの厳格な演奏とは相当に違う緩やかな解釈だったが、リズムの躍動感といい、分厚いハーモニーといい、これぞドイツの響き、という印象だった。 


※参考CD

 http://www.hmv.co.jp/artist_ブラームス(1833-1897)_000000000034573/item_交響曲第1番、第4番%E3%80%80スイトナー&シュターツカペレ・ベルリン(2CD)_3879872 

《スイトナー/ブラームス:交響曲第1番、第4番(2CD) 

スイトナーのブラームス全集をお求め安く、2タイトルに分けて発売。演奏は、ロマンティスト・スイトナーの本領が発揮されたもので、がっちりとした骨組みで、格調高く旋律を歌っています。 

【収録情報】 

ブラームス:・交響曲第1番ハ短調 op.68・交響曲第4番ホ短調 op.98 

シュターツカペレ・ベルリン オトマール・スイトナー(指揮) 

録音時期:1986年 

録音場所:旧東ベルリン、キリスト教会

 録音方式:デジタル(セッション)》 



⒊  東西冷戦終結直前に聴いた旧・東独を代表するオケの音

 

この頃のベルリン・シュターツカペレ(国立歌劇場管弦楽団)は、実に重厚な響きだった。東ドイツのオーケストラは、明らかに西側のオーケストラとは楽器も違うし、演奏法も古めかしい。これまで、生演奏で聴いた東ドイツのオーケストラは、シュターツカペレ・ドレスデンだった。この有名な楽団は当時、欧州最高の響きを保っていると言われていたが、ベルリンのシュターツカペレはドレスデンの音色とはかなり違って、いかにも古雅な印象だった。 

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/