2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に? ⒊ 「大学取材」編 その1
2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?
⒊ 「大学の取材編」 その1
(1)取材の経緯
前章で書いたように、2005年に小説で商業デビューしたあと、続編のための取材をすることにした。デビュー作は音楽小説なので、続編はもっと腰を据えて音楽業界を取材して書くつもりだった。
そのために、まずは大阪府内の音大に在籍して一定期間、取材する計画だった。
それというのも、筆者は元々、高校時代から音楽(吹奏楽と合唱)を続けていて、高校教員になってからも吹奏楽部の指導をした時期があった。その当時勤めていた高校でも、吹奏楽部の副顧問をやっており、いずれ自分もどこかの高校で吹奏楽部の指導を再びやろうという考えがあった。それで、音楽の専門教育を受けたことがなかったハンデを少しカバーしたくて、音大で科目履修をして吹奏楽指導者としての実力を養っておこうと計画したのだ。
この取材のための音大在籍は、正規のルートで申し込んでいて、高校教員としても当時あった「長期研修制度」を活用して1年間休職して行うものであり、何らやましい点はないはずだった。
ところが、この章の最後に書くが、トラブルに巻き込まれて結果的に教職を辞める羽目に陥ってしまうことになる。好事魔多し、というべきだった。
(2)音大に通う〜2005年4月12日
初めての音大通学だ。最寄り駅から電車で10分。降りて、下町のごみごみした界隈を通り抜けると、文化住宅の汚れた屋根の向こうに、薄い紫色のオペラハウスがそびえ立っていた。向かい側に、白塗りの校舎がかたまって建つ。
これまで受講手続きのために何度も足を運んでいたから、校内の様子は把握済みだ。講義は午後からなので、とりあえず昼ごはんを食べることにした。掲示板の通知を順番にながめ、時間割と教室を確認して、いろんな演奏会のチラシがならでいるコーナーをチェックした。学生食堂に向かう。
ここは単科大学なので大して広くなく、学食も一つだけだ。総ガラス張りの壁面で、外にもテラス席がいくつかある。2階はカフェになっている。定食を選んでテラス席に陣取った。正門からの通路に面しており、学生がひっきりなしに歩いていく。400円の日替わり定食、この日はとんかつにキャベツ、小鉢、漬物、味噌汁、大盛りのご飯。味はそう悪くない。
食後、校舎に囲まれたパティオに行ってみた。芝生とレンガ敷きの中庭で、ガーデン・テーブルとパラソルのセットがある。この広場で学生たちも職員も、くつろいで談笑していた。
ここのキャンパスは、すぐ真上を近くの伊丹空港に降りていく旅客機が、石を投げたら当たりそうなぐらいすれすれに飛んでいく。その轟音はすさまじく、に音楽の勉強に差し支えないのか疑わしい。真上を飛行機がしょっちゅう飛ぶなんて、日本に音楽大学は多々あれどここぐらいなものだ。しかし慣れはおそろしいもので、半年たつとこの毎度の轟音もあまり気にならなくなった。
キャンパス風景を眺めているうち昼休みは過ぎて、いよいよ初授業だ。校舎の3階の教室は30人ぐらいは入れそうで、長机とパイプ椅子、端にグランドピアノがある。学生が三々五々集まってくる。この授業は「音楽理論」という1年生の必修科目で、周りにいるのは新入生ばかりだ。中庭にいた学生たちよりおぼこい感じで、ぼそぼそと数人ずつしゃべっている。
「音楽理論」の先生が、いつの間にか教卓の前にいて、名簿を広げていきなり学生の氏名を点呼し始めた。法学部か経済学部の助教授といった雰囲気で、街ですれちがっても作曲の先生には見えない。
まず第一声、「この教科書はな、ちょっとわかりにくいから、使わんとくわ」とおっしゃる。おいおいそんなら高いもん買わすなよ!と突っ込みたくなった。もっともそれは初めのうちで、要所要所はテキストの問題をさせるのだと後からわかった。どうやらこのテキストの著者とは、作曲上の考え方の相違があるらしい。
さて「音楽理論」はいかなることになるやら、なにしろ筆者は楽典もろくにやってない全くの素人なのだ。はたして第1回からおそるべきことになった。これは、音大生の基礎音楽科目で全員必修、音大卒ならこのぐらいのことは知っている、という内容らしい。楽典の続きで和声法の基礎である。
まず「連結」から入って、「4声」を完成させる課題をこなしていく。それから「第1転回型」、「第2転回型」、「属7の和音」、までが1回生の範囲らしい。筆者のような音楽の素人には、聞いたこともない用語がぽんぽんでてくる。
ところが、周りの新入生たちは受験をクリアしただけあって、楽典も和声も一応こなしている。なかにはピアノ専攻もいる。第1回の授業からこの先生は、いきなり黒板に問題をカツカツ書いて、さあやってみろというのだ。ズブの素人の筆者はそんなの出来るわけがない。周りの新入生たちは、さっさと仕上げてるやつもいるが、うなっている子もいる。「じゃあ、Aさん」と、先生がいきなり学生を当てる。当てられた学生はちょっと詰まりながらもちゃんと正解したようだ。ちょっと待て、まさか聴講生まで当てるんじゃあるまいな。
90分、目いっぱいの授業で最後は「じゃあ、この問題出来たら見せにきて。丸もらったら帰ってええわ」ときた。聴講生の筆者も、こんな見たことも聞いたこともない「連結」とやらを完成させないと帰れないのか?
結局、一番最後まで残って無理に書いた答えを赤ペンで直してもらい、ようやく放免となった。どうしよう、単位落としたら。1単位4万円も払ってるのに。
土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/